私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!
2020・01・19、天地と人生
[感恩、感謝は神路(かみじ)なり]
天地が、人間に感恩感謝を要求することはありません。人間社会では、何かすれば見返りを要求する事件が、あとをたちません。今に始まったわけではありません。
しかし、天地は総てを生かし、生成発展のため恵みを供給しています。私たちは天地の働きに生かされていることに、恩を感じ、人間関係にいかすことに努力すべきです。
これが人生に欠けてしまうと、運も逃げてしまいます。天地の恵みを強く感じてこそ、感謝の表現を豊かにすることになります。そのことに感謝できる人は感受性の強い人です。
考えてみれば、すでに生きて生かされていること自体が、救われているのではありませんか。
感恩は、自らの周りから発見するものです。先入観、偏見を捨てる努力も必要です。ここに合掌の力が問われます。『恩を感じたら行動に表す』『謝という行い』で、感謝となります。
2020・1・18、生活と運命
[タラ抜きの道とは]
[汝ら今日よりタラ抜きの道を行け、必ず神に救われん]が本文です。
人間はほとんど幸福の責任を自分以外に求め、得られないと、毎日不平不満の中で生きています。
ひとつの思いに引っ掛かかると、時とともにふくらむことはよくあることです。たいていは良からぬ結末へと、心のドラマは展開していきます。結末は悲劇です。
いろいろな条件を付けずに素直に生きられたら、どんなに楽しことでしょうか。それが、自己中心、自我の強い人間性が邪魔をするのです。
その最たるものが、『相手が良くなっ(たら)
変わってくれ(たら)もっと自分のことを分かってくれ(たら)です。
その求める気持ち、分からなくはありません。いまだかつて『求めるタラ』で、『相手が変わった話』は聞いていません。
(タラで苦しんだ話は)今でも山ほどありますね。お互い様、『タラ抜きの人』になってこそ、相手から『尊敬される』ことになります。
『尊敬される人間』としての努力を積めば、しぜんに自分を包む一切がしあわせにみちてきます。