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令和元年、5・6、親業と人生※1
[子どもは、決して、親の所有物ではない]
子育てには、免許証がありません。子育てには、先輩の経験、祖父母の体験によるところが、大きいものです。
子育て免許証がないだけに、それぞれの違いが成人してみて、成功あるいは失敗したなど、といわれます。特に最近は、マスコミも、事件性のあるものを報道して、私たちの視線を、誘導するように感じるのは、思いすぎでしょうか。
どうしても、親にされたこと、家族の環境などの体験が、子育ての基準になります。『この道』からみれば、『神さまから預かったもの』であり、授かりものです。所有物ではありません。でも、若さゆえに、暴力的に走ったり、親が遊びたくて、放任したりで、きずいた時は手が付けられないことになっていたりします。
考えて見れば、『生みたくても生めず、生みたくなくても、授かるもの』まさに、『神さまから、預かったもの』合掌に生きる者として振り返ると、命の大切は親としての苦しみとともに、育ってきたように思います。
その、『預かりもの、の基本』は、『子どもの幸せ』の前に、『親のあなたが、夫婦で円満の道』に、努力を傾けることにあります。
そうでなければ、『子供は親を鏡にする』からです。しかも、『親の運命的な流れにともなう』からです。
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