天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

合掌とは

2020-11-06 16:44:00 | 信仰
令和2年10月29日
[思うより思え 以て思い思われ愛の生活に住めー]


鋳型に入れたような悪人はいないものです。
日常は善悪取り混ぜた関係の中で、どちらかを使いながら日々を送ることになります。

できるならば、自分のことばかりを思うだけでなく、人のことも思う気持ちを求められています。
まるで他人のことを心配しろ、といわれているようですが、まずは隣にいてもっとも近い人からです。

自分の言い分ばかりに、心奪われるばかりでなく、人のいうことに合わせ、思うとおりにもならなければなりません。
例えば、病気であれば、そのことばかり、思いつめ心を奪われれば、人のことどころではありません。

人間として親、子、夫婦、それぞれの名前にふさわしい、生き方があります。
『人を思えば、思われる』『人のことを思えば、人からおもわれる』人を思う思いは、人から思われる思い『思い思われこそ、愛の生活』です。

合掌に精進する私たちは、少々の苦しみも乗り越え『思い思われるこの愛の生活の積み重ね』こそ『世の中全体が光りに満ちた状態でしょう。』そして『幸せな家庭、社会を創造したい』ものです。やります!
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為の人生

2020-11-05 21:20:00 | 人生
令和2年10月28日
[人は汝の為にあり 汝は人の為にあり]

大阪の吉本新喜劇は、コロナ時代で60年の歴史で初めて休演したそうです。
座長の小藪千豊さんは、以下のように語っています。

日常が音を立てて崩れていく。その中から良いことを見つけ出して、手を尽くした先に未来がある。

『自身で心に問いかけて、ホンマに手をつくしたんか。これを人のせいにするな。良いことは人のせいやで、僕らより、大変な人いっぱいいるんや。お笑いなんてなくてもかまへん』

『誰かに必要とされんかぎり、そこまでがんばらんとな。何もかも初めてや。一歩でなくて、半歩でもいい前に、世界中苦しいんや』

こんな時代は初めてといいいますが、歴史の中では伝染病と生活困難は時代のうらおもてです。

そういう状況では、誰もが頼りあいたい。
しかし健康な人は、病人を排除しようとします。
そして、人の気配がなくなるのです。

そのなかでも、平気で手を述べてくれる先導者が御神尊様です。
御神尊様29歳ごろ、四国の遍路で山野を巡りながら、西国の巡礼修行の傍ら病人に添い寝をしながら、家族に愛の生活を自らの背中でしめしたものです。

『あなたは人の為にあり、人もまたあなたのため』にあります。
『親は子の、子は親のため』にあります。
『お互いのためと為とに心合わせる生活』のなかに『まことの愛の生活がうまれる』ものです。やります。!

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幸せは何処に

2020-11-05 21:14:00 | 人生
令和2年10月27日
[人を離れて生きてみよ 人を憎んでいきてみよ]

言いたい事を言って楽になるということは、相手に悩みを訴えた結果、楽になるということになります。
それを敢えて言わずに耐えると、苦しくなるようです。

その一言で楽になるつもりが、人と切れて離れることにあります。

『幸せはどこにあり、何を指すのか?』それはけさのことばの裏にかくされている。
『人に好かれること、親しまれれる』ことにあります。そして尊敬されればなお最高です。

そして、『すべての人を好きになる』とあります。
これも実は『嫌いな人を、好きになる』だけです。
何のことはない、『嫌いをなくすだけ』これですべてと繋がるのです。簡単なことです。

ただ、問題があるとすれば、『あなたから好きになる』という、これが問題点です。
これだけです。嫌えばお返しがきそう。賢明な皆様方は、因果を考えるはず。

親子、夫婦が、そして隣人とキレて離れられるものなのか。それで生きられるものか?
御神尊様は[生きられるか、憎んでいきてみよ]と云われます。
いかにあなたが正しかろうと、切れて憎んだほうが苦しいに決まっています。

それでは生活がなりたちません。
『自ら不幸の道を選択している』のです。
もう『好いて好かれる人生に入る』の年令ではありませんか。
ちょっと塩加減『親しみも付け加えましょう』やります!
 
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合掌の日々

2020-11-05 19:40:00 | 信仰と生活
令和2年10月26日
[自分一人で働いてきた 自分一人で生きてきた]

広い天地に目を向けると、樹木や野草の1本といえども、目には見えず、耳には聞こえないものが、これを養い育てていることに気づきます。特に合掌の日々をかさねればこそです。

人間もまたしかり。
この身体を、何かを思わせ、何かを行動して、生命を延長させるものがひそんでいます。
つまり、見えるものとみえざるものとの密接な関係があります。

人間は意外にもわれの愚かさと、救い難い迷いとがあります。
それは、自分一人で働いてきた、自分一人で生きてきた。
このように、ともすれば誤った考え方をしがちなのが人間です。

目に見えざる偉大な力、絶対の存在の命の素、これ無くしては生きるにいきられず。
これからも今日まで生き、これからも生かされて行くという自覚が大切です。

すべての人に、その人の人生を喜びと楽しみを発見、身につけるのが善隣の道です。
本質は見えざるはたらきが、見える働きに姿を顕わす幽顕の妙理をとうして感恩感謝の人になることです。

その妙理を開くには、
親よ子に合掌せよ。
子よ親に合掌せよ。
しかして、人間互いに合掌、これこそ自分自身に対する生きたる合掌です。

これの実践こそ、願わずとも幸せの道をすでに歩むものです。やります!
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命のアンカー

2020-11-05 12:38:00 | 信仰
令和2年10月25日
[苦しみに平行 して楽しみを 悲しみに平行して喜びに]

人間はその持てる力を傾けつくして、日常生活に励んでも生詰まることはたびたびです。

人間の日常生活では、ある程度の自由度が許されているとはいうものの、何か問題に遭遇すると、たちまち身動きができなくなります。これを自縄自縛(じじょうじばく)といいます。

『己が心の使い方、己が体の使い方』で、不自由な暗く寂しさに落ち、実に哀れな状態に、追い込まれる場合があります。

人並みに生きて働く心の力を持ちながら、健康溢れる五尺の身体に恵まれながら、自らの手足を縛るとは、自ら苦の世界を招き寄せるとは、おかしなものです。

しかも、どんなに恵まれた立場の人も、苦の世界をたびたび覗くことになります。
それを運命の見えない壁といいます。『心の使い方、生活の仕方の中心』をどこに持つのか!

『アンカー』ということばがあります。
船のイカリだけでなく、リレーの最終走者にも、綱引きにも、テレビの司会者などにつかわれます。

バランスをとる、まとめる、支える、よりどころという意味です。
『楽しみも苦しみにも偏らず』たとえ苦しみに没頭しても、アンカーが働けば復原力がはたらきます。
それは日々の合掌にあります。祈りの最大の効用でしょう。人生は苦楽の織りなす洋服です。やります。!
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心に光り

2020-11-04 22:01:00 | 新陳代謝
令和2年10月24日
[雨といえども 雪と言えども 曇りといえども]


けさは、なんとなく力強さを感じ、人生もようを表現しているようにも思います。
また年令にかかわらず『天命の傘をさす』ようにも聞こえます。

さて、雨や雪、曇りも、その時々の季節や天候により状況は変化します。
最近は特に異常気象がもたらす災害は、普通になってきました。山の姿、地の地形がすっかり変わってしまうほどです。

自然に抱かれて生活する、人間の生涯にも異変が生じています。
人間の異変はその人の、その時の『感情』によって起るものです。
私たちは事情、物事に、心が敏感に反応します。

そして喜怒哀楽の感情がはたらき、それが顔や態度にあらわれます。
喜び楽しみならいざしらず、怒り悲しみの感情は、あっというまに不機嫌な顔つきやトゲのある言葉遣いになります。

これが、直ちに消えれば問題ありませんが、事情しだいでは顔つきは曇り、心の中は土砂降り、イライラはモノに当たるなど、陽光は曇りの彼方です。

その感情に早く気づき、それを無条件で捨てること。あなたが捨てて許さない限り、相手も許すことはありません。双方とも不幸な天候になります。天気天候が時と共に流れて止まらないように、心の闇を払い、心の光りをやりますで、取り戻したいものです。やります!

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慈愛

2020-11-04 21:57:00 | 信仰
令和2年10月23日
[本能的愛が 神の愛に昇華する愛]

『人は、慈悲を忘れると生きられなくなります』しかし、そう簡単に、慈悲に満ちた、愛の行動ができるでしょうか。

『愛もしくは慈悲で、生涯を過ごされた方を、宗教や医学の世界で、御神尊様の他は、私は寡聞(かぶん)にして多くを知りません。

宗教は、可能性を信じて祈り続けます。回復を、治ることを家族の心情に寄り添っていくのが天命です。

私たちが学んでいる根本に『愛の生活実現』があります。
人間、私たちひとり1人が『本能的愛』を、つまり『自分を愛する愛、自己愛』をどこまで伸ばしていくかです。

そこを御神尊様は、具体的に押さえています。
❶好き嫌いの隔てをなくす。・・・私がかわいいように。
❷天地の働きに感謝。・・・その無償の愛のおすそ分け。
❸新陳代謝の連続。・・・今を生かす。

この『三つ』こそ、私たちが『無意識のうちに受けとっている愛であり、慈悲そのもの』です。『合掌の心でおすそ分け』したいものです。やります!










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循環の道理

2020-11-04 21:48:00 | 家庭生活
令和2年10月22日
[言う事と聞くことの あいだに神は存在する]


人には言ってほしくないところを、誰もが抱えています。
人によっては、性格だったり、仕事上の失敗だったりします。
家庭では、さて今からと言うときに、先手を打つ人がいます。
その瞬間へんな空気がただよいます。

これらを、コンプレックスといいます。
穏やかな人が突然、怒りだすなんては滅多にあるものではありません。
冷静さを失い、取り乱すのです。相手は無意識のうちに話題にしただけなのに、『これ何!』状態です。

つまり、忘れていたのに、寝た子をわざわざ起こし、傷口に塩をすり込んだ状態です。
逆に、
『この人には何を話しても大丈夫』とか、『親身になって話を聞いてくれる』などは相手が心を開いてくれます。

でも、『言いたい人』がほとんどで、『聞き役はごめん』の人が多い。
いうべき事と聞くべきことが偏らず『気を通い合わせる努力をすると、循環の役目を神が引き受けてくださる』のです。

残念ながら『循環の道理を学び、合掌心をもち』ながら、『言うべきをいわず、聞く耳で聞かない人』ばかりです。
『言うを3分の1』『聴くを3分の2』がバランスとしておきましょう。やります!

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心のやりくり

2020-11-04 21:42:00 | 信仰と生活
令和2年10月21日
[心のやりとりを怠らざれば 精神的循環や常に正し]

人には人の感じ方があり、それぞれの考え方があるということは、誰もが冷静なときはよくわかっています。
認めて受け入れなければ、不幸せの因になるともわかっています。

したがって日頃から、もう少し人と人との間柄を、見つめなおす必要があるでしょう。
世代の違いは考え方の違い、いろんな違いが出るという。だけどそんなに考え方は違うのでしょうか。

人間がどうあるべきか!では一致しているはず。
違いをあえてさがせば、感じ方、感受性は相違がありましょう。
そこに、個々の判断、別々の判断がうまれてきます。

そこを、お互いが歩みよって合わせましょう。
短気な人、キレやすい人、はや合点する人。ひと呼吸ありたいものです。
そして、ちょっと譲ってみる、強引すぎたと思い返す呼吸です。

無口の人は努めて、自分の考えを伝えることです。
ものをいわない語らないでは、循環の道を閉してまうことです。
相手の気持ちを汲むという、心のやりくりから生まれます。
人と触れ合い、語り合いの中に、滞りのない安心も幸せの姿でしょう。 やります!



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無心

2020-11-04 21:36:00 | 生命力
令和2年10月20日
[我と人との精神的循環を正しくすれば、囚われることなく、悩むことなく、不幸病気の生ずることなし]


孫の家の前で、小三の孫とサッカーをしました。
相手は9才の女の子、こちらは79才になろうかの祖父さん(笑!)

気持ちを集中してボールを待って蹴る、この一連の動作にも無理が出てきます。
近くの高校から吹奏楽の練習で大きな音がひびきわたります。
ところが集中すると、その音楽が気にならなくなるのが不思議です。

近くを通る電車の音も気にならなくなります。
孫と遊ぶ一心になれば、なんの障害も超越しています。私は脳内出血の後遺症で、24年に亘り耳鳴りがあります。

この耳鳴りは時に不思議な現象で、教え導いてくれます。
聞こえない時と、聞こえる時とがあるのです。しかも、聞こえれば二度と過ちを繰り返すな。と聞こえます。

聞こえない時は周囲の音、つまり人の話すことば会話が消してくれるのです。
気持ちよく、人と交わることを心がければ、囚われ悩みも耳鳴りとともに気配を消していました。やります!
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