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海と空

天は高く、海は深し

7月2日(火)のつぶやき

2013年07月03日 | Myenzklo

この教会的権力そのものが今では世俗的権力になっていたが、ローマ皇帝がキリスト教世界の元首であること、すなわち、dominium mundi 〔世界の主権〕を握っているということ、したがってすべてのキリスト教の諸国家はローマ帝国に属するものであるから、正当で妥当な要求である以上、a


諸侯はみなローマ皇帝に服従すべきであるということは理論上も争う余地はなかった。歴代の皇帝も誰もこの権威に疑いを差し挟むようなことをしなかったが、だからといって、皇帝らも自らこの権威を振り回すほどに愚かでもなかった。そのれほど権威の実体は空しいものとなっていた。b


それでも、このローマ皇帝という虚名も彼らにとっては未だ、その権力を傾倒して、それもイタリアに出向いて行って獲得し名乗るだけの価値のあるものには思われた。特にdie Ottonen オットー諸帝は古代ローマ帝権の後継者として自覚していたから、ドイツの諸侯を糾合して、c


幾度となくローマ遠征を企てた。しかし、しばしば敗北して恥を忍んで退却しなければならなかったし、一方では、都市の政治と豪族たちの横暴な統治からの救済をドイツ皇帝に期待していたイタリア人も、失望を味わうことになった。ドイツ皇帝をイタリアに誘い入れ、d


皇帝に援助を誓ったイタリアの諸侯もふたたび皇帝を見捨てたし、祖国の救済を先に期待した人達もやがては、自分たちの麗しい山河がゲルマンの野蛮人たちに荒らされ、自分たちのすぐれた風習が踏みにじられてしまったと罵り、自分たちの権利と自由も、皇帝が裏切ったからには総て失ってしまうと言ってe


非難を浴びせるように成った。なかでもダンテDanteが皇帝に加えた苦情と非難は感動的であり深く人の心を打つ。(ibid s 234 )※ヘーゲルの生きた時代からすでに200年を経過しようとしている。その間に二つの世界大戦があり、欧州は今では政治的統合を深めて、


彼の生きた時代と大きく様変わりしている。この歴史講義に見るように、彼の生きた時代には未だ神聖ローマ帝国の時代の刻印が全ヨーロッパに深く残されていた時代であり、それが彼の生きた「現代史」であった。私たちの生きる現代史は、欧州は世界史の舞台から一歩退き、一方で、20世紀において


ソビエト連邦との冷戦に勝利して、世界的な覇権を恣にしてきたアメリカ帝国にも、ベトナム戦争、イラク戦争、対テロ戦争を通じてようやく翳りが生じ、それを補うかのように、中華帝国が世界史の舞台に再登場して、退潮し始めたアメリカに代わって西太平洋を我がものとすべく食指を動かしはじめた。


そうした中華帝国にとって最大の障害になっているのは、ユーラシア大陸の周縁に中華を取り囲む塹壕のように位置する日本である。共産中華帝国はこの障害を取除くことなくしては太平洋に進出できず、アメリカ帝国と世界の覇権を分け合うことも出来ない。共産中華帝国にとっては21世紀はこうして、


ふたたび中華の覇権行使に最大の鬼門である日本をいかにして処分するか、が課題になる。共産中華帝国はかっての元寇の時代のように、高麗朝鮮を先兵に日本の攻略をたくらんでいる。かくして13世紀後半の鎌倉時代に起きた「元寇」の歴史がふたたび繰り返される。現在の尖閣諸島への


中国海鑑船の領海侵犯がその端初である。習 近平の専制君主国家中華にとっては、かってそうであったように今もなお日本は鬼門である。元寇で国力を消耗した元朝がやがて日本との抗争に破れ、元朝が国内の腐敗と堕落によって崩壊したように、共産中華帝国も、自壊の宿命を辿るのかもしれない。


それは未来の歴史に属する。
〔b、この抗争の含む矛盾――法王権に対するホーエンシュタウフェン家の抗争〕このドイツのイタリアに対する第一の関係と時代を同じくしたのは、偉大なシュワーベン人であるホーエンシュタウフェン家(die Hohenstaufen)によって戦われた


イタリアに対する戦争である。それはすでに独立したものとなった教会の世俗的権力を、ふたたび国家の支配下に置こうとするものであった。法王の椅子も今や一つの世俗的権力であり、世俗的支配権にすぎなかった。だから皇帝は法王の選挙権と世俗的支配権への介入に対して、a


自分にはもう一つの高い権利があると主張した。これまでの皇帝たちが戦ったのも、この国家の権力のためであった。しかし、彼らは法王の持つ世俗的権力を宗教的権力とも見なし混同して、他方でこれに屈服していた。したがってこの戦いは永久の矛盾でもあった。ちょうど仲裁人の登場する復讐劇のようにb


仲裁人そのものが敵になった。だから復讐劇はいつまでも終わらなかったのである。皇帝が法王と戦うための武器であった権力、それは皇帝の臣下である諸侯であったが、この諸侯は皇帝の敵である法王にも二股を掛けていた。それに諸侯の第一の関心は国家からの独立という野心であったから、c


皇帝が諸侯に味方して都市市民に対抗してくれるという特別の利益がある限り皇帝に味方したが、教会の世俗権力が権威をのさばらせたり、皇帝が諸侯に対して自らの権威を主張するような場合は、この諸侯たちは皇帝を見限ったからである。 d(ibid s 235 )


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