家に帰ると韓国語と日本語で朗読される詩のCDが流れていました。「死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱なきことを、 葉あいにそよぐ風にも わたしは心痛んだ。 星をうたう心で 生きとし生けるものをいとおしまねば そしてわたしに与えられた道を歩みゆかねば。 今宵も星が風に吹きさらされる。」韓国では国民的詩人である尹東柱(ユン・ドンジュ)の「序詞」です。家内に聞くと、自称‘韓流ドラマのファン’という知り合いの女性から貰ったとの事でした。‘韓流ブーム恐るべし!’と一瞬口から出かかりましたが、これは‘詩の韓流‘といった安易な表現の現象でなく、もっと純粋な文化的興味からくる関心が、人々の間で根付き始めた証拠なのかと思いました。
尹東柱(1917~1945)は、朝鮮から満州の北間島に移住した一家の長男として生まれました。幼少時より文学に興味を抱いていた彼は、強く医科大学進学を勧めた父親に対してハンストまでして意志を貫き、結局 現在ソウルの延世大学の前身である延禧専門学校で本格的に文学を学び始めます。日本による植民地統治下の朝鮮、太平洋戦争が勃発すると時代はさらに混沌とし、そんな状況の中、尹東柱は悩みながらも詩の創作に没頭しました。この1941年5月以後、日本に留学する翌年までの間に、今残る彼の作品の多くが執筆されています。東京の立教大学に入学し、翌年 京都の同志社大学の英文科に転校します。植民地国の人間として日本で学問を探求することへの自責の中、孤独に耐えながら詩作を続けたようです。同志社大学で一学期を終えた直後、日本警察により民族運動を扇動した思想犯として逮捕、懲役2年を宣告され福岡刑務所に送還されました。結局、終戦まであと半年という1945年2月16日獄中で息を引き取ります。内容もよくわからない注射を頻繁に打たれたことから毒殺されたという説もあります。
先に紹介した作品「序詞」は、代表的詩集「空と風と星と詩」の序文のかわりとして書かれたものでした。尹東柱は、当初 この詩集の題名を「病院」と使用と考えていました。その理由として「今の世の中、一面 患者だらけではないか?」と説明したと言います。彼は、父親に逆らって医学の道には進みませんでしたが、詩の力で世の中が癒されることを望んでいたのかも知れません。
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