作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

夏の終わり

2005年09月04日 | 日記・紀行

 

 

すでに九月。今年の夏も終わり。アメリカではハリケーン「カタリーナ」が大きな爪あとを残して去った。イラクではシーア派の祭りの最中に、自爆テロのうわさが飛び、それにパニックを起こした多くの民衆が犠牲になった。

世界は危険に満ち満ちている。

昨日小野田寛郎さんのドキュメント番組を見る。日本人らしい日本人だと思う。もちろん、戦後の教育の結果、現代にはこのような日本人はいなくなった。

小野田寛郎さんの言うように、敗戦の泣き言を言わないことが肝心だ。毎年夏に恒例の「終戦」記念番組の多くは、敗戦の泣き言、愚痴に過ぎない。戦争について、全面的に客観的にその因果関係を分析して真実を明かにしようという番組は少ない。マスコミ関係者の、特にテレビ関係者の水準が、そして国民の教養の水準が示される。

人間は遅かれ早かれ死ぬ。

郵政民営化解散総選挙で、従来の田中角栄政治から、日本の政治が解放されつつあるのは喜ぶべきことである。田中角栄は、国家と日本人の品格を落とした元凶とでも言うべき男だった。鈴木宗男氏は、小角栄に過ぎない。こんな人間は潰してしまわなければならない。利権まみれの角栄政治を受継いだいわゆる経世会一派が自民党から駆逐されつつあるのはうれしいことである。少なくとも小泉郵政解散総選挙にはこの意義がある。

哲学的問題

弁証法的な思考では、観念と物質は切り離さない。観念は物質になり、物質は観念になる。人間の意識は物質か観念か。観念(神)が物質(宇宙)を創造するということ、観念が物質に転化することはありえないことなのか。物質や観念の本質とそれらの相互関係を研究するのも哲学の課題である。

 

 

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