遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

こんな人がいた~『岡本太郎その10 「パリ在住の時代#2」』

2023年12月07日 | 絵画


 岡本太郎著「「人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている」
 今日は その著書などから 在パリ時代の太郎の逸話を幾つか紹介する

【絵を観て回る旅】
 太郎は18歳の時 巨匠の絵を観るため オランダ・ベルギーを旅行した
 アムステルダムでゴッホ展やレンブラント アントワープでルーベンス
 ベルギーでは絵を観て回ることに食傷気味 早くパリへ戻りたくなった 

【ダミアのシャンソン】
 そんな時 彼の口から出たのがパリで聞き覚えたダミアのシャンソン
 下町の 名もない通り たそがれて 戸ごとに立つ暗い影
 おんなたちは悲しげに黙ったまま 行きずりの人に媚笑を投げる・・・

 シャンソンには昏い ダミアの名は知っているが 曲は「暗い日曜日」くらい
 上記の歌詞から曲名を探したが不明 Youtubeからダミアの歌を2曲リンク

【ル・ドーム(Le Dôme) 】
 パリのモンパルナスにあるル・ドームは 作家・画家らが集まる老舗カフェ
 モディリアーニ ヘミングウェイ フォークナー ヘンリー・ミラー・・・
 もちろん岡本太郎もよく利用した

 その当時のル・ドーム

【ひと夏の出会い
 1936年夏 25歳の太郎はコートダジュールに遊びに行く
 そこでパリで知り合った写真家のアンドレ・フリードマンに会う
 彼はユダヤ系ハンガリー人で いつもライカを下げて写真を撮っていた

 アンドレ・フリードマン 1913(T12)-1954(S29) 


 太郎は彼から助手の女性ゲルダを紹介された 美しい女性だった 
 彼女はユダヤ系ポーランド人 ナチスの迫害を逃れてパリに住んでいた
 フリードマンの助手で撮影を学ぶ彼女に 太郎は同情と情熱を抱く

 ゲルダ・タロー 1910 (M43)-1937(S12) 


【マドモアゼル・タローの死
 翌1937年夏 太郎はいつものようにモンパルナスのカフェで夕刊を買う
 1面トップに大きく「マドモアゼル・タローの死」 タローなんて名前が?
 見ると紙面中ほどに美しいゲルダの顔がほころんでいるではないか  

 記事はこう報じていた "愛人キャパとスペイン戦線で報道写真を撮影中
 街角から突然飛び出してきたフランコ軍の戦車にひっかけられ倒れた”と
 
 しばらく会わなかったゲルダが 前線でタローの名をつけて危険をおかし
 死んでいったのだ・・・太郎はその夜 強烈な酒を飲み続けて耐えた

【キャパとゲルダ後日談】
 ロバート・キャパは報道写真家用の名前で 本名はアンドレ・フリードマン
 ゲルダ・タローも同様で 本名はゲルタ・ポホレリ(Gerta Pohorylle) 
 キャパはアメリカの報道写真家を名乗り 下の写真で有名になった

 崩れ落ちる兵士」

 ゲルダに関する写真はYoutube動画を埋め込む


 なお キャパの崩れ落ちる兵士」は捏造だとも伝えられ こんな動画もある


 仮に捏造されたとしてこれを観ると カメラマンが他にもいることに気付く
 私が捏造をするとしたら そんなバカげたことはしない
 といって 私に真偽の判定が実際に出来るとも思えないが・・・

 今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]