【売文事始め】1958/S33 28歳
上京、東京毎夕新聞に入社。日々、ストリップ劇場を回って記事を書く。
三流夕刊紙に醜聞記事を書く記者、と上品ぶる連中からは差別を受けた。
'職業に貴賎無し'は真っ赤な嘘。市民社会の価値基準は必ず賎民を生む。
芸能者も私も賎民の同類・・・安酒に酔いながら哀愁と連帯を感じた。
映画評論家・脚本家の南部僑一郎氏と知合う。父・英太郎を知っていた。
君もツマラン職業を選んだものだが、今日からは南僑一家だと言う。
'スターと会ったか? どんなエライ奴でもクソしているところを想像しろ'
南部先生から、ゴシップ・ジャーナルにこそ自由な言論があると教わった。
【ルポ・ライターとなる 】1959/S34 29歳
毎夕新聞をクビ(編集担当重役を殴打)になり、トップ屋を開業。
「週刊スリラー」「週刊大衆」「アサヒ芸能」等の週刊誌に風俗芸能ルポを売る。
組織に属さない者が生計費を稼ぐには、バクロ記事が手っ取り早い。
暴露された側からは、当然ながら蛇蝎の如く嫌われる。
ただ、浅草の伝統的な芸人の人情に触れてきた私は、芸人ではなく、
その矛先を、映画会社・テレビ局・芸能プロダクションに向けた。
ナベプロは権力社会のカサブタ、それを剥げば血膿がどろどろ出て来る。
その芯には音楽事業者協会会長の風見鶏・中曽根康弘がいる。
そんなバクロに大衆は敏感に反応する一方、政治家は芸能人を利用する。
参議院のタレント候補、ナベプロの自衛隊友の会・・・癒着は進んでいた。
【女性自身のスタッフへ 】1959/S34 29歳
週刊「女性自身」の編集デスクにスカウトされ、スタッフ・ライターとなる。
来日したトリオ・ロス・パンチョス一行に同行、独占グラビア記事を載せる。
また、華麗なグラビア・モード、皇室・スターの噂話、異国風景の陳列などで
「女性自身」はデラックスへの「憧れ」を充たした。
【安保闘争 】1960/S35 30歳
芸能記事を書きながら、連日、安保闘争の集会やデモに出かける。
石原慎太郎・江藤淳・大江健三郎らの「若い日本の会」に誘われたが、
自らの手を汚そうとしない坊ちゃん議論に愛想をつかした。
南部先生から密着取材を勧められ、人気絶頂の赤木圭一郎を紹介された。
7日間、彼と寝食を共にした。彼が安保デモに参加したいと言い出し、
6月10日のデモに参加することになった。
当代きってのスターが安保反対デモで先頭に立つ・・・独占記事が載る!
だが、それを知った映画会社の役員が、彼を神戸の劇場のこけら落しへ・・・
計画は儚く未遂に終わった。
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]