次々とわき芽を増やし、横に広がって成長する花だという。
咲き進むたびにグラデーションのような花色が楽しめるとか。
なるほど、それで和名が「七変化」なのか・・・。
昨日、誌上菖蒲絵展で浮世絵を掲載した。
それで浮世絵が西欧の画家たちにどれだけの興味・関心・影響を与えたか?
いわゆるジャポニスム(日本趣味?)を調べようと思ったわけ。
万国博覧会(万博)への日本の出展が一つのきっかけだったのではないか?
日本の遣欧使節団が万博を視察したのが1862(文久2)年のロンドン万博。
その5年後のパリ万博で日本も出展参加・・・この辺り福沢諭吉の力か?
福沢諭吉著「西洋事情」には博覧会の項目がある。
が、長州・薩摩・幕府の3者がそれぞれ出展、成功とは言い難かった模様。
日本国としての初参加は1873(明治6)年のウィーン万博。
ジャポニスムは1870~1880年代に生じた。万博きっかけ説も突飛ではない。
また、こんな冊子もパリで発売されていた。
『パリ・イリュストレ』1886年の日本特集号
さて、日本の浮世絵の影響が大きかったパリ在住の欧米人画家は?
絵にはシロート同然の私でも、ゴッホかな?と思い当たる。
タンギー爺さん
タンギー爺さんはパリの画材店の主人。
ゴッホやパリの画家たちがその店を溜まり場としても使っていたという。
爺さんのバックはすべて浮世絵・・・店の壁? ゴッホが描き加えたのか?
いずれにしてもゴッホが浮世絵のコレクターだったことは間違いない。
彼は歌川広重ほかの浮世絵の模写もしている。
どちらも左が広重、右がゴッホの模写。
そろそろ今日のジャポニズム序奏は終わりにしよう。
明日またお会いしましょう。
[Rosey]