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前回で相磯凌霜のことが分かりかけてきた
並行して阿部雪子のことも調べていたが こちらも少しずつ進展している
二人とも荷風の市川暮らしには欠かせない人物
そこで「戦後日瀝その一」よりこの年の二人の足跡を要約記述引用する
敗戦後の1946/S21年1月から荷風は市川に住んだ(従弟の杵屋五叟宅に寄寓)
1/27 夕刻凌霜子来話 「新富町の妾宅が焼けずに済んだので記念に」と
鮓と萩の餅を数個ずつ貰った
鮓と萩の餅を数個ずつ貰った
2/11,23,28,3/10,14,4/10,20,21,25,29 凌霜子来る
4/20の凌霜の句(欄外記述)
出汐まつ舟の灯や春の雨 佗住や足袋干すほどの春日影
8/28 凌霜子來る 船橋市海神町の別宅に案内され夕食をご馳走になる
日中は誰もいないので 執筆・讀書に使ってください と言われる
9/2,11,19,26・・・凌霜子來る
9/20、21 荷風は近傍の売家を見に行くが気に入らない
10/3ー6,31,11/1,19,20 海神へ行き散歩・執筆する
11/21 小篇「羊羹」書き上げる 帰途菅野の齒科医に寄り病歯を拔く~11/22,24ー29,12/1-2 海神で執筆する
12/5 午前貸間(小西方)を見る
~12/6-8 午後海神で執筆する 7日に短篇「指環」脱稿する~
12/9 小西氏を招いて飲む
12/10 午後小西邸内の一室を借りラジオ避難所とする
12/11,13 小西邸で執筆する(12日は海神へ)
12/16,18,19,20 小西邸で執筆する 短篇「畦道」脱稿
凌霜子の件はとりあえずここまで
荷風にとって五叟宅の環境がどれほど苦痛だったかがよく分かる
次は阿部雪子に移ろう
5/4 午後阿部雪子來る 白米を贈られる
林龍作(※)氏 去年蘆屋で兵火で秘藏の樂器などを焼かれたという
※Vn奏者・・・阿部雪子も林氏からVn演奏を習っていた(らしい)
その後 7/1,8/19,9/10,11/11,12/3,12/15に訪れている
阿部雪子は偏奇館時代の荷風と知り合っている(1943/S18/2/14)
上野の美術学校(現・東京芸大)構内の「国宝調査会」に勤めていた
住まいは大森区(現・大田区)南千束
住まいは大森区(現・大田区)南千束
阿部雪子で分かったことはここまで
荷風の晩年の存在を支えた二人 この続きは次回に
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]