市川真間市 手児奈霊神堂 昔の写真:時期不明
1946/S21年 荷風68歳
~1月16日に市川に越して来て2ヶ月半が経った
前回は荷風の散歩と来客の視点で「荷風戰後日歴 第一」から要約した
荷風日誌の一番の面白さは 権威への批判・風刺を含む世相の観察だと思う
今日はそこに焦点を当て 4月以降の「日乗」と「日歴」とから要約する
なお 日付後の■は「日歴」 無印は「日乗」から~
04/04■省線驛前を過ると衆議員選擧候補者が演説
ホテル番頭の挨拶のようだ 戦争に負けるとこれほど卑屈になるのか
04/06■噂の聞書き
數日前 大阪で警察に捉えられた朝鮮人闇屋を奪い返す暴動が起きた
日本人も混じって闇屋・警官双方でピストルの撃ち合いとなる
この騒ぎに事情を知らない米國憲兵一隊が機関銃を放って追い払う
死傷者少くないというが 米国人檢閲のため新聞には載らなかった
口では民政の自由を説き自分に不利な事は隱蔽 米国人 笑ってやれ
04/11■夕食後 文學狂と思しき洋裝の婦人來て面会を求める
取次の家人が留守と答えたが 家が遠く一晩泊めて貰いたいと言う
幸いなことにしばらくして帰った様子
物陰に隠れて見たら年は30前後、容貌10人並 住所姓名は言わなかった
04/15 米兵暴行掠奪の噂が多い 黄昏銀座通で毆打・紙入を奪われる
日本人の追剥も多い 夜間外出は愼しんだほうが良い
04/28 配給の煙草粗悪になる 醤油・味噌も不味い 亡国の兆しが哀しい
04/29 江戸川堤散歩 國府台新緑の眺望が佳い
路傍の蕎麥屋に代用食ふかし芋ありと貼紙 入って食べる 1皿五円
三十前後のおかみさんの話
「夫は去年沖繩に送られ 今だに生死が分からない 子供三人
女手ひとつだけで暮してゆくのも難しい」
家に帰ると凌霜子(※)が待っていた
※相磯凌霜(あいそ・りょうそう)1893(M26)ー1983(S58):鉄工所重役
荷風の交遊相手 船橋市海神の別邸を執筆の場に利用させてもらった
相磯は 荷風の財産管理や葬儀の段取りなども行なった
05/04■午後 阿部雪子(※)来る 白米貰う
※誰だろう この女性?
05/07ー09■八幡町混堂・白幡天神・葛飾八幡宮・同左藪知らずを散歩する
葛飾八幡宮と藪しらず(Youtube動画)
06/06■ 夜半 五叟父子が奥の座敷で三味線弾き出し 本読み手紙書く
深夜2時過ぎて止むのを待ち就寝 貸間の生活勉學には適さない
かといって今は移るところもないのが悲しい
07/01■ 阿部雪子来る
~また来た この女性! 気になるので この先も調べてみた~
08/19■ 夕刻 阿部雪子来る
09/10■ 夕刻 阿部雪子来る この夜 中秋の名月
11/11■ 阿部雪子来る(不在中)
12/03■ (荷風の)誕生日 午後 阿部雪子来る ~どうも怪しい!~
12/15■ 昼 阿部雪子來る 洋書二册を贈られる
Charles Sarolea: Ce que j'ai vu en Russie Sovitique.
Max Eastman: Depuis la mort de Lnine.(Paris 1925)
Max Eastman: Depuis la mort de Lnine.(Paris 1925)
夜 海神へ 晩餐の馳走になる
~ますます怪しい! こんな写真も出て来た~
行徳橋で阿部雪子と荷風 1952(S27)年
~「濹東綺譚」の女性の名が雪子だったよな・・・
阿部雪子をざっと調べてみたが 荷風のフランス語の教え子だったとか
新たな事がわかったら明日にでも書くとして 今日はここまで
それでは明日またお会いしましょう~
[Rosey]