遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

たまにはITの話題を・・・BARDウォッチング若しくはBARD問答

2023年07月01日 | IT



今日から7月。梅雨明けもそう遠くはないだろう。
時雨・於菟吉の話も昨日で一段落した、というか、させた。
あとは時雨てゆくか・・・いつか、山頭火も取り上げてみたい。

今日は、久しぶりにITの話を書く。
AIを使ったBARDというGoogleサービスを6月中頃から使い始めた。
「けっこう面白いよ。使ってみたら」と知人に薦めたのが一昨日。

早速使ってみたらしく、昨日、自分のブログに使用感?を書いていた。
BARDは吟遊詩人という意味だそうだ、さっそくBARDで調べたらしい。
知人はネットの達人なのだ・・・流石!
もし、まだ使っていない人がいたら以下のリンクからすぐに使える。

さて、古事記に「そとおりのいらつめ」という女性が登場する。
美人の代名詞となっているが、漢字でどう書くかが思い出せない。
ネットで漢和辞典を引く手もあるが、BARDに訊いてみた。
※BARDは一つの質問に3通りの回答を返す。
 概要程度からかなり詳細に及ぶ回答があり、質問者が好みの回答を選ぶ。

以下、Qは私の質問、A1~A3はBARDの回答。(何れも要約した)
Q1:古事記に登場する「そとおりのいらつめ」は、漢字でどう書く?

A1:「軽大郎女(かるのおおいらつめ)」と表記。允恭天皇の皇女で、同母兄の軽太子(かるのひつぎのみこ)と恋仲になって後宮を追放され、伊予に流されるという悲劇的な物語が残されている。

A2:「そとおりのいらつめ」は、衣通郎女のこと。衣通郎女は允恭天皇の皇女で、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がつけられた。衣通郎女は同母兄の軽太子と恋仲となり、二人は心中したという伝説がある。
衣通郎女の漢字表記は、古事記では「衣通郎女」、日本書紀では「衣通姫」。

A3:A2とほぼ同じ。

Q2:A1・A3は「軽大郎女」、A2は衣通郎女、衣通姫」、どちらが正しい?

A2-1:古事記の「そとおりのいらつめ」は「軽大郎女」。『日本書紀』には「衣通郎姫」と表記されているが、これは違う人物。允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹で、天皇に寵愛された妃。

A2-2:古事記の「そとおりのいらつめ」の表記は、軽大郎女と衣通郎女が混同されている。古事記では「軽大郎女」と表記、日本書紀では「衣通郎女」と表記されている。どちらが正しい表記かはっきりとはわかっていないが、古事記の原文では「かるのおおいらつめ」と表記されているので、軽大郎女が正しい表記である可能性が高いと考えられている。

A2-3:軽大郎女と衣通郎女は、同じ女性を指す。古事記では軽大郎女と表記、日本書紀では衣通郎女と表記。これは、古事記と日本書紀の記述の違いによるもの。
古事記では、軽大郎女は允恭天皇の皇女で、同母兄の軽太子と恋仲になって後宮を追放され、伊予に流されるという悲劇的な物語が残されている。
日本書紀では、衣通郎女は允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹で、允恭天皇に寵愛された妃として描かれている。

Q3:回答が3つとも違って混乱してきた。どうすればいい?

A3-1:古事記の「軽大郎女」表記、日本書紀の「衣通郎女」表記、どちらの表記が正しいかは、明確には分かっていません。
(え~っ、いまさら何だよ~)

A3-2:申し訳ありません。私の回答が混乱を招いたようで、お詫び申し上げます。この2つの書物、描かれている人物が同じかどうかは明確ではなく、歴史学者の間でも議論の分かれるところです。
(AIに謝られてしまったよ~)

A3-3:古事記と日本書紀では、同じ女性を指す人物を違う名前で表記していることがよくる。古事記と日本書紀の記述を比べながら、両書の記述の違いを理解することが大切です。
(今度はAIに説教されてしまった。両方読めってさ・・・)

Q4:よく分からないってことが分かりました。有難うございました。
A4-1,2,3:どういたしまして・・・。
(回答ごとに若干ニュアンスの違いあり)

Q5:最後はお礼の挨拶です。回答は3つも不要です。無駄は省きましょう。
(半分、嫌がらせだけど・・・これにも回答が)

A5-1,2,3:仰るとおりです。次の機会から回答は1つだけにします。
(次の機会、というのは次のヴァージョンアップの時でしょう、多分)

長々と書きましたが、使い方次第で役立つツールだと思います。
それも調教者?次第か、と考えると自分の能力が試される懸念も・・・。
それでは、明日またお会いしましょう。

[Rosey]

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