シロガネヨシ(グラスパンパス?) 撮影日:2014/08/15 場所:幹線道路の舗道脇
今日の最終回、谷崎潤一郎から行こう
3番目の妻松子と結婚して、谷崎の女性遍歴も漸く落ち着いたようだ
以下、家族の写真、作品(青空文庫)などで結婚後の生涯を概観する
森田四姉妹(朝子・松子・重子・信子)と千萬子(重子の養子の妻)
谷崎と愛猫タイ(昭和12年頃)
孫のたをりと(昭和30年頃)
松子夫人愛用の光琳菊の蒔絵の琴
神戸の鎖瀾閣で三味線を弾く谷崎
棟方志功と谷崎潤一郎
棟方志功の版画表紙絵
『青空文庫』松子と結婚後の主な小説から
谷崎潤一郎は1965(昭和40)年、腎不全、心不全を併発し死去(享年80歳)
続いて佐藤春夫。
彼の生まれ故郷、和歌山県の新宮市、その観光案内の動画を観よう(14分程)
世界遺産の吉野・熊野があり、歴史や風光明媚な地域
開始後、6分42秒頃から40秒程、佐藤春夫記念館の案内がある
佐藤春夫は探偵小説や怪奇小説も得意だった
コーヒー好きとしても知られている
学生時代の話だが、次のような話がある
”公園のどこかで一休みすると、我々の足は申し合わせたように一斉に自然と新橋の方面に向かい、駅の待合室で一休みしつつ旅客たちを眺めたのち、「パウリスタ」に行ってコーヒー一杯にドーナツでいつまでも雑談に時をうつしていると、学校の仲間が追々とふえてくる。
みな正規の授業をすました上級生たちである。後年パリでエッチングの名家となった長谷川潔の、若い美しい妓とさし向いで人目につかぬ片隅に居るのを見かけたこともあった。芝公園を出て新橋駅待合室経由パウリスタというものが、我々の定期行路となっていた。~『詩文半世紀』より~”
このパウリスタというカフェは今も銀座にある
現在のパフェリスタ
佐藤春夫の若い頃は、上記の引用文にある公園=芝公園から歩いて30分ほど
Googleマップの経路だと以下の場所になる
1952(昭和27)年頃の佐藤春夫
私のお薦め青空文庫作品は以下の通り
1964(昭和39年)、自宅でラジオ録音中に心筋梗塞で逝去した(享年72歳)
佐藤春夫と谷崎潤一郎は今日で終わり、次回は対象を変える予定
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]