雨上がりの紫陽花ひと花。
さて、今日はヘレン・ハイド(HH)の3回目、最終回。
前回の終わり、フェノロッサや版元と、HHとの間に落とし穴が・・・と書いた。
その話から始めよう。
HHの木版画は、外国人女性が描くこともあって、評判が高まっていった。
が、版元の小林は規定量を大幅に超える量を摺って売った。
そして完売すると、HHに相談も断りも無く、版木を処分してしまった。
(私の推測だがフェノロッサと小林は初めからそう企んでいたのでは・・・)
HHはこれに凝りて二人と縁を切った。
そして、以後は自分で彫師と摺師を雇って、一緒に仕事をするようにした。
この頃、「方寸」の三人組が活動を始めている。(1907年)
4年で廃刊。彼らの目指した自画・自彫(刻)・自摺の新版画運動は沈滞する。
もし、HHが彼らの事を知って、一緒に活動したら・・・夢想に過ぎないか。
HHが一緒に仕事をした摺師は、三代目広重の摺師だった村田という人。
村田が刷ったと思われる広重の絵を見てみよう。
昔ながらの浮世絵も変わって来ていて、文明開化の雰囲気満載。
東京名所新橋ステンション・・・
次に、HHが終生の友と思っていたバーサ・ジャックのポートレートと作品2つ。
さて、HH(ヘレン・ハイド)の紹介も終わりが近づいた。
最後に1900年から1980年までの作品を、各年、一枚づつ掲載する。
(既に紹介済みも含む。1年2枚もある。作品の無い年もある)
長々とお付き合い有難うございました。
明日またお会いしましょう。
[Roasy]