今日から岡本太郎の対談集から離れるので タイトルを変更した
改めて俳人・金子兜太の幼少期からの人生を追いかけてみる
また 以下の逸話は兜太の著書等から 超々要約記述した
【屁糞の話】大正末期~昭和初め
兜太が小学校1~2年の時 秩父の祖父母の家に預けられていた
この祖父母が稀代の物臭者 といっても村人にとってはそれが当たり前
働いても大して金にならないので 人の褌で食っていこうというワケ
祖父もその典型でやるのは道楽だけ 祖母も家でごろごろしているだけ
よくしたもので 近所の連中が麦飯や汁を持って来て振舞ってくれる
ちゃっかり自分たちも一緒に食っちまうのだけれど・・・
広い農家だったから夜になると 村のみんなが集まって好き勝手をやる
そのうち食事が芋だの根菜だから腹にガスがたまる
そうすると "十ばかり 屁を棄に出る 夜永哉"(小林一茶) 状態になる
室内では憚られるから 代わる代わる庭に出て屁をこいて戻って来る
兜太の父元春は開業医 伊惜紅(いせきこう)の号を持つ俳人でもある
その父が詠んだ句に "元日や 餅で押し出す 去年糞"
"去年糞”って造語が面白く 糞尿愛好的環境が兜太の中にもあった
【秩父音頭と七五調】
父親が俳句以上に熱心だったのが "秩父音頭"の作り直しと宣伝普及
盆踊りや豊年踊りをもとに 歌詞を父 踊りを祖父が作り直したという
秩父音頭
この秩父音頭の七七七五調のリズムが小学生の淘汰に沁み込んだ
これが自分にとって大きく ずっと五七五を噛みしめることになった
【俺の男根】
秩父では男の生殖器の呼び方は年齢に応じて4つあった
(女性についても4通りあったらしいが 兜太は控えると書いている)
男の4つとは "ちんこ"(幼児) "ちんぼう"(少年) ”まら”(青年)
ここまではどこも似たようなものだろう それでは老年期は秩父で何と?
”ぎゅうない”~ぎゅうっと握ったら皴だけでなくなっちゃうから~だという
それで老齢になった兜太が詠んだ一句
"男根は 落ち鮎のごと 垂れにけり" 割りあい評判のいい句だったらしい
話が垂れたところで今日はお終い 続きは明日に
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]