名石神社・加藤社・十二石神社
2021/1/21(木) 晴/曇
今日の最高気温17°出発時の気温10°春本番のような陽気の中、10時半からポタリングに出る。
目的地は、岱明海床路と新塘。潮の干満の不安はあったが、取敢えず行ってみることにする。
新塘は、海床路が見れなかった時の目的地。
玉名市街地を通り国道501を超え、一路海岸線を目指す。
正面に雲仙岳を見て、左手に三ノ岳、二ノ岳、金峰山と熊本市側から見る逆並びの山並みを見ながら走る。
広がる田園地帯の中は、雲雀の囀りが聞こえ春を感じる。
松原海水浴場から先は海岸線から逸れて、清源寺方面に向かう。
途中、名石神社(写真5参照)の北側を通る。
この名石神社の北側の道(写真6参照)が、新塘かと思って来たがどうも違ったようだ。
加藤清正時代の干拓の遺跡はないかと清源寺周辺を探索すると、加藤社(写真7参照)があった。
鳥居を潜ると、蛇の目紋と桔梗紋の灯篭(写真8参照)がある。加藤清正を祭神とする社だ。
清正公指示による干拓で新地が広がり、地域開発に感謝して、加藤社を祀ったと思われる。
加藤社を後にして玉名方向に移動すると、十二石神社(写真9参照)と云う神社があったので立ち寄る。
祭神は、この大石(写真10参照)のようだ。
由緒書(写真11参照)によると「・・・景行天皇のくまそ征伐の際天皇のおきさき「美波迦斯比売命」とその従者、女官十二人が日向から後を追ってこられたが天皇はすでに都へ立たれたあとだったので嘆き悲しんで有明海に身を投じ、化身して海底の石となり大小十二石の御神体となられた。その後、加藤清正の行末塘の干拓に続く度々の干拓で海であった腹赤台地、沖之洲の間が塩田に利用されるようになり、御神体石が点々と現れたので恐れ多いと一か所に集め祭祀したのがこの十二石神社である。昭和62年12月名石神社」とある。
名石神社
2019/5/28(火) 曇/晴
今日の天候は、雨のち晴予報。
明け方降っていた雨もあがり、雲が明るさを増してきたので、午前9時半からポタリングに出る。
方向は北、玉名市、長洲町方面。
高瀬裏川を後にして、名石神社(写真4参照)に寄る。
神社には産土型神社と勧請型神社があるが、当社は産土型神社という。
拝殿右手の石に刻まれた歌二首(写真5参照)の碑がある。
「腹赤の贄(にえ)」の腹赤(はらか)とは、景行天皇九州巡航幸のおり献上された地元の魚の名前という。
拝殿左手に板碑(写真6参照)がある。
「いぼいしさん」と言われるイボとりの神様という。
その板碑の右手にひと際大きな石(写真7参照)がある。
ご神体である。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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