渦巻き

どこかいった記録など

金沢~

2014-04-13 17:47:25 | 旅行
3月15日    
         


     朝、6時半ごろから金沢城を目指して散歩。
     昨晩、雪が降ったらしくてうっすらと積もってきれい。

       道路はところどころ凍っている。

     
       

        
     
          石川四高記念館  
            
               この人たちは下駄はいてます。
       明治20年に、一高(東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)と全国に5校の高等中学校が設置された。
           赤レンガ造りの2階建ての建物は1891年山口半六と久留正道の設計。
                      
           日本人建築家の手による国内現存最古の本格西洋建築物として知られる。


           第四高等学校は石川県甲種医学校と石川県専門学校を母体とし1887年第四高等中学校として開校。



        そこから、石垣をぐるっとまわり
          

       

    門入口の坂には、凍結した道のために水がまかれていた。
                    
             
             
              三の丸の正門である   河北門(かほくもん)
      
   寒いけどね~散歩をしている方はいる。
        
         
           鶴丸倉庫
                   江戸時代末期の土蔵


     
              三十間長屋
          武具土蔵として利用された。      



   晴れてきたかな~と思ったらまた雪雲が、、、。 


          
                                                玉泉院丸跡の整備  平成27年春 完成予定らしい
        
         午後から晴れてきた。
         

                   金沢市本多町3丁目4番20号             



                    
           鈴木大拙館 

     鈴木大拙 
         
        第四高等中学校に進学し、西田幾多郎とも友人になりますが、大拙は学費が払えず、
        わずか3ヵ月あまりで退学し、能登の飯田小学校や美川小学校で英語の代用教員をします

        
        

         仏教学者として世界に仏教や東洋思想を発信し続けました           


                         
              自宅にこんな部屋があったら 、、   

              






   西田幾太郎記念哲学館 (にしだきたろう)  石川県かほく市内日角井1
    世界的な哲学者 西田幾太郎    西田哲学と呼ばれる独自の思想体系を確立した。
   
   
          
 
                                                西田幾多郎書斎「骨清窟」(こっせいくつ)
   
             
    京都帝国大学時代の居宅にあったものを移築。

       


 

          幾多郎は第四高等中学校で鈴木貞太郎(大拙)、藤岡作太郎と同級生で、「加賀の三たろう」と呼ばれています                           
          建築家安藤忠雄が「考えること」をテーマに設計した建物。      


         ここから あわら温泉へ~~
       

石川県~野々市市~末松廃寺跡

2014-04-13 17:46:16 | 旅行
3月14日   雨

  石川県  末松廃寺跡           国指定史跡
       野々市市末松

     夕方になってしまった。  雨の中だれもいない、、、。

       白鳳時代に創建され早くに廃絶した北陸最古の古代寺院跡
   
創建時の威容を保ったのはわずか半世紀ほどで、塔は9世紀末までに廃絶したと推定される。



           50年で倒壊、、、だとしたら法隆寺はすごいね!!!!
     
     
     


     末松廃寺を建立したのは、古墳時代後期には既に北加賀地方を支配していた道君の一族とも考えられている  
         
            
           国内で2例目の銀銭の和同開珎が採取された。          
            


        

             

              
                この地域は手取川の分流である安原川・郷用水系の流域で水利の便が良い。

                    
                    
                 加賀斎藤氏の宗家 林氏が在庁官人・拝師郷の郷司として本拠を置いた地域と目されている。
                 林氏嫡流は、承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇方についたため没落した。


             
             

              ここから金沢へ。