春休みは楽だ???

2012年04月01日 | Uの部屋

ゆうたろう作 ラクダ 

春休みに入って10日あまり。

10歳で早くも反抗期のゆうたろうの口癖は「だまってろ」

母はずっとだまって見ておりました。

 

午前中は一人でまったりゲームをしたり、DVDを見たり、

午後はお友達とあちらこちらで遊んでいる様子

今の時期たっぷり遊んでおいて欲しいと思うものの、

少しは本を読んだり、勉強をする姿もあって良いはず

 

ちまたでは、塾の『春期講習』なるものに通っている様子の

同じ位の年頃の子を見かける。

ついつい

「勉強だいじょうぶなの?」と言ってしまった

すると・・・

「俺は今どん底だから上がるしかないから大丈夫だよ

と屈託なく笑ってかわされてしまった

物は考えよう

やっぱり、

ああ言えばこうゆうたろうであった・・・

 

 


予言者?

2012年02月08日 | Uの部屋

数日前、「あの世から選ばれしスペシャリストゆうたろさまが帰って来たぞー」

と学校から帰宅

「みーんなスペシャリストとしてこの世に生まれ出たんだよ。

と私も切り返す。


とは言え、数年前まではゆうたろうには特別な能力が備わっていたように思う。

正確に言えば、太古には人間がみな持っていた能力が

退化せず備わっていたのかもしれない


震災の3年ほど前、まだゆうたろうが6歳のとある日、

私に向かってとても長い演説をした。

その口調は、まるでどこかの教祖さまかとおもわれるような口調で

とうとうと語った。

「天の神様と人間は見えない光でつながっている。」

「天の神様から心を分けてもらう。」

「頭で考えるより心で感じろ。」

「死んだ人は生きている人のバランスを取っている。」

「やりたいことをうかばせておけば成功する。」

命は大事というのを強調。

「おもちゃが壊れたとしても命さえあれば、やがてサンタさんが

またすてきなおもちゃを届けてくれる。

だから怒らない。」

(この辺のくだりは6歳の子という感じでしたが)

「たとえ体の一部がなくてもその他の部分を使って生活

することができる。」

「魂が死んだときは地獄行き。」

そして、

その後の言っている意味が当時の私には理解できなかった。

風車の事を説明していたのです。

「小さい風車を作ればいい。」

「1時間回っている風車小屋を作る。」

「2時間回っている風車小屋を作る。」

「中くらいの風車を作ればいい。」

など。

理解できなかったので、演説のあと慌てて走り書きをした時には

この程度しかメモ残せなかったのですが、

今思うと、

原発事故後の方向性を示した予言だったのかと

自転車とかランニングマシーンとかに取り付ける風力発電?(小さい風車)

家庭に取り付ける風力発電?(中位の風車)


その当時ゆうたろうは色々な音を拾いすぎて困っていました。

普通の人がキャッチ出来ないような音?情報?まで拾える

周波数を持っていたのかもしれません


小学校に入学してからはよくつむじをさわっていたので、なぜかと聞くと、

「先生と交信するため」

「みんながうるさすぎて先生の声が聞こえない」と。

(でもゆうたろうが1番うるさかったような


こんな感じで8歳頃までは数々の不思議な発言、行動等

が多かったのですが、今では、その音?情報?を聞く周波数に

合わなくなったようで、いたって普通の少年に成長しています


「ママはいつ死ぬの?」

とたまに聞いてくるので、予言者でない事は確かです


























受け継がれていくもの

2011年11月20日 | Uの部屋

 

息子の学校の展示会に行ってきました。

家ではまったく絵を描かないゆうたろうですが、

学校から持ち帰る絵や工作はかなりおもしろい。

本人は絵が苦手と思っている。

今回も誉めたが、「地味すぎた。」と一掃されてしまった

題名は『年をとったりゅう』

年をとっているのでじみな色を使いました。

りゅうの中にうずまきもようをかきました。

とあるが、地味になってしまったからこの題名をつけたのだろう

でもこの色使いアトリエ*カモミーユっぽい気がしなくもない。

来日中のブータン国王が、「みなさんの中に人格という竜がいます。

年を取って経験を積むほど竜は大きく強くなります。」

と被災地のこども達に話しかけられたそうだ。

顔立ち、着物のような民族服。

小さい頃、父から「ブータンは日本人のルーツかもしれない。」

と聞いていただけに、その国王の言葉は興味深い。

夕方、夫が出張先仙台から帰ってきました。

被災地はテレビで見ていた通りの光景だったそうですが、

不思議な事にぽつんぽつんとほこらや鳥居だけが残っていたと言います。

地域の方が昔から大事にされてきたのでしょうから、

もしかしたらそいうものだけ元通りに直されたのかもしれません。

もし流されずに残っていたとしたら、

人々の念の蓄積の重みがコンクリートの建造物を勝るほど

しっかりと根をおろしていたということでしょうか?

いずれにしても、竜の骨格を思わせるほこらや鳥居が残っているのなら

再生まちがいないと思いました。

受け継がれていくものの力を感じました

 

 

 

 

 

 


物の見え方について

2011年11月16日 | Uの部屋

小4の息子ゆうたろうが、道徳の時間に議長になったと言う。

「100%のみんながやりたがったからじゃんけんで決めたんだよ。」

「運が良かったね」と私。

「違うよ。相手の親指の形と動きを目力入れて見てたから勝ち進んだ。」

それじゃあまるでボクサーみたいだ。

ボクサーは鋭いパンチがスローモーションで見えると聞いた事がある。

学校の勉強はいまいちだが、生きていく力はあるようだ

私がジュエリーの世界に入って最初に身に着けた事は物の見方かもしれない。

高額商品などで非常に大きい物も稀にあるのだが、

(もちろん私の仕事ではなかった)大抵は場面が小さい

必然的に拡大鏡のお世話になる事も多い。

でもそれだけでは精密な作業はままならない。

まして小さい頃から不器用だった私に出来るはずがない

ではどうするか・・・頭の中で拡大するのです。

正確に言うと、頭の中で拡大する事が出来るようになったのです

例えば上から見て2センチほどの指輪を、

頭の中で20センチ位の巨大指輪にして作っていく。

必要ならば、作業箇所を頭の中でさらに拡大することも。

拡大した映像を頭に浮かべる事が出来るようになって、

不器用な私が精密な作品を作り、その嬉しさの積み重ねでここまできて

いるような感じがします。

「目で見ている映像は目で見た情報を脳に伝えて始めて、物が映像として認識されるんだって。」

というような事をあるテレビ番組を見たという息子が教えてくれました。

正確な情報、言い方ではないかもしれませんが

物を見るというのは、目の力だけでなく脳が相当量かかわっているという事なのでしょうか。

 

じゃんけん話しの後日談

おとなしい子のは見えたけど元気な子のは見えなかったそう

(スピードの違いですね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「へちまの観察」の必要性について

2011年08月25日 | Uの部屋

カモミーユの部屋 ブログ

息子の夏休みもあと1週間となりました。

最初は私と一緒に過ごせるのが嬉しいらしくべったりだったのが、しばらくするとそれにも飽き、また友達と児童館というパ

ターンに戻っていきました。私は仕事、彼は宿題と遊び。それなりに充実した日々でしたが、一つ問題が・・・

「へちまの観察」を2回学校でするという宿題。去年夏休みの終わりに行って、トマトが枯れていた苦い経験から、今年は観

察に行くよう早いうちからうながして来ました

ようやく昨日友達と約束して観察に行くことになりましたが、行く道々「なんでへちまの観察をしなきゃいけないんだ。」

「へちまの観察をしなくても生きていけると思う。」などとぶつぶつこの後に及んで納得していない様子

「こういう観察で興味を持った子はその道をすすんでいくんだよ。」と私もなんだか的を得ない返答をしてしまいました。

そういえば、へちまって今時の子たちの身近にないですよね

もしかしたら節電対策で、すだれ代わりにゴーヤやへちまを植えたお宅もあるかもしれませんが。

そんなこんなで見送った後ろ姿は、やる気の無さに満ちあふれ、約束の時間に学校に行き着くのだろうかと心配してしまっ

た程でした。そして出来上がったのがこれ

これが夏休み明けに教室に張り出されるかと思うと保護者会への道のりは足が重くなりそうです

ところで「へちまの観察」の必要性についてですが、夕飯準備中に遠からず答えが出ました

我が家の男性陣は割りと料理が好きです。息子は覚えた卵焼きをしばしば作ってくれるようになり、夕べは味噌汁を作って

くれました。以前野菜をゆでる時は「土の下に生えるものは水から、土の上に生えるものは、沸騰してから」と教えたので

「にらって土の下だっけ?」などと聞くのです。根がついていない状態で売られているとはいえ、どうやったら土の下にに

らが生えていると思うのでしょうか。

やはりへちまは一般的な野菜でないにしろ「植物の観察は必要だね。」と息子に話しました。息子も一瞬でもにらが土の下

に生えると思った事を恥ずかしく思ったようでした