油絵教室に通うとまず最初に勉強するのが石膏デッサンだ。鉛筆か木炭かは指導する先生によるが、私の通った教室では鉛筆だったが、とにかく石膏デッサンをさせられる。
これは要するに陰影をつける勉強である。正確には、絵を描くのに陰影をつけるという手法があることを知ってもらうのが目的である。つまり人間は、洋の東西を問わず、物を認識するときは、輪郭線、つまり線描でもって行うのである。人間は物を見るときにいちいちその陰影を捉えたりはしない。まずその外形を線で捉え、その形でもって危険かどうかを判断する。
動くものなのか、動かないものなのか。襲ってくるものなのか、襲ってこないものなのか。食べられるものなのか、食べられないものなのか。そうしたことを瞬時に判断できるのは、人間が複雑に陰影のついた奥行きのある現実の3Dの世界を、線描で捉えなおして奥行のない平面的な2Dの世界へ置き換えているからである。
そういうわけだから、いくら真っ白で陰影が捉えやすいからといっても(しかも動かずにじっとしてくれていても)、石膏デッサンがうまくできないのは当たり前なのである。せっかく人間の脳が自動的に、3Dの現実世界を2Dへ変換してくれているのに、それを無理やり3Dへ変換し直そうというのだから、大変な労力なのである。人間の現実認識にとって不自然なことを脳にさせているのだから無理もない。
石膏デッサンはそうした陰影をつけるという考え方を知ってもらうためのものなので、下手で構わないし、上達する必要もないと私は考える。最初の1枚で十分である。そういう考え方があると知りさえすれば、後はどうでもよい(しかしせっかく始めた石膏デッサンなので、あまりにも下手では困るから、油絵教室では数枚描くのが通例になっている)。だから逆に油絵だけに限らず、日本画も水墨画も最初は石膏デッサンをするべきである。良いも悪いもなく、そうした手法があるのを体験しておくことが大切。絵を描くのにいろいろな方法論があるのを知っておくのは極めて重要だ。
油絵教室では陰影のついた絵を是とするが、各自が自分の絵を追求する上で陰影は必須ではない。陰影をつけるのをやめて輪郭線を復活させるのか、輪郭線と陰影を両方用いるのかなど、最終的な判断は各自に任される。あんまり好き勝手に描くようなら、教室など通うべきではないでしょう。そうした絵は自宅で自分で追求すべし。
もしこの記事を読んでいる方で、油絵教室に通っていて、今は油絵を描いているけど最初やはり石膏デッサンをやって下手で、それが苦手意識になっている人がいたら、定期的に石膏デッサンをすることを勧めます。半年か年に1回で十分ですから石膏デッサンをしてみることです(画材店で石膏像を買うのが一番ですが、もし買えないなら画集や絵葉書などの石膏像の写真で十分です)。
そして描いたデッサンは必ず、たとえどんなに下手でも大事に取っておくこと(取っておかないと比較できないので、どれだけ上達したかわからない)。焦らずじっくり取り組んで下さい。数年後には必ず上達しています。私もかつてはそうしていました。私は石膏デッサンを「自己診断調書」と呼んで、その上達を楽しんでました。
ここで一つ注意事項を。ある程度上達したと感じたら、もうそれ以上はやらなくていいです。石膏デッサンばかりが上達しても意味がありません。石膏デッサンは、油絵制作者にとっての、ひとつの嗜みに過ぎません。あとは本番の油絵制作に傾注しましょう。それが建設的です。
まとめると、石膏デッサンは油絵を描くときに陰影をつける方法があると知ってもらうのが目的です。そして油絵教室ではこの陰影法を使って油絵を描くことを教えます。ですのである程度こうしたことができたら基本的に油絵教室は卒業です(もちろんその後もずっと通い続けても構いません)。
蛇足)石膏像は白いから陰影が捉えやすいのは事実ですが、実は石膏デッサンで使われる石膏像が胸像であることにも意味があると思っています。胸像、つまり人間の胸から上になるので、事実上顔を描くことになる。人間の顔を描くのが難しいのは、初心者でもわかります。これが案外重要なのではないかと。
真っ白ければいいなら、白い皿1枚、あるいは白く塗ったティシュペーパーの箱1箱でもいいのですが、こうしたものを最初に鉛筆デッサンして、それを描くのが難しいとわかったら(そしてそれは実際に難しいのですが)、初心者は嫌になって絵を描くのをやめてしまうでしょう。でも人の顔なら難しいということで初心者も納得できる、絵の先生も生徒を説得しやすい。こうした効能が石膏像にはあるんじゃないかと。
ちょっと皮肉めいた言説ですが、大いにあり得るんじゃないかと。だから逆に皿1枚、ティッシュペーパーの箱1箱(別にトイレットペーパーでもいいんですが)を描いてよ、とか言ってみて相手が嫌な顔をするようなら、その人はそれなりの絵の経験年数があるんじゃないかという。
絵画教室をしている先生方から石が飛んできそうですが、でも本当のところどうなんでしょう。絵画教室においては石膏像さまさま、なんじゃないかと思うんですが、油絵を描いている皆さん、どう思いますか。
これは要するに陰影をつける勉強である。正確には、絵を描くのに陰影をつけるという手法があることを知ってもらうのが目的である。つまり人間は、洋の東西を問わず、物を認識するときは、輪郭線、つまり線描でもって行うのである。人間は物を見るときにいちいちその陰影を捉えたりはしない。まずその外形を線で捉え、その形でもって危険かどうかを判断する。
動くものなのか、動かないものなのか。襲ってくるものなのか、襲ってこないものなのか。食べられるものなのか、食べられないものなのか。そうしたことを瞬時に判断できるのは、人間が複雑に陰影のついた奥行きのある現実の3Dの世界を、線描で捉えなおして奥行のない平面的な2Dの世界へ置き換えているからである。
そういうわけだから、いくら真っ白で陰影が捉えやすいからといっても(しかも動かずにじっとしてくれていても)、石膏デッサンがうまくできないのは当たり前なのである。せっかく人間の脳が自動的に、3Dの現実世界を2Dへ変換してくれているのに、それを無理やり3Dへ変換し直そうというのだから、大変な労力なのである。人間の現実認識にとって不自然なことを脳にさせているのだから無理もない。
石膏デッサンはそうした陰影をつけるという考え方を知ってもらうためのものなので、下手で構わないし、上達する必要もないと私は考える。最初の1枚で十分である。そういう考え方があると知りさえすれば、後はどうでもよい(しかしせっかく始めた石膏デッサンなので、あまりにも下手では困るから、油絵教室では数枚描くのが通例になっている)。だから逆に油絵だけに限らず、日本画も水墨画も最初は石膏デッサンをするべきである。良いも悪いもなく、そうした手法があるのを体験しておくことが大切。絵を描くのにいろいろな方法論があるのを知っておくのは極めて重要だ。
油絵教室では陰影のついた絵を是とするが、各自が自分の絵を追求する上で陰影は必須ではない。陰影をつけるのをやめて輪郭線を復活させるのか、輪郭線と陰影を両方用いるのかなど、最終的な判断は各自に任される。あんまり好き勝手に描くようなら、教室など通うべきではないでしょう。そうした絵は自宅で自分で追求すべし。
もしこの記事を読んでいる方で、油絵教室に通っていて、今は油絵を描いているけど最初やはり石膏デッサンをやって下手で、それが苦手意識になっている人がいたら、定期的に石膏デッサンをすることを勧めます。半年か年に1回で十分ですから石膏デッサンをしてみることです(画材店で石膏像を買うのが一番ですが、もし買えないなら画集や絵葉書などの石膏像の写真で十分です)。
そして描いたデッサンは必ず、たとえどんなに下手でも大事に取っておくこと(取っておかないと比較できないので、どれだけ上達したかわからない)。焦らずじっくり取り組んで下さい。数年後には必ず上達しています。私もかつてはそうしていました。私は石膏デッサンを「自己診断調書」と呼んで、その上達を楽しんでました。
ここで一つ注意事項を。ある程度上達したと感じたら、もうそれ以上はやらなくていいです。石膏デッサンばかりが上達しても意味がありません。石膏デッサンは、油絵制作者にとっての、ひとつの嗜みに過ぎません。あとは本番の油絵制作に傾注しましょう。それが建設的です。
まとめると、石膏デッサンは油絵を描くときに陰影をつける方法があると知ってもらうのが目的です。そして油絵教室ではこの陰影法を使って油絵を描くことを教えます。ですのである程度こうしたことができたら基本的に油絵教室は卒業です(もちろんその後もずっと通い続けても構いません)。
蛇足)石膏像は白いから陰影が捉えやすいのは事実ですが、実は石膏デッサンで使われる石膏像が胸像であることにも意味があると思っています。胸像、つまり人間の胸から上になるので、事実上顔を描くことになる。人間の顔を描くのが難しいのは、初心者でもわかります。これが案外重要なのではないかと。
真っ白ければいいなら、白い皿1枚、あるいは白く塗ったティシュペーパーの箱1箱でもいいのですが、こうしたものを最初に鉛筆デッサンして、それを描くのが難しいとわかったら(そしてそれは実際に難しいのですが)、初心者は嫌になって絵を描くのをやめてしまうでしょう。でも人の顔なら難しいということで初心者も納得できる、絵の先生も生徒を説得しやすい。こうした効能が石膏像にはあるんじゃないかと。
ちょっと皮肉めいた言説ですが、大いにあり得るんじゃないかと。だから逆に皿1枚、ティッシュペーパーの箱1箱(別にトイレットペーパーでもいいんですが)を描いてよ、とか言ってみて相手が嫌な顔をするようなら、その人はそれなりの絵の経験年数があるんじゃないかという。
絵画教室をしている先生方から石が飛んできそうですが、でも本当のところどうなんでしょう。絵画教室においては石膏像さまさま、なんじゃないかと思うんですが、油絵を描いている皆さん、どう思いますか。
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