新しいボトルについてオーラソーマ®アカデミーの
マイク学長からのフューチャーの公開です
「マブの女王、第一編」よりの抜粋
「見よ! 妖精の女王の馬車を!」これを私たちはオベロンとタイタニアとの直接的つながりとして見ることができます。オーラソーマの見方では7のリターンジャーニーは85、「最後の信仰が試される」、それは、この時期に人間が妖精の世界、この惑星のエーテル体の膜に目覚めることの重要性と関連します。パーシー・ビッシュ・シェリーの、「そして光の手綱に従順に静止する:呪文の女王が馬の手綱をやすめ」という表現は、私たちが自然との関わりや、自然の精霊との接点をどこで失ったのか、私たちがもたらす光の繊維網(フィラメント)を失ったことや、それらを育くまなくなったことについて見直すよう、マブの女王が200年後に私たちに促しているように思えます。エーテル体の乗物「この世のものとは思えない優美な乗物」という考えは、ボトルに関連して深みがあります。私たちが光の身体を発達させ、インナーチャイルドのヒーリングの潜在性に働きかけることで、インナーチャイルドこそが、エーテル体の膜、光のフィールド、妖精の世界に繋がる機会を持っています。この惑星の未来に関連して、ここでもう一度その繋がりができることが重要です。
言い換えれば、自分自身に変化を作りだすためには、私たちは、祖先から受け継いだものの結果に向き合わなければならないのです。このボトルは、自分が置かれた遺伝のコードに関連して、ジャッジの視点からではなく、祖先のルーツに入っていくことを私たちに求めています。私たちはこれらのチャレンジを成長のためのギフトや機会として捉えることができます。堆肥の比喩を用いれば、強い免疫性を持ち丈夫で健康な植物を育てるためには、そして前に進むためには、過去の状況をポジティブなあり方で評価する必要があります。
明るいマゼンタが示す小さきものに愛と注意を注ぐことで、すべては直ちに変化するとは考えないようにしましょう。根本的な変化をもたらすためには、この注意は長期間に亘って持続される必要があります。
私たちが、自分の行いに思いやりと注意をもたらすとき、内側から現れる光や、光の身体が発達するあり方に、真に違いを作ることができます。
ここでもオベロンとタイタニアに繋がっている感覚があります:炎の馬車、私たちが中間の世界、つまり無意識の傾向と私たちの内側でより意識的なものとの間にあるフィーリングの世界にいる時でさえも、そこには新しい夜明けがやって来る可能性があり、フィーリングとビーイングの間にある接点で、私たちは全てのボトルを見出します。「無限の色」、無数の色のすべてにあるシェード、それがまさに自分自身の意識の本質を明らかにすることができます。私たちが自分の魂の本質を理解できるように、マブの女王は、自分の魂の旅をより深く見つめる方向を、私たちに指し示しています。
意識と無意識の間に、私たちがヴィッキーのボトル、B5、イエロー/レッドを例にあげて説明する接点があります:フィーリングのビーイングと本能のビーイングの間にある接点です。
「マブの女王、第二編」よりの抜粋
「ダークブルーの海」は、私にとっては、このボトルの上層のロイヤルブルーを表しています。
ロイヤルブルー/ゴールドの関連性を通して、フィーリングのビーイングと本能のビーイングとの間の接点を通して、私たちは自分の上にあるものが何かを把握するようになります。このボトルがもたらす機会、パーシー・ビッシュ・シェリーによって非常にはっきりと描かれたマブの女王へのこの理解は、私たちが微細な領域に繋がる可能性です。
これらの島、私たちが得ることができるかもしれないイルミネーションもしくは光のこれらの感覚は、完全な理解のほんの一部でしかありません。意識の範囲は、単に光への願望に限られるのではなく、その全体像の理解、私たちに与えられている全体的視点の理解に私たちを至らせるすべてです。マブの女王は、大海に浮かぶ島ともいえる、光明を得ることへの渇望、完璧であることへの渇望を癒す可能性をもたらします。マブの女王と共にあることで、私たちには、私たちの気づきと気づきの欠落を統合する機会があります;意識の領域の中ではそれらの間に大きな違いはありません。その可能性を統合するためには、私たちがこの旅の途上で、自分自身に対する批判や判断をしないことです。
マインドの明晰な青空、「あの豪華なドーム」は、ロイヤルブルーを通した知覚の明晰さを見出すことのできるところであり、そこで思考やフィーリングの雲の背景にあるマインドの本質を見ることができ、そして全てのものとのワンネスに関連して自分のビーイングに真に至ることができます。「マブのエーテル世界の宮殿が与えるように」と表されたこの可能性は、このボトルがインナーチャイルドの方角を指すと同時に、光の身体は不変であるがゆえに、そのサポートに対する自信の感覚を持って、未知に立ち向かいながら崖っぷちに立つ感覚に向けて、インナーチャイルドを越えいく何かをもまた示しています。
私たち自身の幸福だけが大切なのではなく、私たちが他人のために何ができるのかも重要です。私たちが世界で他の人たちのためにできる貢献、私たちがそれをすれば、自分自身の内側で幸福感を認識します;それは自分自身の劣っている部分に自分が同一化しているところを克服する助けをします。私たちが提供できるたった一つの正当性は、私たちが小さな幸福感、多少の喜びを他者にもたらすときです。パーシー・ビッシュ・シェリーは、これを未来への秘密のひとつと表現します。精霊の世界、自然界の精霊、そしてその世界のあり方について私たちが理解を増すにつれて、私たちが自分の幸福感に出会い、地球のビーイングと繋がっているという自分の感覚を深める位置にいたることができます。
私たちのすべての熱情、偏見、興味、そこに私たちは非常に同一化し、これが私だ、これが私を表していると同一化しています。より意識的なビーイングであり、世界でより目覚めているために、光の身体の発達という観点から自分が誰であるかに関連して、これらの同一化には本当に意味があるのでしょうか?いいえ、自分の偏見に激しく同一化しているところは、私たちが光を見出す場所でも、自分自身の真実を見出す場所でも、真に幸福が存在する場所でもありません。
自分の行為に同一化しない代わりに、マゼンタのエネルギーを通して、自分のしていることをどのように行うかに注意をもたらしましょう。自分の行為に同一化することで得られる名声や重要性は、行為の中にもたらす質と比べると浅はかであり、私たちが質にシフトすることによって、そこに重きをおくことが取り除かれていくでしょう。
「マブの女王、第三編」よりの抜粋
パーシー・ビッシュ・シェリーは、人間がどのように自然の精霊から離れ、実際に離れてしまったかを認識していました。マブの女王、妖精の世界の女王が呼び起こされる必要があること、自然界の精霊が呼び戻される必要がある感覚、さもなければ、真にポジティブなシフトは起こりえないことを、彼の時代でさえも彼は既に知っていました。私たちの魂の崇高さという観点から、何が人間を偉大にし、何が人間をおろかにするのかを知っていました。
ロイヤルブルーの持つ側面のひとつは、自分に見えるものよりも見えないものに関連します。私たちは、自分が直面している問題すべてに目を向けてしまい、自分の目前にあるものに盲目になり、解決策が見えないことがあります。転生のひとつは、魂の生においては単なるまばたきに等しいのです。今生においてすべてに急ごうとせず、ただ一瞬一瞬に自分にできる最善を尽くしましょう。自分が準備し知覚することを通して自然の精霊につながりましょう。そうすることで、その思いやりと注意を通して、魂の生において小さく一歩一歩を積み上げていく可能性があります。
自分の魂、幸福、協調して善をなそうとする力に背くことが、地球の自然の秩序において、あたかも罰せられるかのように思える-それは、魂のために精霊たちが働きかけるあり方の一例です。
これもまた、何かに対してあまりにも自説に固執し、他人の見解を見ようとオープンにならないことに関連します。自然の法則、マブの女王とともに私たちが見ているものに関して、私たちは一体どこで、自分自身に対してこれらの法則を侵しているのでしょうか。その時代に流布していた、作家そして詩人としての彼が最大に宣言していたことのひとつは、菜食主義に関するものでした。人間にとって肉を食べるのは重要ではないことを、彼は真に世間に知らしめたかったのです。ベジタリアンであることの道徳的、生態学的(環境的)そして社会政治的な見解を深く理解したいと思う人には、シェリーの菜食主義に関する宣言を読むことを薦めます。
私にとっては、それは私たちがいる今の時代を示しているように思えます。私たちはこの闘争の状況を選んだのでしょうか、現時点で世界を舞台に現れている状況すべてを私たちは選んだのでしょうか、それとも私たちは平和と調和の可能性を選ぶのでしょうか。それはどこから始まるのでしょうか?それは疑いもなく、私たち自身から始まっているはずです。この深いブルー、この明るいマゼンタが、すべてに対して私たちが下す判断(ジャッジ)を保留し、平和の深い感覚と内なる愛を見出すために、ヒーリングの可能性を指し示しています。
愛と光と共に
原文
Extracts from ‘Queen Mab, Canto I’
‘Behold the chariot of the Fairy Queen!’ we could see this as a direct connection with Oberon and Titania, from the Aura-Soma point of view the return journey of the 7 being the 85, the final test of faith and how it is critical in this time that humanity awakens to the fairy realm, the ethereal web of the planet. What Percy Bysshe affirms with, ‘And stop obedient to the reins of light: These the Queen of Spells drew in’, is like Queen Mab asking us now, 200 years later, to look at where we’ve lost touch with nature, where we’ve lost touch with the spirit within nature, that we’ve lost the light filaments within which we operate - not being nurtured in the way in which they should. The idea of the ethereal vehicle, ‘the ethereal car’ is also profound in relation to the bottle. If we develop our light body and work on the potential healing of the inner child then our inner child is the one that has the opportunity to connect with the etheric web, the light field and the fairy realm. It is important in relation to the future of the planet, that that reconnection is made.
In other words the consequence of what we’ve received ancestrally is what it is that we need to face in terms of making a change for ourselves, this bottle asks us to penetrate our ancestral roots in relation to the genetic codes within which we find ourselves but not from a judgemental point of view, we can see these challenges as gifts and opportunities for growth. Using the compost analogy, to be able to grow a strong and healthy plant with a strong immune system, we need to be able to assess the past situation in a positive way to be able to move forwards.
Don’t let’s think that by putting the love and attention in the little things as in the bright Magenta that everything is going to change immediately. To make a radical difference this attention needs sustaining over a long period of time.
When we put the care and the attention in to whatever it is that we do, we are able to really make a difference to the emergence of the light from within and how the light body develops.
Again referring to that sense of connection with Oberon and Titania: the fiery chariot, even when we’re in the intermediate world, the world of feelings between the unconscious tendencies and what’s more conscious within ourselves, there’s the possibility of the new dawn to come about, the interface between the feeling and the being and it’s there that we find all of the bottles. ‘The infinite colour’, the shades within all the myriad of colours and can identify the nature of our very own consciousness. Queen Mab is pointing us towards looking deeper into our soul journeys to be able to come to an understanding of our soul nature.
Between what’s conscious and what’s unconscious there is this interface that we talk about with Vicky’s bottle, B5, Yellow/Red: the interface between the feeling being and the instinctual being.
Extracts from ‘Queen Mab, Canto II’
The ‘dark blue sea’ signifies to me the Royal Blue in the upper fraction of the bottle.
Through the Royal Blue/Gold connection we make the interface between the feeling being and the instinctual being and we can get the perception of what’s above us. The opportunity of this bottle, this understanding of Queen Mab, laid out very clearly by Percy Bysshe Shelley, is the possibility of connection with the subtle realms.
These islands, these senses of illumination or light that we may gain are a fraction of the full understanding. The extent of consciousness is not limited to the desire of just the light it’s also all that brings us to the understanding of the whole picture, the whole perspective that we’re offered. Queen Mab is healing the possibility of craving for enlightenment, the craving for being perfect, islands in the oceans of consciousness. The opportunity we have with Queen Mab is to integrate our awareness and lack of awareness; they are not so different in the field of consciousness, to integrate that possibility, to not be judgemental with ourselves whilst it is that we’re on this journey.
This clear blue sky of mind, ‘that gorgeous dome’, where it is that we can find the clarity of perception through the Royal Blue to be able to see the nature of mind behind the clouds of thoughts or feelings and to really come to our being in relation to the oneness with all that is. It’s a possibility and it’s described, ‘as Mab’s ethereal palace could afford’ it’s how it is that this bottle points in the direction that the inner child, and also something that extends beyond the inner child towards that sense of being at the edge of the cliff facing the unknown with a sense of confidence of the support because the light body is unchanging.
It’s not our own happiness that’s important per se it’s also what it is we can do for another, as we move through the world the contribution we can make for others, if we do so there’s a recognition of happiness within ourselves; it helps us to overcome where we’ve identified with less than the best of ourselves. The only validity we can offer is when we bring a little happiness, a little joy to another. Percy Bysshe Shelley describes this as one the secrets for the future. As we get closer to the understanding of the spirit realm, the spirit in nature and how it is that that grows it brings us to a place where we can meet our own happiness, and deepen our own sense of connectivity with the being of the Earth.
All our passions, prejudices, interests, where we get so identified, this is who I am, this is representing me, do they really have meaning in relation to who we are in terms of the development of the light body to be more conscious beings, to be more awake in the world? Not really, the identification with the vehemence of our prejudice is not where we’re going to find light or where we find the truth for ourselves, nor where it is that happiness really lies.
Let’s not be concerned with the identity we put into what we do but bring the attention through that Magenta energy in to how we do what we do, that qualitative shift takes away the importance of how it is that fame or importance of identity in what we do are shallow relative to the quality that we bring to whatever it is that we do.
Extracts from ‘Queen Mab, Canto III’
Percy Bysshe Shelley recognised how man moves away and has moved away from the spirit of nature, how Queen Mab needs to be recalled, the Queen of the Fairy realm, the sense that spirit in nature needs to be recalled, otherwise, even in his time he recognised that true positive shifts cannot come about. What makes man great and what makes him stupid in the context of the preparation for the loftiness of our soul.
An aspect of the Royal Blue is that which we don’t see as well as what we can. We can be blind to what’s directly in front of us and unable to see the solution rather than all of the problems that we face. Each life is only a blink in the life of the soul. Let’s not be in such a hurry to everything in this life, let’s just do the best we can moment to moment, let’s be in touch with the spirit in nature, through what it is that we prepare and perceive so that then it is through that care and attention there’s the possibility, there’s little incremental steps that can be made in the life of the soul.
As if transgressing our soul, our happiness, our ability to do good in cooperation was punished in the natural order of the Earth, such an example or how devas work on behalf of the soul.
This again is about that being too opinionated towards what it is and not being open to see the point of view of another. Nature’s law, what it is that we’re also looking at with Queen Mab, where do we transgress these laws with ourselves. One of his biggest treaties as an author, as a poet, that was really out there at the time was his treaties on vegetarianism, how it was that he really wanted to put it out there that eating meat was not something that was important for human beings. I really recommend that anyone who wants to look into a deep understanding of the moral and ecological and almost socio-political view for vegetarian read his treaties on vegetarianism.
It’s almost like to me, pointing towards the time that we’re in, do we choose that situation of conflict and do we choose that situation which is all that we see manifesting on the world stage at the moment or do we choose the possibility of peace and harmony. Where does that start? Surely it has to start within ourselves, that deep Blue, that bright Magenta, pointing towards the healing possibility of how it is that we might find that deeper sense of peace, that love within ourselves that suspends the judgment that we make on all sorts of things.
For the Mayan interpretation of B116, please click here
With Love and Light
マイク学長からのフューチャーの公開です
「マブの女王、第一編」よりの抜粋
見よ! 妖精の女王の馬車を!
天上の駿馬が応じない空気を前足でたたき
彼女の指揮のもと 透けるように薄い旗をたたみ
そして光の手綱に従順に静止する
呪文の女王が馬の手綱をやすめ
その場所にまじないをかけて
この世のものとは思えない優美な乗物から優雅に身を乗りだす
天上の駿馬が応じない空気を前足でたたき
彼女の指揮のもと 透けるように薄い旗をたたみ
そして光の手綱に従順に静止する
呪文の女王が馬の手綱をやすめ
その場所にまじないをかけて
この世のものとは思えない優美な乗物から優雅に身を乗りだす
「見よ! 妖精の女王の馬車を!」これを私たちはオベロンとタイタニアとの直接的つながりとして見ることができます。オーラソーマの見方では7のリターンジャーニーは85、「最後の信仰が試される」、それは、この時期に人間が妖精の世界、この惑星のエーテル体の膜に目覚めることの重要性と関連します。パーシー・ビッシュ・シェリーの、「そして光の手綱に従順に静止する:呪文の女王が馬の手綱をやすめ」という表現は、私たちが自然との関わりや、自然の精霊との接点をどこで失ったのか、私たちがもたらす光の繊維網(フィラメント)を失ったことや、それらを育くまなくなったことについて見直すよう、マブの女王が200年後に私たちに促しているように思えます。エーテル体の乗物「この世のものとは思えない優美な乗物」という考えは、ボトルに関連して深みがあります。私たちが光の身体を発達させ、インナーチャイルドのヒーリングの潜在性に働きかけることで、インナーチャイルドこそが、エーテル体の膜、光のフィールド、妖精の世界に繋がる機会を持っています。この惑星の未来に関連して、ここでもう一度その繋がりができることが重要です。
私は妖精マブ
人間世界の不思議を守るべく
私に与えられた
計り知れない過去の秘密
尽きることのない人間の良心の中で
厳格に、ありのままを記録した者たち
私は見いだす
未来、それは過去の出来事から生まれる
私は集める
人間の利己的な硬い心の中で
懲罰的な記憶が植え付ける痛みでなく
人間世界の不思議を守るべく
私に与えられた
計り知れない過去の秘密
尽きることのない人間の良心の中で
厳格に、ありのままを記録した者たち
私は見いだす
未来、それは過去の出来事から生まれる
私は集める
人間の利己的な硬い心の中で
懲罰的な記憶が植え付ける痛みでなく
言い換えれば、自分自身に変化を作りだすためには、私たちは、祖先から受け継いだものの結果に向き合わなければならないのです。このボトルは、自分が置かれた遺伝のコードに関連して、ジャッジの視点からではなく、祖先のルーツに入っていくことを私たちに求めています。私たちはこれらのチャレンジを成長のためのギフトや機会として捉えることができます。堆肥の比喩を用いれば、強い免疫性を持ち丈夫で健康な植物を育てるためには、そして前に進むためには、過去の状況をポジティブなあり方で評価する必要があります。
充実した日の思考と行動は
私には予期されておらず、記録もされていない
私には予期されておらず、記録もされていない
明るいマゼンタが示す小さきものに愛と注意を注ぐことで、すべては直ちに変化するとは考えないようにしましょう。根本的な変化をもたらすためには、この注意は長期間に亘って持続される必要があります。
それでも私にはゆるされている
死ぬ運命のはかなさのベールを引き裂き
不変の純粋さをまとうスピリットは
知っているかもしれない
死ぬ運命のはかなさのベールを引き裂き
不変の純粋さをまとうスピリットは
知っているかもしれない
私たちが、自分の行いに思いやりと注意をもたらすとき、内側から現れる光や、光の身体が発達するあり方に、真に違いを作ることができます。
馬車の炎のわだち
そして朝の灰色の光が
夜明けを天蓋のように覆う
綿のような雲にかすかに色合いをつけ
どうやら、馬車の行く道は
巨大なくぼ地のまっただ中を横ぎっている
何百万もの星座で光り輝き
無限の色のシェードでかすかに色づけられ
ベルトで半円形に囲まれ
絶え間のない流星がきらめく
そして朝の灰色の光が
夜明けを天蓋のように覆う
綿のような雲にかすかに色合いをつけ
どうやら、馬車の行く道は
巨大なくぼ地のまっただ中を横ぎっている
何百万もの星座で光り輝き
無限の色のシェードでかすかに色づけられ
ベルトで半円形に囲まれ
絶え間のない流星がきらめく
ここでもオベロンとタイタニアに繋がっている感覚があります:炎の馬車、私たちが中間の世界、つまり無意識の傾向と私たちの内側でより意識的なものとの間にあるフィーリングの世界にいる時でさえも、そこには新しい夜明けがやって来る可能性があり、フィーリングとビーイングの間にある接点で、私たちは全てのボトルを見出します。「無限の色」、無数の色のすべてにあるシェード、それがまさに自分自身の意識の本質を明らかにすることができます。私たちが自分の魂の本質を理解できるように、マブの女王は、自分の魂の旅をより深く見つめる方向を、私たちに指し示しています。
魔法の乗物は進み続ける
目的地に近づくにつれて
駿馬はスピードを上げる
海はもう大地と区別できない
目的地に近づくにつれて
駿馬はスピードを上げる
海はもう大地と区別できない
意識と無意識の間に、私たちがヴィッキーのボトル、B5、イエロー/レッドを例にあげて説明する接点があります:フィーリングのビーイングと本能のビーイングの間にある接点です。
「マブの女王、第二編」よりの抜粋
はるか遠くにある羽のようなゴールドの雲が
もっとも深いパープルで陰影がつけられ
まるでダークブルーの海に浮かぶ島のようだ
もっとも深いパープルで陰影がつけられ
まるでダークブルーの海に浮かぶ島のようだ
「ダークブルーの海」は、私にとっては、このボトルの上層のロイヤルブルーを表しています。
そして汝の想像力は大地のはるか上に舞い上がり
疲れた羽をたたむ
妖精の神殿の中で
疲れた羽をたたむ
妖精の神殿の中で
ロイヤルブルー/ゴールドの関連性を通して、フィーリングのビーイングと本能のビーイングとの間の接点を通して、私たちは自分の上にあるものが何かを把握するようになります。このボトルがもたらす機会、パーシー・ビッシュ・シェリーによって非常にはっきりと描かれたマブの女王へのこの理解は、私たちが微細な領域に繋がる可能性です。
しかし黄金の島ではなく
彼方にある光に溢れ輝いている
彼方にある光に溢れ輝いている
これらの島、私たちが得ることができるかもしれないイルミネーションもしくは光のこれらの感覚は、完全な理解のほんの一部でしかありません。意識の範囲は、単に光への願望に限られるのではなく、その全体像の理解、私たちに与えられている全体的視点の理解に私たちを至らせるすべてです。マブの女王は、大海に浮かぶ島ともいえる、光明を得ることへの渇望、完璧であることへの渇望を癒す可能性をもたらします。マブの女王と共にあることで、私たちには、私たちの気づきと気づきの欠落を統合する機会があります;意識の領域の中ではそれらの間に大きな違いはありません。その可能性を統合するためには、私たちがこの旅の途上で、自分自身に対する批判や判断をしないことです。
羽のようなカーテンが
太陽の輝きのあるところに広がり
つややかな大海の波が
あの豪華なドームを飾る
誠に美しく、誠に素晴らしい光景
マブのエーテル世界の宮殿が与えるように
太陽の輝きのあるところに広がり
つややかな大海の波が
あの豪華なドームを飾る
誠に美しく、誠に素晴らしい光景
マブのエーテル世界の宮殿が与えるように
マインドの明晰な青空、「あの豪華なドーム」は、ロイヤルブルーを通した知覚の明晰さを見出すことのできるところであり、そこで思考やフィーリングの雲の背景にあるマインドの本質を見ることができ、そして全てのものとのワンネスに関連して自分のビーイングに真に至ることができます。「マブのエーテル世界の宮殿が与えるように」と表されたこの可能性は、このボトルがインナーチャイルドの方角を指すと同時に、光の身体は不変であるがゆえに、そのサポートに対する自信の感覚を持って、未知に立ち向かいながら崖っぷちに立つ感覚に向けて、インナーチャイルドを越えいく何かをもまた示しています。
他の人々を幸福にすることを学びなさい
来たれ、精霊よ!
これが汝の大きな報酬:―過去がよみがえり
汝は今を見よ
未来の秘密を伝授しよう
妖精と精霊が
張り出している胸壁に近づいた
来たれ、精霊よ!
これが汝の大きな報酬:―過去がよみがえり
汝は今を見よ
未来の秘密を伝授しよう
妖精と精霊が
張り出している胸壁に近づいた
私たち自身の幸福だけが大切なのではなく、私たちが他人のために何ができるのかも重要です。私たちが世界で他の人たちのためにできる貢献、私たちがそれをすれば、自分自身の内側で幸福感を認識します;それは自分自身の劣っている部分に自分が同一化しているところを克服する助けをします。私たちが提供できるたった一つの正当性は、私たちが小さな幸福感、多少の喜びを他者にもたらすときです。パーシー・ビッシュ・シェリーは、これを未来への秘密のひとつと表現します。精霊の世界、自然界の精霊、そしてその世界のあり方について私たちが理解を増すにつれて、私たちが自分の幸福感に出会い、地球のビーイングと繋がっているという自分の感覚を深める位置にいたることができます。
なんと素晴らしい!
最も低次のビーイングを動かす
熱情、偏見、興味さえも
最も繊細な神経を動かすソフトなタッチでも
ひとりの人間の脳みそに
かすかな考えを浮かばせ、
自然の大きな鎖のリンクのひとつになる
最も低次のビーイングを動かす
熱情、偏見、興味さえも
最も繊細な神経を動かすソフトなタッチでも
ひとりの人間の脳みそに
かすかな考えを浮かばせ、
自然の大きな鎖のリンクのひとつになる
私たちのすべての熱情、偏見、興味、そこに私たちは非常に同一化し、これが私だ、これが私を表していると同一化しています。より意識的なビーイングであり、世界でより目覚めているために、光の身体の発達という観点から自分が誰であるかに関連して、これらの同一化には本当に意味があるのでしょうか?いいえ、自分の偏見に激しく同一化しているところは、私たちが光を見出す場所でも、自分自身の真実を見出す場所でも、真に幸福が存在する場所でもありません。
見よ!快楽が微笑んだ場所を
今 残っているものは何か?
無意味さと恥の記憶
そこで不滅なのは一体何?
何も無い
哀愁のストーリーを語るのみ
不気味な注意の喚起
すぐに忘却が静かに忍び寄る
その名声の名残り
今 残っているものは何か?
無意味さと恥の記憶
そこで不滅なのは一体何?
何も無い
哀愁のストーリーを語るのみ
不気味な注意の喚起
すぐに忘却が静かに忍び寄る
その名声の名残り
自分の行為に同一化しない代わりに、マゼンタのエネルギーを通して、自分のしていることをどのように行うかに注意をもたらしましょう。自分の行為に同一化することで得られる名声や重要性は、行為の中にもたらす質と比べると浅はかであり、私たちが質にシフトすることによって、そこに重きをおくことが取り除かれていくでしょう。
「マブの女王、第三編」よりの抜粋
妖精よ! 精霊は言った
この世のものではない瞳を
呪文の女王に向けて
私は汝に感謝する
汝は恵みを与え 私はそれをあきらめない
そして忘れえない教えをほどこした
過去を知り、そこから私は学び取ろうとする
未来への警告、人間が
自分の誤りから恩恵を受けえるように
この世のものではない瞳を
呪文の女王に向けて
私は汝に感謝する
汝は恵みを与え 私はそれをあきらめない
そして忘れえない教えをほどこした
過去を知り、そこから私は学び取ろうとする
未来への警告、人間が
自分の誤りから恩恵を受けえるように
パーシー・ビッシュ・シェリーは、人間がどのように自然の精霊から離れ、実際に離れてしまったかを認識していました。マブの女王、妖精の世界の女王が呼び起こされる必要があること、自然界の精霊が呼び戻される必要がある感覚、さもなければ、真にポジティブなシフトは起こりえないことを、彼の時代でさえも彼は既に知っていました。私たちの魂の崇高さという観点から、何が人間を偉大にし、何が人間をおろかにするのかを知っていました。
マブ
偉大なる精霊よ 汝の向きを変えよ!
まだまだ多くのことが解明されずにいる
汝は人間の偉大さを知っている
汝はそのおろかさも知っている
それでも人とは何かを学びたもう
その崇高な運命を学びたもう
たゆむことのない時間が
命あるすべての魂を準備させる
偉大なる精霊よ 汝の向きを変えよ!
まだまだ多くのことが解明されずにいる
汝は人間の偉大さを知っている
汝はそのおろかさも知っている
それでも人とは何かを学びたもう
その崇高な運命を学びたもう
たゆむことのない時間が
命あるすべての魂を準備させる
ロイヤルブルーの持つ側面のひとつは、自分に見えるものよりも見えないものに関連します。私たちは、自分が直面している問題すべてに目を向けてしまい、自分の目前にあるものに盲目になり、解決策が見えないことがあります。転生のひとつは、魂の生においては単なるまばたきに等しいのです。今生においてすべてに急ごうとせず、ただ一瞬一瞬に自分にできる最善を尽くしましょう。自分が準備し知覚することを通して自然の精霊につながりましょう。そうすることで、その思いやりと注意を通して、魂の生において小さく一歩一歩を積み上げていく可能性があります。
自分の魂、幸福、協調して善をなそうとする力に背くことが、地球の自然の秩序において、あたかも罰せられるかのように思える-それは、魂のために精霊たちが働きかけるあり方の一例です。
彼の眠りはさまざまな苦難でしかない
それらはさそりのように生命の春を餌食にする
過ちを犯したものを罰する
地獄の堅固な枠は不要だ
地上そのものが同時に悪と治療を含んでいる
そしてすべてに十分な自然が戒める
彼女の法則を犯すものを
彼女は単に知っている
如何に公正にあやまちに比例し
値する罰をあてがうかを
それらはさそりのように生命の春を餌食にする
過ちを犯したものを罰する
地獄の堅固な枠は不要だ
地上そのものが同時に悪と治療を含んでいる
そしてすべてに十分な自然が戒める
彼女の法則を犯すものを
彼女は単に知っている
如何に公正にあやまちに比例し
値する罰をあてがうかを
これもまた、何かに対してあまりにも自説に固執し、他人の見解を見ようとオープンにならないことに関連します。自然の法則、マブの女王とともに私たちが見ているものに関して、私たちは一体どこで、自分自身に対してこれらの法則を侵しているのでしょうか。その時代に流布していた、作家そして詩人としての彼が最大に宣言していたことのひとつは、菜食主義に関するものでした。人間にとって肉を食べるのは重要ではないことを、彼は真に世間に知らしめたかったのです。ベジタリアンであることの道徳的、生態学的(環境的)そして社会政治的な見解を深く理解したいと思う人には、シェリーの菜食主義に関する宣言を読むことを薦めます。
復習と殺人……そして理性の声が
自然の声と同じように大きくなるとき
国々を目覚めさせ 人類は知覚する
悪とは不和、戦争、窮乏であり
美徳とは平和、幸福、調和であることを
人間のより成熟した本質が
子供時代のおもちゃを拒否するとき
王のにらみのような視線、その権威は圧倒する力を失う
自然の声と同じように大きくなるとき
国々を目覚めさせ 人類は知覚する
悪とは不和、戦争、窮乏であり
美徳とは平和、幸福、調和であることを
人間のより成熟した本質が
子供時代のおもちゃを拒否するとき
王のにらみのような視線、その権威は圧倒する力を失う
私にとっては、それは私たちがいる今の時代を示しているように思えます。私たちはこの闘争の状況を選んだのでしょうか、現時点で世界を舞台に現れている状況すべてを私たちは選んだのでしょうか、それとも私たちは平和と調和の可能性を選ぶのでしょうか。それはどこから始まるのでしょうか?それは疑いもなく、私たち自身から始まっているはずです。この深いブルー、この明るいマゼンタが、すべてに対して私たちが下す判断(ジャッジ)を保留し、平和の深い感覚と内なる愛を見出すために、ヒーリングの可能性を指し示しています。
愛と光と共に
原文
Extracts from ‘Queen Mab, Canto I’
Behold the chariot of the Fairy Queen!
Celestial coursers paw the unyielding air;
Their filmy pennons at her word they furl,
And stop obedient to the reins of light:
These the Queen of Spells drew in,
She spread a charm around the spot,
And leaning graceful from the ethereal car,
Celestial coursers paw the unyielding air;
Their filmy pennons at her word they furl,
And stop obedient to the reins of light:
These the Queen of Spells drew in,
She spread a charm around the spot,
And leaning graceful from the ethereal car,
‘Behold the chariot of the Fairy Queen!’ we could see this as a direct connection with Oberon and Titania, from the Aura-Soma point of view the return journey of the 7 being the 85, the final test of faith and how it is critical in this time that humanity awakens to the fairy realm, the ethereal web of the planet. What Percy Bysshe affirms with, ‘And stop obedient to the reins of light: These the Queen of Spells drew in’, is like Queen Mab asking us now, 200 years later, to look at where we’ve lost touch with nature, where we’ve lost touch with the spirit within nature, that we’ve lost the light filaments within which we operate - not being nurtured in the way in which they should. The idea of the ethereal vehicle, ‘the ethereal car’ is also profound in relation to the bottle. If we develop our light body and work on the potential healing of the inner child then our inner child is the one that has the opportunity to connect with the etheric web, the light field and the fairy realm. It is important in relation to the future of the planet, that that reconnection is made.
I am the Fairy MAB: to me ’tis given
The wonders of the human world to keep:
The secrets of the immeasurable past,
In the unfailing consciences of men,
Those stern, unflattering chroniclers, I find:
The future, from the causes which arise
In each event, I gather: not the sting
Which retributive memory implants
In the hard bosom of the selfish man;
The wonders of the human world to keep:
The secrets of the immeasurable past,
In the unfailing consciences of men,
Those stern, unflattering chroniclers, I find:
The future, from the causes which arise
In each event, I gather: not the sting
Which retributive memory implants
In the hard bosom of the selfish man;
In other words the consequence of what we’ve received ancestrally is what it is that we need to face in terms of making a change for ourselves, this bottle asks us to penetrate our ancestral roots in relation to the genetic codes within which we find ourselves but not from a judgemental point of view, we can see these challenges as gifts and opportunities for growth. Using the compost analogy, to be able to grow a strong and healthy plant with a strong immune system, we need to be able to assess the past situation in a positive way to be able to move forwards.
The thoughts and actions of a well-spent day,
Are unforeseen, unregistered by me:
Are unforeseen, unregistered by me:
Don’t let’s think that by putting the love and attention in the little things as in the bright Magenta that everything is going to change immediately. To make a radical difference this attention needs sustaining over a long period of time.
And it is yet permitted me, to rend
The veil of mortal frailty, that the spirit
Clothed in its changeless purity, may know
The veil of mortal frailty, that the spirit
Clothed in its changeless purity, may know
When we put the care and the attention in to whatever it is that we do, we are able to really make a difference to the emergence of the light from within and how the light body develops.
The chariot's fiery track,
And the grey light of morn
Tinging those fleecy clouds
That canopied the dawn.
Seemed it, that the chariot's way
Lay through the midst of an immense concave,
Radiant with million constellations, tinged
With shades of infinite colour,
And semicircled with a belt
Flashing incessant meteors.
And the grey light of morn
Tinging those fleecy clouds
That canopied the dawn.
Seemed it, that the chariot's way
Lay through the midst of an immense concave,
Radiant with million constellations, tinged
With shades of infinite colour,
And semicircled with a belt
Flashing incessant meteors.
Again referring to that sense of connection with Oberon and Titania: the fiery chariot, even when we’re in the intermediate world, the world of feelings between the unconscious tendencies and what’s more conscious within ourselves, there’s the possibility of the new dawn to come about, the interface between the feeling and the being and it’s there that we find all of the bottles. ‘The infinite colour’, the shades within all the myriad of colours and can identify the nature of our very own consciousness. Queen Mab is pointing us towards looking deeper into our soul journeys to be able to come to an understanding of our soul nature.
The magic car moved on.
As they approached their goal
The coursers seemed to gather speed;
The sea no longer was distinguished; earth
As they approached their goal
The coursers seemed to gather speed;
The sea no longer was distinguished; earth
Between what’s conscious and what’s unconscious there is this interface that we talk about with Vicky’s bottle, B5, Yellow/Red: the interface between the feeling being and the instinctual being.
Extracts from ‘Queen Mab, Canto II’
When those far clouds of feathery gold,
Shaded with deepest purple, gleam
Like islands on a dark blue sea;
Shaded with deepest purple, gleam
Like islands on a dark blue sea;
The ‘dark blue sea’ signifies to me the Royal Blue in the upper fraction of the bottle.
Then has thy fancy soared above the earth,
And furled its wearied wing
Within the Fairy's fane.
And furled its wearied wing
Within the Fairy's fane.
Through the Royal Blue/Gold connection we make the interface between the feeling being and the instinctual being and we can get the perception of what’s above us. The opportunity of this bottle, this understanding of Queen Mab, laid out very clearly by Percy Bysshe Shelley, is the possibility of connection with the subtle realms.
Yet not the golden islands
Gleaming in yon flood of light,
Gleaming in yon flood of light,
These islands, these senses of illumination or light that we may gain are a fraction of the full understanding. The extent of consciousness is not limited to the desire of just the light it’s also all that brings us to the understanding of the whole picture, the whole perspective that we’re offered. Queen Mab is healing the possibility of craving for enlightenment, the craving for being perfect, islands in the oceans of consciousness. The opportunity we have with Queen Mab is to integrate our awareness and lack of awareness; they are not so different in the field of consciousness, to integrate that possibility, to not be judgemental with ourselves whilst it is that we’re on this journey.
Nor the feathery curtains
Stretching o’er the sun’s bright couch,
Nor the burnished ocean waves
Paving that gorgeous dome,
So fair, so wonderful a sight
As Mab’s ethereal palace could afford.
Stretching o’er the sun’s bright couch,
Nor the burnished ocean waves
Paving that gorgeous dome,
So fair, so wonderful a sight
As Mab’s ethereal palace could afford.
This clear blue sky of mind, ‘that gorgeous dome’, where it is that we can find the clarity of perception through the Royal Blue to be able to see the nature of mind behind the clouds of thoughts or feelings and to really come to our being in relation to the oneness with all that is. It’s a possibility and it’s described, ‘as Mab’s ethereal palace could afford’ it’s how it is that this bottle points in the direction that the inner child, and also something that extends beyond the inner child towards that sense of being at the edge of the cliff facing the unknown with a sense of confidence of the support because the light body is unchanging.
Learn to make others happy. Spirit, come!
This is thine high reward:—the past shall rise;
Thou shalt behold the present; I will teach
The secrets of the future.
The Fairy and the Spirit
Approached the overhanging battlement.—
This is thine high reward:—the past shall rise;
Thou shalt behold the present; I will teach
The secrets of the future.
The Fairy and the Spirit
Approached the overhanging battlement.—
It’s not our own happiness that’s important per se it’s also what it is we can do for another, as we move through the world the contribution we can make for others, if we do so there’s a recognition of happiness within ourselves; it helps us to overcome where we’ve identified with less than the best of ourselves. The only validity we can offer is when we bring a little happiness, a little joy to another. Percy Bysshe Shelley describes this as one the secrets for the future. As we get closer to the understanding of the spirit realm, the spirit in nature and how it is that that grows it brings us to a place where we can meet our own happiness, and deepen our own sense of connectivity with the being of the Earth.
How wonderful! that even
The passions, prejudices, interests,
That sway the meanest being, the weak touch
That moves the finest nerve,
And in one human brain
Causes the faintest thought, becomes a link
In the great chain of nature.
The passions, prejudices, interests,
That sway the meanest being, the weak touch
That moves the finest nerve,
And in one human brain
Causes the faintest thought, becomes a link
In the great chain of nature.
All our passions, prejudices, interests, where we get so identified, this is who I am, this is representing me, do they really have meaning in relation to who we are in terms of the development of the light body to be more conscious beings, to be more awake in the world? Not really, the identification with the vehemence of our prejudice is not where we’re going to find light or where we find the truth for ourselves, nor where it is that happiness really lies.
Behold! where pleasure smiled;
What now remains?—the memory
Of senselessness and shame—
What is immortal there?
Nothing—it stands to tell
A melancholy tale, to give
An awful warning: soon
Oblivion will steal silently
The remnant of its fame.
What now remains?—the memory
Of senselessness and shame—
What is immortal there?
Nothing—it stands to tell
A melancholy tale, to give
An awful warning: soon
Oblivion will steal silently
The remnant of its fame.
Let’s not be concerned with the identity we put into what we do but bring the attention through that Magenta energy in to how we do what we do, that qualitative shift takes away the importance of how it is that fame or importance of identity in what we do are shallow relative to the quality that we bring to whatever it is that we do.
Extracts from ‘Queen Mab, Canto III’
FAIRY! the Spirit said,
And on the Queen of Spells
Fixed her ethereal eyes,
I thank thee. Thou hast given
A boon which I will not resign, and taught
A lesson not to be unlearned. I know
The past, and thence I will essay to glean
A warning for the future, so that man
May profit by his errors, and derive
And on the Queen of Spells
Fixed her ethereal eyes,
I thank thee. Thou hast given
A boon which I will not resign, and taught
A lesson not to be unlearned. I know
The past, and thence I will essay to glean
A warning for the future, so that man
May profit by his errors, and derive
Percy Bysshe Shelley recognised how man moves away and has moved away from the spirit of nature, how Queen Mab needs to be recalled, the Queen of the Fairy realm, the sense that spirit in nature needs to be recalled, otherwise, even in his time he recognised that true positive shifts cannot come about. What makes man great and what makes him stupid in the context of the preparation for the loftiness of our soul.
MAB.
Turn thee, surpassing Spirit!
Much yet remains unscanned.
Thou knowest how great is man,
Thou knowest his imbecility:
Yet learn thou what he is;
Yet learn the lofty destiny
Which restless time prepares
For every living soul.
Turn thee, surpassing Spirit!
Much yet remains unscanned.
Thou knowest how great is man,
Thou knowest his imbecility:
Yet learn thou what he is;
Yet learn the lofty destiny
Which restless time prepares
For every living soul.
An aspect of the Royal Blue is that which we don’t see as well as what we can. We can be blind to what’s directly in front of us and unable to see the solution rather than all of the problems that we face. Each life is only a blink in the life of the soul. Let’s not be in such a hurry to everything in this life, let’s just do the best we can moment to moment, let’s be in touch with the spirit in nature, through what it is that we prepare and perceive so that then it is through that care and attention there’s the possibility, there’s little incremental steps that can be made in the life of the soul.
As if transgressing our soul, our happiness, our ability to do good in cooperation was punished in the natural order of the Earth, such an example or how devas work on behalf of the soul.
His slumbers are but varied agonies,
They prey like scorpions on the springs of life.
There needeth not the hell that bigots frame
To punish those who err: earth in itself
Contains at once the evil and the cure;
And all-sufficing nature can chastise
Those who transgress her law,—she only knows
How justly to proportion to the fault
The punishment it merits.
They prey like scorpions on the springs of life.
There needeth not the hell that bigots frame
To punish those who err: earth in itself
Contains at once the evil and the cure;
And all-sufficing nature can chastise
Those who transgress her law,—she only knows
How justly to proportion to the fault
The punishment it merits.
This again is about that being too opinionated towards what it is and not being open to see the point of view of another. Nature’s law, what it is that we’re also looking at with Queen Mab, where do we transgress these laws with ourselves. One of his biggest treaties as an author, as a poet, that was really out there at the time was his treaties on vegetarianism, how it was that he really wanted to put it out there that eating meat was not something that was important for human beings. I really recommend that anyone who wants to look into a deep understanding of the moral and ecological and almost socio-political view for vegetarian read his treaties on vegetarianism.
Revenge, and murder…And when reason's voice,
Loud as the voice of nature, shall have waked
The nations; and mankind perceive that vice
Is discord, war, and misery; that virtue
Is peace, and happiness, and harmony;
When man’s maturer nature shall disdain
The playthings of its childhood;—kingly glare
Will lose its power to dazzle; its authority
Loud as the voice of nature, shall have waked
The nations; and mankind perceive that vice
Is discord, war, and misery; that virtue
Is peace, and happiness, and harmony;
When man’s maturer nature shall disdain
The playthings of its childhood;—kingly glare
Will lose its power to dazzle; its authority
It’s almost like to me, pointing towards the time that we’re in, do we choose that situation of conflict and do we choose that situation which is all that we see manifesting on the world stage at the moment or do we choose the possibility of peace and harmony. Where does that start? Surely it has to start within ourselves, that deep Blue, that bright Magenta, pointing towards the healing possibility of how it is that we might find that deeper sense of peace, that love within ourselves that suspends the judgment that we make on all sorts of things.
For the Mayan interpretation of B116, please click here
With Love and Light