日大と関学とのアメリカンフットボールの定期戦で、日大DL選手がパスを投げ終わった関学QBに背後から強烈なタックルをかました「事件」が世間の重大関心事となっている。マイナー競技と見られていたアメフトの、しかも定期戦での出来事がかくも世上をにぎわせるとはちょっと意外な感じもする。無防備のQBに、故意にかつけがをさせる意図で突っ込んでいったことの異様さが際立っているということだろう。まさに前代未聞の暴挙と言っていい。
しかもこの行為は日大の監督・コーチからの「命令」されたものだったことが濃厚となっている。当該選手のM君が記者会見で事の次第を詳細の述べたのである。テレビニュースやワイドショーなどで繰り返し放送されたので、ご覧になった方も多いだろう。氏名を公表し顔をさらして自分の非を認めたM君には「勇気ある行動」「感銘を受けた」等の称賛の声が上がっている。翌日の日大側の改憲が目を覆うお粗末さだったがゆえに、M君の潔さが引き立つ。
とはいえ、M君を悲劇の主人公に仕立て上げ、「フットボール界に復帰を」とまで言い出すのは疑問符を付けざるを得ない。確かにM君は勇気を振り絞って会見し、真実を述べたに違いない。そうであればあるほど、彼がことに至る前にその勇気を出せなかったのかとの思いが募る。「監督・コーチに言うことはありません」「フットボールをやる気はありません」。M君の胸に去来するのは「なぜ『それはできません』と言えなかったのだろう」という後悔だろう。その思いを大切にしたい。
この「事件」で思い起こされるのがオウム真理教事件である。教祖・麻原のマインドコントロールを受けていた信者たちは、ことの理非を判断する能力を奪われていた。今回のM君も同様だろう。マインドコントロールされていたからといって、それによって引き起こされた非行が免責されるわけがない。引き起こした行為にはきちんと責任を取らねばならない。M君自身はそのことを十分承知していると思う。だから復帰などあり得ないと断言するのだ。
内田監督を頂点とする日大首脳陣に最大の責任があるのは言うまでもない。だが、学生を「被害者」「かわいそう」とだけ見るのは無理がある。150人もの部員が唯々諾々と監督・コーチの無理難題を受け入れてきた。問題の根っこになっているのはこの体質ではないか。内田氏の監督復帰後20人もの部員が退部したらしい。他の部員たちはこれをどう受け止めたのか。一つの転機を逃したように感じる。
組織が腐るのは頭から―とはよく言うが、頭が腐るのは胴体が栄養を頭に運べないからだ。頭から腹から腐りかけているのが一大学の一運動部だけならまだ安心できるのだが…。
しかもこの行為は日大の監督・コーチからの「命令」されたものだったことが濃厚となっている。当該選手のM君が記者会見で事の次第を詳細の述べたのである。テレビニュースやワイドショーなどで繰り返し放送されたので、ご覧になった方も多いだろう。氏名を公表し顔をさらして自分の非を認めたM君には「勇気ある行動」「感銘を受けた」等の称賛の声が上がっている。翌日の日大側の改憲が目を覆うお粗末さだったがゆえに、M君の潔さが引き立つ。
とはいえ、M君を悲劇の主人公に仕立て上げ、「フットボール界に復帰を」とまで言い出すのは疑問符を付けざるを得ない。確かにM君は勇気を振り絞って会見し、真実を述べたに違いない。そうであればあるほど、彼がことに至る前にその勇気を出せなかったのかとの思いが募る。「監督・コーチに言うことはありません」「フットボールをやる気はありません」。M君の胸に去来するのは「なぜ『それはできません』と言えなかったのだろう」という後悔だろう。その思いを大切にしたい。
この「事件」で思い起こされるのがオウム真理教事件である。教祖・麻原のマインドコントロールを受けていた信者たちは、ことの理非を判断する能力を奪われていた。今回のM君も同様だろう。マインドコントロールされていたからといって、それによって引き起こされた非行が免責されるわけがない。引き起こした行為にはきちんと責任を取らねばならない。M君自身はそのことを十分承知していると思う。だから復帰などあり得ないと断言するのだ。
内田監督を頂点とする日大首脳陣に最大の責任があるのは言うまでもない。だが、学生を「被害者」「かわいそう」とだけ見るのは無理がある。150人もの部員が唯々諾々と監督・コーチの無理難題を受け入れてきた。問題の根っこになっているのはこの体質ではないか。内田氏の監督復帰後20人もの部員が退部したらしい。他の部員たちはこれをどう受け止めたのか。一つの転機を逃したように感じる。
組織が腐るのは頭から―とはよく言うが、頭が腐るのは胴体が栄養を頭に運べないからだ。頭から腹から腐りかけているのが一大学の一運動部だけならまだ安心できるのだが…。
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