あなたの若き日に

2018年09月03日 22時47分38秒 | 介護

 人と言うのは本当に自分の都合のいいことしか聞いていないようです。

今朝、娘が母に電話をしてきて、担当者会議の結果はどうだったかと尋ねました。

母は「別に、何も」

娘は母が約束していたショートステイやホームの件はどうなったのかと聞いているようでした。

母曰く「ケアさんはそんなところ、今から行かなくていいと言った」と答えました。

これにはびっくり

私も行かせたいわけでは決してないですが、お互いの為に距離を取ることが大切だと色々な人からアドバイスを受けますし、実際、ケアマネージャーさんも懇々と母を説得していました。

余程行きたくないのでしょう。

会議の後で、「行ってみたら案外楽しいかもしれないし・・・」と本人も言っていましたから。

決してボケている訳ではないことは、その時私が横からケアマネさんや母の言葉を言ったので、母はそれを娘に言っていました。

 

 今朝の出来事。

小さなことですが、半分分けにした昨日母が好きだろうと思い買ってきたさつま芋のパン。

母が食べなかったので私が先に食べ母に残りを渡すと「まあ、こんな一口

一口じゃなく、半分だと言っても「はい、はい」と本気にしていない様子。

食べ物のことは結構行き違いがあります。

母は好きなものは「半分だと知らなかった」「残りだと思った」「食べないと叱られると思った」等の理由を付けて食べてしまいます。

書きながら何だか可笑しくて笑えてきました。

よく聞く言葉・・・「子供に還る」「でも、子供は可愛いけれどね」

人生の最期の時期であることは間違いないので、欲しいものを食べてもらって一向に構わないのですが、昔、母が働いていた頃はもらったおやつを食べないで持って帰って来てくれていました。

私はそれが毎日楽しみでした。

老いて行くってこういうことなのですね。

でも、私はそうはなりたくないと思います。

(それでも、なるのでしょうか)

 あと、もうひとつ、これについては本人はあまり辛そうにはありませんが、母がよく言う言葉に「死にたくないから、生きているだけ」があります。

母は父の死後、勉強をして一応カトリックの洗礼を受けましたが、全く信じてはいません。

頑ななまでに死んだら「無」だと思っています。

ですから、私は時々母に言います。

「私も死んだことがないけれど、死んだら何もないというのは真っ赤な嘘よ。まず、死んだら、天井の角あたりに浮かぶだろうから、その時、ああ、あの子が言っていたことは本当だったなと思い出すわ。その後、おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんや親戚の人達がお迎えに来てくれるから大丈夫。とにかく、光の方へ行って。」

そんな時母はいつも呆れ顔で言います。

「あんたはお目出たいなあ」

とか

「あんたは変なことばかり言って変わっているなあ」

 

 何かにつけて思い出すのは聖書のコレヘトへの手紙(伝道の書)

第 12 章

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、 

 

到知一日一言より

【今日の言葉+α】

同じ昭和7年に生まれ、片や経営者、
片や作家として異なる道を歩んできた稲盛和夫さんと五木寛之さん。
活躍する分野は違えど、ともに生と死に真摯に向き合ってきたお二人に、
日常生活の中で自分を磨き高める秘訣について語っていただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(稲盛)
白隠禅師は『坐禅和讃』の中で、坐禅をして悟りを開くことも大事だけれども、
お布施をしたり念仏を唱えたり懺悔をしたり、
日常生活の中でそういう諸善行に勤めることも悟りに近づくもとなんだと説いていますね。
 
六波羅蜜という仏の教えがありますね。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、
これを実践するだけでいいと私は思っているのです。
つまり布施は、人様のために一所懸命奉仕をすること。
持戒は、人間としてやってはならないこと、人様が不愉快に思うことをしないこと。

忍辱は、人生における様々な困難を耐え忍ぶこと。
精進は、一所懸命働くこと。禅定は心を静かに保つこと。
そういうことを地道に続けていけば、
魂が磨かれ、心がきれいになり、
智慧という悟りの境地にまで達することができるということです。
 
いまお話しになった新しい平成の仏典を通じて、
せめてそういうことを多くの人が理解するようになれば、と思います。

(五木) 
おっしゃる通りだと思います。そういうものは道徳であって、
仏教というのはもっと高遠なものを求めるんだと考えられがちですが、
僕はやっぱり教えと実践は重なっていなければいけないと思いますね。
ブッダの生涯そのものがそうでした。
 
いまお話しになった布施の中には、
「無財の七施」(眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つの施し)
というのがあって、僕は大好きなんですけれども、
眼施、つまり優しい眼差しで相手をじっと見つめるということも一つの大きな布施ですから。

和顔施、通りすがりにニッコリ笑って、
相手の心を春風が吹いたような気持ちにしてあげることだって大きな布施でしょう。

そういうことをお坊さんが分かりやすく語って広く理解されるようになり、
様々な分野に導入されていけば、世の中も随分変わってくると思います。

頭ではわかっていましたが、改めて「優しい眼差しで相手をじっと見つめる」だけでもいいのですね。

 

 

 

 今日の歌

 世の中を 幸か不幸で 決めつけず 利他の心で 生きたく思う

コメント
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