父が虹の橋を渡り、旅立ちました。
そして、近親者のみでの告別式を終えました。
昨年のクリスマスの頃に救急車で病院に運ばれ、すでに治療の術もなく、いつ逝ってもおかしくないと言われ覚悟はしていました。それから2か月の間、ほぼ意思疎通をすることは出来ず、父は苦しかったと思います。
亡くなる2日前、何も話せませんでしたが、父はぐっと目を見開き私を見て、私の手を握ったまま離しませんでした。今思うと、自分の残りの時間を悟っていたのかなと思います。
父は家族に対し本当に厳しく理不尽だらけ。父の怒鳴る声はすぐに思い出せますが、褒めることはまったくなく、私の音楽活動も大反対で、ついに一度も私のライブを父に観てもらうことはできませんでした。
父は娘が人前に立つのが恥ずかしかったんじゃないかと思います。
いつも気前がよく、弱みも見せず、私の幼馴染からも恐れられるまさにカミナリオヤジ。典型的な昭和の頑固オヤジそのものでした。でも、家族以外にはとても義理人情や正義感に厚く、仲間から慕われる人でもありました。
家族には甘えていたのかもしれない。
そして約40年に渡りきっちりと仕事を勤め上げ、私は小さい頃から病気持ちという、すでにとてもお金がかかる状況下でも、私を含め3人の子供をすべて都会へ放って学校を卒業させ、実家の家の建て直しという父自身の夢もきっちり叶えたその力に、頭の下がる思いです。
大、大、大酒豪の父。なのに人生の最後飲むことが出来なかったお酒。今は天国にいるお兄さんたちと大いにお酒を酌み交わしている事でしょう。
いつも恐かったお父さん。怒鳴っていたお父さん。だけど私のたった一人のお父さん。私は好きなことやってばかりで、身体も弱くて一番心配をかけました。親孝行も出来ずにごめんなさい。あとはゆっくりそちらでお酒飲んでください。
最後に、生前に父がお世話になりました皆様、心から感謝いたします。
ありがとう、お父さん。
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