祈祷会 士師記13章「わたしの名は不思議という」 2024.10.16
士師記13章~16章は、士師サムソンのことが書かれてあります。士師ギデオンについて次に長いものです。サムソンとは「太陽の子」という意味だそうです。サムソンの働きは、太陽のような働きをしたのでしょうか。疑問が残ります。士師サムソンの働きを見ると、他の士師とは違うことに気づきます。それは、他の士師の働きは、士師とその仲間を集めて、敵と戦っていきます。そして敵からの勝利のことがあるのですが、士師サムソンの場合は、個人と敵ペリシテ人との戦いになっていきます。そして、ペリシテ人から勝利したとは書かれてありません。士師として最後の登場するのが、このサムソンです。非常に特徴的な忘れることのない活躍をしていくのです。士師サムソンの特徴としては、怪力の持ち主であること、それはサムソンが生涯ナジル人として歩んでいくからです。サムソンの弱点は女性に弱いことです。
今日の士師記13章は、その士師サムソンの誕生のことが書かれてあります。イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行いましたので、主は40年間、イスラエルの人々をペリシテ人の手に渡されていきます。マノアというダン族の1人の男がいました。マノアの妻は不妊の女性で子どもを産んだことがなかったとあります。主のみ使いが現れて、妻に「あなたは不妊の女性で子どもを産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物を一切食べないように気を付けなさい。その子はナジル人として神にささげられているので、その子の頭の毛にかもそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルの人々を解く放つ救いの先駆者となる」といいます。
この言葉を聞いた妻は、すぐに夫のところに来て「神の人がわたしのところにおいでになりました。姿は神のみ使いのようで、非常に恐ろしく、どこからおいでになったのか尋ねることもできず、名前も明かされませんでした。ただその方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいる時から死ぬ日までナジル人として神にささげられているので、わたしにぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物を一切食べないようにいわれたのです」と答えました。そこで夫マノアは主に向かって「主よ。お願いします。お遣わしになった神の人をもう一度、わたしたちのところに来させ、生まれてくる子をどのようにすればいいのか教えてください」と祈りました。神はマノアの祈りを聞いてくださり、神のみ使いが再び、その妻のところに現れたのです。妻は畑に座っていて、夫は別の場所にいました。妻は夫のところにすぐに知らせるために走り、「この間、わたしのところにおいでになったお方が、また見えています」といいました。マノアはすぐに妻について行き、神のみ使いのところに来て、「わたしの妻に声をかけたのはあなたですか」というと、その人は「そうです」と答えました。マノアは「あなたの言葉通りになるのなら、その子のためになすべき決まりは何でしょうか」と尋ねます。
主のみ使いは「わたしがこの女性にいったことをすべて守りなさい。彼女はぶどう酒や強い飲み物を飲んではならない。汚れた物を一切食べてはならない。このことをすべて守らなければならない」といいます。マノアは「あなたを引き止めてもいいでしょうか。子ヤギをごちそうさせてください」といいます。主のみ使いは「わたしはあなたの食べ物を食べない。もし焼き尽くすささげものをささげたいのなら、主にささげなさい」と答えます。この時に、マノアはその人が神からのみ使いだとは知らなかったのです。 そこで、マノアは主のみ使いに「あなたのお名前は何とおっしゃいますか。あなたをおもてなしたいのです」といいます。主のみ使いは「なぜわたしの名を尋ねるのか。それは不思議という」と答えます。
マノアは子ヤギと穀物のささげものを携えて、岩の上に上って、主、不思議なことをなさる方にささげようとしました。すると祭壇から炎が天に上る時、主のみ使いも、その祭壇の炎と共に上って行きました。マノアと妻は、それを見て、ひれ伏して顔を地につけました。2人はこの方が主のみ使いであることが分かったのです。マノアは神を見たので、自分たちが死ぬかもしれないと思いましたが、妻はそのようなことはないでしょう。子どものことをわたしたちにいわれたのですからと反論しています。妻は男の子を産み、その名をサムソンと名付けました。子は成長し、主はその子を祝福されました。主の霊が奮い立たせ始めます。これが士師サムソンの誕生の様子です。主のみ使いによって、マノアとその妻の間に生まれて来るのです。マノアがみ使いに名を尋ねた時に、「わたしの名は不思議という」と答えています。神がイスラエルのために、ペレシテ人から脅威から守るために、不思議なことをしてくださるのです。サムソンは生涯、ナジル人として歩むことになります。このサムソンの誕生の様子は、イエス・キリストの誕生と似ていると思いました。
ルカ1:26~31
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
士師サムソンとイエス・キリストの歩みは違うものですが、神に仕える者として、生まれる前から、神から祝福を受けている点では似ています。これからサムソンの歩みを見ていきますが、人間的な弱さを持ったサムソンがどう神に従っていくのかを見ていきたいと思います。サムソンの歩みと自分の歩みを重ねて見ていきたいと思います。
祈り 神よ。聖書の学びと祈る時を与えてくださり、ありがとうございます。士師サムソンの誕生の様子をみてきました。神に祝福されてナジル人としての歩みをするようにと母親にいわれました。神はサムソンを士師として、イスラエルの危機の時に、働くように導かれるのです。神からの霊によって特別な力が与えられました。その力をサムソンは神のために、イスラエルのために用いられることを求められていきます。サムソンの歩みを見ながら、私たちの歩みを考えていきたいと願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)