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12月25日の祈祷会の内容です。

2024-12-24 12:59:00 | 日記
祈祷会       士師記19:16~30「1人の側女の悲しみ」     2024.12.25

 士師記17~21章は、士師が登場していない内容となっています。この内容は「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。」(士師記17:6)です。イスラエルの人々は神の教えなどがありましたが、それを自分勝手に解釈して歩んでいたということになっています。士師記19~21章は、ベニヤミン族の滅びと救済のことが書かれてあります。イスラエルの内部の争いが起っています。イスラエルの人々とその1つの民族であるベニヤミン族との悲しい戦争が起り、イスラエルは1部族が滅びるかもしれないという危機に陥っていきます。その原因となるのが、今日の聖書の箇所です。

 エフライムの山地の奥に1人のレビ人がいました。レビ人はユダのベツレヘムから1人の女性を側女として迎え入れました。しかし、その側女はレビ人を裏切り自分の父の家に帰ってしまったのです。レビ人はその側女を連れ戻そうとして、彼女の家にやって来ます。どういう訳か彼女とその父は、そのレビ人を歓迎しているのです。側女の父はレビ人である婿にゆっくりと家で過ごして欲しいと滞在期間を延ばそうとします。しかし、5日目に自分の家に帰ろうとします。自分の家に帰る途中、ベニヤミン族のギブアにやって来ます。そこに宿泊する予定でしたが、町の広場に来て腰を下ろしました。でも誰も彼らを家に迎えて泊めてくれる者はいなかったのです。夕暮れに1人の老人が畑仕事を終えて帰って来ました。この人はエフライム山地の出身でした。老人は目を上げて、町の広場にいる旅人を見て、「どちらにおいでになりますか。どちらからおいでになりましたか」と声をかけます。レビ人は「私たちはユダのベツレヘムからエフライムの山地の奥にある私の郷里まで旅をしている途中です。私たちを迎えてくれる家がないのです。ろばのためのわらもありますし、私たちにもパンとぶどう酒もあります。必要な物はすべてそろっています」と、答えます。老人は「安心しなさい。あなたが必要とするものは私に任せなさい。広場で夜を過ごしてはいけません」といって、自分の家に入れ、ろばに餌を与え、足を洗って食べて飲むことができました。レビ人と側女はやっと安心することができたと思ったのでしょう。その家で事件が起ります。

 老人の家でレビ人たちがくつろいでいると、町のならず者が家を囲み、戸をたたいて、老人に「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい」といいます。老人は「それはいけない。悪いことをしないでください。この人が私の家に入った後で、そのような非道な振る舞いを許されない。ここに処女である私の娘と、あの人の側女がいる。この2人を連れ出すから、辱め、思い通りにするがよい。だが、あの人には非道な振る舞いをしてはならない」というのです。ならず者たちは老人に耳を貸そうとしませんでした。

 ここです。当時は、女性に対する思いというのは、このようなものなのでしょうか。町のならず者たちが求めているのはレビ人です。女性ではありません。そのレビ人を助けるために、この老人は、自分の娘やレビ人の側女を犠牲にしてもいいといっています。これと同じような聖書の場面があります。

創世記19:4~8
彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」

 アブラハムの甥ロトがソドムにいた時に、2人のみ使いが派遣された時です。ソドムの男たちがロトの家を取り囲んで「お前の所に来た者を出せ。なぶりものにしてやるから」と叫んでいた時に、ロトが自分の娘たちを差し出すから、好きなようにしてください」といっています。このようなことは、当時は普通だったのでしょうか。

 話は元に戻りますが、レビ人は自分の側女をつかんで、外にいる人々の所に押し出してしまっています。ならず者たちは側女を知り、一晩中朝になるまでもてあそび、朝の光が射す頃、ようやく彼女を放しました。朝になるころ、側女はレビ人のいる家の入り口までたどりつき、明るくなるまでそこに倒れていました。レビ人が朝起きて、旅を続けようと戸を開け、外に出て見ると、自分の側女が家の入り口で手を敷居にかけて倒れていたので、「起きなさい。出かけよう」といいます。しかし、答えはありませんでした。側女は亡くなっていたのです。本当に側女はかわいそうです。私はこのレビ人をどのように受け止めていいのか分かりません。その後、レビ人は側女をろばに乗せて、故郷に帰り、家に着くと、刃物をとって側女をつかみ、その体を12の部分に切り離し、イスラエルの全土に送るのです。これを受け取ったイスラエルの人々は大きな衝撃を受けて、やがて、ベニヤミン族と戦争することになっていきます。

 今日はクリスマスです。天使ガブリエルがイエス様の母となるマリアに告げた言葉が、私の心に響きます。「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる」(ルカ1:28)神の子イエス・キリストは、私たちの罪を負って十字架につくためにお生まれになるのです。神の愛の深さを感じます。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。1人の側女の人生を思います。人は愛されるために生まれた来たはずです。それが、このような悲しい人生があるのでしょうか。神が、この側女を愛してくださり、御国において癒し、慰めてくださいますように心から祈ります。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)



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