表題に書いたことを理解できる人がどれだけいるだろうか。。
お道でいえば、「教祖・本席様」「取次ぎ人」「ようぼく・村方・官憲」となる。
この順番で、「ようぼく・村方」の心が定まらず、つとめ人衆が揃わなかった。
そこで道を「一列澄ますかんろだい」から「一列澄ましてかんろだい」へ変更されたのである。
今世界中の変革期に当たる。
多くのスピリチュアル系が、心の使い方について発信している。
古い宗教は、平和を神に願う、祈るばかりである。
この差がとても気になる。
そして、私が感じているのは、世界でウソをついて人心を欺き好き勝手してきた人々と、それを倒そうとしている人々の戦いである。
この戦いの勝ち負けは、ウソを見抜ける人が増えるかどうかで勝敗が決まるように思えている。
ようやくワクチンについても、おかしいという事が、浸透して、もしかしたら。。。人口削減が本当ではないか。と心配する人々が増えて来たように思うが、重要なのはそこではなく、ウソツキを見破るすべを会得する事なのである。
ワクチン接種での事は、イベルメクチンで後遺症も回復しているとの情報も出ていた。
問題はこれ以上接種しない事で、自分で判断して心の切り替えをする事である。
親神様のプランは既にできているが、人間の成人・気づきが出来ないと、プラン変更となりかねない。
今のウクライナの戦争。またそれに関わる世界機関の言動。
こうした事をしっかりと見聞きして、自らで考える事が大切だと思うのである。
親神様はこうした事で、私たちを試されている。
官憲が教祖を監獄へ連れて行かれた。
これに対して、人間は恐怖を感じて、親神様の望み通りに行わなかった。
教祖は平然と、神が連れていくとして、対応されるのに。。
親神様は陽気ぐらしを実現するために、かんろだいを建てて、かんろを授けて、善人と悪人を分ける計画だったのである。
これが実現できていれば、今どれだけ素晴らしい世の中になっていただろうか。とも思える。
しかし、そうは行かなかった。
人衆が揃わず、かんろ台の石は没収され、計画通りに運ばなかったのである。
すべての事柄は、それぞれの心を見定めるためのものである。
誠真実をつくせば、必ず親神様は受け取り、誠真実で返して下さり、普通では考えられない事をも見せて下さるのである。
おさしづで「研究せよ」と教えられている。婦人会の設立のおさしづにも出て来たと思う。
研究とは、自ら考えなければ研究とはならない。
教えられたことを鵜呑みにする事は、研究ではない。
研究とは、正誤を確かめる事でもある。
教えられたことを土台にして、自ら正誤を確かめる。
これも研究と言えるだろう。
自ら考え身につけるためには、時間がかかるのである。
しかし、求めれば与えられるのである。
幸せになるための、方程式を。。。
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