誰にも先は分からない。
ところが、親神様は「前生見たけりゃ今生見よ」と、前生と今生が繋がっている事を教えられた。
また、いんねんについて、「昨日やり残したことがあれば、今日はそれを気にすることから始めるだろう。」というような言葉でも教えられている。
これは、過去から現在の話である。
ここで考えが止まって、私は「いんねんが悪いから」と卑下して、人をうらやむ事ばかりいう人がいる。
これは、現れてきた事柄だけを見ているから、辛い事をも人の性にして、そこから抜け出せないだけである。
昨日やり残した仕事を片付ければ、その後は別の楽しみが訪れるのである。
ところが、やり残した仕事をさせられていると思っていれば、なかなか終わらずに、新しいことには挑戦できないのである。
今与えられた役割をしっかりと行うこと、それが先を良くすることである。
たとえ、その仕事で命を落としたとしても、やり切ったならば、来生は違ったスタートを切ることになる。
これがたんのうの一つの考え方。
今、与えられた事を喜んでまでは出来なくとも、人のためにとする中に、その仕事は終わっていく。
これを、苦労は先の楽しみとの言葉や、楽の中に楽しみはないなどの言葉で示されている。
この話はおやさまのひな型にも通じる。
これを心に、先を楽しみに、心低く、何事もさせて頂くという心の積み重ねが、運命を切り替えるたんのうの、これまた一つの考え方でもあろう。
いんねんについてから、たんのうにと、話が移って来たようである。
思うがままに。。。
(11月4日 Facebookに投稿したものをここに記録しておきます。)
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