少し前の新聞記事ですが、筑波海軍航空隊記念館に彫刻家「流政之氏」の作品があると知って、友部の仕事帰りに寄ってみました。
筑波海軍航空隊は、1934年(昭和9年)海軍の練習航空隊として開隊され、太平洋戦争末期には特別航空隊も編制され、特攻の訓練が行われた場所です。
手前に写るのが、号令台。
この場所は長く、病院として利用しており、病院の新築で建物解体の予定でしたが、映画「永遠の0」などをキッカケに戦争遺構として残されることになりました。
この場所に(号令台のそば)世界的に活躍する彫刻家、流政之氏の作品「かえり雲」が置かれています。流政之氏は今年亡くなってしまいましたが、筑波海軍航空隊の元隊員だったそうです。
展示物を見て更に驚いたのが、ニューヨークの世界貿易センタービル前の広場に、国際コンペで指名され1975年に置かれた「雲の砦」。2001年9月11日のテロ攻撃で「雲の砦」は軌跡的に無傷で残ったが、救助活動や復旧作業のため、残念ながら撤去されてしまいました。当時のニューヨークマガジンには、破壊か撤去かという見出しで記事にもなっていました。(展示物で初めて知りました)
「雲の砦」のテーマは、永遠に変わらざる平和。もし、残っていたなら、テロ攻撃にも生き抜いた平和のシンボルとして、より愛された彫刻になったかもしれません。
その後、平成16年9月には札幌市の北海道立近代美術館に、新たに作った半分の大きさの「雲の砦Jr.」が再現されたようです。こんなストーリがあったことを知って作品を見ることができるなら、アートも更に深いものになりますね。新たな発見があった寄り道でした。
筑波海軍航空隊は、1934年(昭和9年)海軍の練習航空隊として開隊され、太平洋戦争末期には特別航空隊も編制され、特攻の訓練が行われた場所です。
手前に写るのが、号令台。
この場所は長く、病院として利用しており、病院の新築で建物解体の予定でしたが、映画「永遠の0」などをキッカケに戦争遺構として残されることになりました。
この場所に(号令台のそば)世界的に活躍する彫刻家、流政之氏の作品「かえり雲」が置かれています。流政之氏は今年亡くなってしまいましたが、筑波海軍航空隊の元隊員だったそうです。
展示物を見て更に驚いたのが、ニューヨークの世界貿易センタービル前の広場に、国際コンペで指名され1975年に置かれた「雲の砦」。2001年9月11日のテロ攻撃で「雲の砦」は軌跡的に無傷で残ったが、救助活動や復旧作業のため、残念ながら撤去されてしまいました。当時のニューヨークマガジンには、破壊か撤去かという見出しで記事にもなっていました。(展示物で初めて知りました)
「雲の砦」のテーマは、永遠に変わらざる平和。もし、残っていたなら、テロ攻撃にも生き抜いた平和のシンボルとして、より愛された彫刻になったかもしれません。
その後、平成16年9月には札幌市の北海道立近代美術館に、新たに作った半分の大きさの「雲の砦Jr.」が再現されたようです。こんなストーリがあったことを知って作品を見ることができるなら、アートも更に深いものになりますね。新たな発見があった寄り道でした。
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