このわたしく
過去に何度もこのブログでも記事にさせていただいたとおり
自他ともに認める”にっぽん縦断こころ旅=火野正平さんの大ファン”
出稼ぎだらけの人生だったのでリアルタイムで視聴することはほとんどなく
録画しておいた放送を後日じっくりと観ていたのですが
先日、三陸の旅で”宮古港の出崎埠頭と”田老の防浪堤”を歩き
初日の投宿地にした宮古の居酒屋でも
『何の目的で三陸に来られたんですか』と尋ねられ
『今回は、メインが”あまちゃん”のロケ地なんだけど、
とりあえず旅先を決めてから”にっぽん縦断こころ旅”を観なおして
火野正平さんの自転車旅で訪れた場所も旅先にしてるんですよ』と
話したところ『へぇ~面白いですね』と感心されたばかり
出崎埠頭への旅で、宮古のおばちゃんから「ウチでお茶飲んでいって」ってシーンがあったんですよと話すと
「はいはい、覚えてます」との言葉も嬉しくて
気を良くして家に戻ってから春までに岩手を再訪して
宮古から山田町の荒神社、安家川橋梁から北山崎、
龍泉洞と岩泉線の旅のトレースをしようと思って旅程を作ったばかり
そんな風に次の旅を楽しみに夢に描いていた矢先
11月20日
突然スマホにチャンカーからメッセージが届き
見てみると
ビックリ仰天
電動アシスト自転車となったと知り
正平さんが67歳の時に当時80歳になってた野際陽子さんとの対談で
「こんな歳になってまだ自転車こいでるんだよ」みたいに言ったら
「視聴者の方達も嬉しくて、自分も楽しくて、製作側も喜んでくれて辞める理由なんてないじゃない」
と言われて
番組の製作スタッフのことも気遣いながら
ライフワークにしようと決意したんだろうなと思ってたので
急逝してしまったことは、とっても悲しいけど
本人的には悔いは残らなかったかもと
『長年の間、大変お疲れ様でした。
視聴者に安らぎと癒しと幸せなひとときを届けてくれてありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください』
と、目を瞑って手を合わせお礼の気持ちを伝えながら
天寿を全うしたんだと己に言い聞かせてました。
また別の記事で書きたいと思いますが
実は、その訃報を耳にしてから
全ての放送をエクセルを使って
旅別に年月日、都道府県、旅のルート、食事内容を記録し
録画しておいた膨大な放送を観なおして
(元気な頃の正平さんを観ながら泣き笑いしてました。)
これまで正平さんのおっかけで訪ねてきた場所や
こころ手紙の内容で心の琴線に触れていつか訪ねてみようと思っていた土地
旅の途中で出会った人々やレストランを探して
正平さんの話題で往時を偲びライフワークにしようと思っていたところ
半年前から旧知の仲間と九州を旅する予定があったため
とりあえず、メンバーと合流するまでの時間を使い
旅のトレースをしようと決め
2014年秋の旅
【384日目 福岡市中央区 埴安神社のお賽銭箱】
のルートを辿ってきた時の記録を書き記させていただきました。
この時の旅のスタートが
博多港のポートタワーのエレベーターの中からだったため
とりあえず、空港で借りたレンタカーで朝の大渋滞の中
博多港の博多埠頭に到着
朝、9時になってたので
『ヨシヨシ、あさイチでスタート地点からトレースができるぞ』と喜び勇んで
向かったところ
な、なんと営業時間は10時から
仕方なくポートタワーに登るのを諦めて
中洲川端から櫛田神社に向かったのですが
さすがは大都市、道路は渋滞してて
自転車で走っていたルートを辿るのは困難だなと諦め
博多埠頭~川端通商店街~櫛田神社~中洲~天神をスキップして
大濠公園へ
正平さん達が通った駐車場入り口から入って車を停め
Boat House前の錦鯉を眺め
観月橋へ
正平さんが元気に自転車で渡ってた光景が忘れられません。
そしていよいよ目的地の
鳥飼にある埴安神社へ
実はこの道、ムチャクチャ狭くて一方通行で
車では大回りしないといけないとわかり
少し離れたコンビニで買い物をしたついでに駐車させてもらい
歩いて向かったのですが・・・
慌てていたため財布も小銭入れも車に置いたままだったため
正平さんがしていたように
一円玉から五円玉、十円玉、百円玉、五百円玉と準備してたのに
滑り落ちてゆく音の違いを実感できませんでした~
たぶんまた博多を訪れることがあると信じて
次回は
自転車で走っていた那珂川沿いの道
川端通商店街、櫛田神社と
中洲から天神まで歩いてから
親不孝通りの狭い路地
舞鶴766号線にあった”がブリチキン”
(正平さん達が休憩していたカフェレストラン、現在はお寿司屋)
と 元兼平鮮魚店天神店前の”西郷南洲翁隠家乃跡”を眺めて
大濠公園から埴安神社までを辿り
今度はしっかりと小銭を順番にお賽銭箱に投入して
正平さんと同じ気分に浸りたいなと思っているところです。
それにしても今回目印にと思っていた
カフェレストランと日本家屋風の店(兼平鮮魚店)が無くなっていて
ストリートビューから探すのも大変でした。
やはり特に都会の飲食店は存続さえ大変なんだろうなぁと実感
さて、残りの人生でどれだけトレースできるでしょうか
正平さんのこと我が人生が尽きるまで忘れませんからね