実はわたくし
むさくるしい男ばかりの全寮制の学校で
応援団長をしていた時期がございました。
なんせ男子しかいない学校で
バトンガールも ブラスバンド部もなく
応援に行けば
試合中 はじめからおわりまで
応援団員だけで
ずーっと応援歌(寮歌、練習船の歌などなど)を歌っているか
演武風のパフォーマンスを見せなきゃいけなくて
それはそれは過酷な応援活動だったんですヨ
真夏には、白の詰襟に金ボタンの制服で
試合に出向くときには
わざわざ地元の街中を
応援旗を先頭に二列縦隊で行進したりして
目立つこと目立つこと
試合が終わったあとには、新聞記者から取材の申し込みがあったり
近隣の女子高生からファンレターが届いたりしましたねぇ
もうすっかり世俗の垢にまみれ
現在は硬派の欠片も残しておりませんが(どこがやねん)
ふと、なにげなく応援歌を歌う前文が
頭に浮かんできてしました
いつこの世から消えてなくなってしまうのかと思うと
あまりにも悲しく
備忘録のつもりでここに記させていただきたいと思います。
これは”白菊の歌”という
商船学校の寮歌だったのですが
ネットで検索してみると
いつの間にやら 東京商船の寮歌と認知されてしまっている様子
それを正せる人間ももういなくなってしまったのかなと悲しくなってしまいました。
たしか、昭和51年頃、TVの”思い出の歌”という番組で
この歌を歌って欲しいとの依頼を受け
収録された思い出があります。
富貴名門の子女に恋するを
純情の恋いと誰が言ふ。
暗き路頭に迷える女性に恋するを
不情の恋いと誰が言ふ。
泣いて笑って風月月下の酒場に
媚を売る女性の中にも
水蓮の如き純情あり
風吹かば風吹くが良し
雨降らば雨降れば良し
酒は飲むべし百薬の長
女は抱くべしこれ人生無常の快楽なり
妖色美人の膝を枕に快楽の一夜明くれば
夢もなし 又、金もなし
叩く電鍵 握る舵輪 覗くコンパス 六分儀
ああ我は海ゆく渡り鳥
明日の命をたれ(誰)が知ろう
いざ歌わん 商船白菊の歌を
一、霞める御空(そら)に消え残る朧(おぼろ)月夜の秋の空 身に染み渡る夕風に 背広の 服を靡(なび)かせつ
二、紅顔(こうがん)可憐(かれん)の美少年が 商船学校の校内の 練習船のメインマスト トップの上に立ち上がり
三、故郷の空を眺めつつ ああ父母(ちちはは)は今いずこ 我が恋人は今いかに 少年右手(ゆんで)に持つものは
四、月の光に照らされて 側(かたへ)の友に語るよう 元(もと)このものは故郷(ふるさと)の 外山(とやま)の蔭に咲き残る
五、後れ咲きなる白菊を 我(わが)故郷(ふるさと)を出(い)ずる時 君が形見と贈られし 真心込めしこの栞(しおり)
六、海山(うみやま)遠く隔つとも 君が形見を思い出し 朝な夕なに眺めつつ 言わんとすれば悲しやな
七、涙の為に遮(さえぎ)られ そのままトップに打ち伏しぬ やがて少年身を起こし 遠き故郷(こきょう)を眺めつ
八、男子立志 出郷関 学若不成 死不帰 去年今夜眺秋月 更心身如大海
詩吟「男児志を立て、郷関を出ず、学若し成らずんば、死すとも帰らず 去年今夜、秋月を眺め、更に心身、大海の如し」
九、満天雲なく月は澄み 風はそよそよ吹き渡る 秋の夜中の空高く 折りしも聞こゆる喇叭(らっぱ)の音
十、ああこの十時は今鳴りぬ 忽(たちま)ち消ゆる少年の 姿は校舎に入りにけり 音するものは程近く
十一、小松原に打ち寄する 岸打つ波の音高く 犬の遠(とお)吠(ぼ)えかすかなり 犬の遠(とお)吠(ぼ)えかすかなり
そう言えば家に 歌集があったはず!
あとでその歌集も追加しておきたいと思います。