Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

モスクワからの電話(&古き良き友人との回顧録)

2014-05-01 17:34:40 | 雑感

(今回のネタは、超前置きの長い戯言なのでご注意くださいね

 

先日のこと

夕方の終業時間直前に携帯電話の着信音に気づき

何気なく発信番号を確認してみると

+7(49・・・の文字が

 

丁度、ロシアの上得意ながら

事前の確認事項が煩雑+いい加減で

いつも手間ばかりかかってほとんど利益を得られない物件があったので

 

必要ならメール入れてくるだろうと

面倒だから居留守をしようと、ミュートにして放置していたところ

いつまでたっても諦めず、呼び鈴が鳴りやまなかったので

 

仕方ないな~と、『アリョー!(ロシア語のハロー)』と電話に出たところ

 

『もしもし、○○さんですか?』と流暢な日本語で話かけられて

(誰だろ?)と訝っていたら

 

『お久しぶりです。ロシアの○○○○です。お元気ですか?』

と話しかけられて 超ビックリ!

 

実は、彼

大阪のロシア総領事館の元副領事で

家族同然のお付き合いをしていた旧知の大親友だったのです

 

 

彼との出会いが これまた奇遇と言うか運命というか・・・

 

こんな経緯があったのです。

 

私の過去の経歴は、このブログで何度もご紹介しているとおり

20代の頃に青年海外協力隊隊員として過ごし

 

その後、国際協力事業団の専門家として派遣されたのち

帰国して外務省管轄の財団法人の職員として働いていたのですが

 

その時に、縁あって大阪市の職員の国際交流サークルの

定例会の講師に呼ばれたことがキッカケで

 

その後、外国人との交流の機会の少ない同サークルからお願いされて

日本在留の外国人を講師として紹介していました。

 

その中には、フィンランド大使館の商務担当官で

セイン・カミュと♪ラララ無人君♪って

エイリアンの格好して出演したサラ金のCMに一緒に出てた元外タレとか

なかなか面白い人物などもいたのですが・・・

 

或る日、また次の講師をお願いされて

それなら大阪在住のロシア人妻なんかいいかな?と思い

ロシア総領事館に電話してみたのです。

 

その時、電話に出た相手に、会の趣旨を説明し

『関西在住で、日本人と結婚しているロシア人妻の人紹介してもらえませんか』

と図々しく頼み込み

後日、また確認の電話を入れるからとお願いね

自分の言いたいことだけ伝えて、一方的に電話を切り

 

数日後、改めて電話して確認したところ

『すみません。お願いしてるんですけど、なかなか了承してもらえる人がみつかりません。

との回答を受けたのです。

 

ところが、当時海外営業部の管理職として

世界中で初対面の人間にもかかわらず、話術で信用を得て販路を拡げていたほど

のやり手(ホンマかいな)

 

 

おいそれと簡単に諦める筈もなく

『なら、あなたでいいや。 それじゃあお願いしますね。

と勝手に決めてしまったのです

 

気のいい彼はそれですっかり義務を感じ

約束どおり講師としての役目を果たしてくれたのですが

 

その際、サークルの人達にロシアの事を知ってもらいたいからと

みんなに配るために総領事館からピロシキを山ほど持参してきてくれたのです

 

その優しい人間性に惚れこみ

後日、お礼を兼ねて奈良見物&我が家で食事でもしましょう

と誘い、それから家族ぐるみの交流が始まりました

(当時、彼はまだ独身でした)

 

その頃、定期的にロシアを訪問していたこともあって

VISA取得のためにちょくちょく総領事館に行って

彼に直接パスポートを預けてお願いしたりと

頻繁に顔を合わせていたことや

 

 

また、ロシアに婚約者のいた彼は

彼女が日本に遊びに来た時には、わざわざ我が家まで紹介に来てくれたり

お母さんが遊びに来た時にも我が家に泊めたりと

親戚や肉親以上に仲良くしていたこともあって

 

その後、その彼女と結婚し、大阪ロシア領事館でも結婚披露宴を行うこととなり

新郎新婦共通の友人として夫婦で招待されたり

 

日ロ友好協会の親善パーティーにも

何故かロシア側のVIPとしてまたまた夫婦で招待さてちゃったりもしました

 

なんせ日ロ友好協会のパーティー

日本側のVIPと言ったら

関西の知事や市長、財界の会長とか名だたる名士ばかり

 

その中にダレだかわかんない日本人夫婦だもん

 

で、良いのか悪いのか

肩書きなくては招待者リストに載せられなかったのか

何故だか”大阪歯科大教授夫妻”の名札を渡されてしまいました

 

お陰で、パーティーの最中は

ヘタに他の出席者と話すこともできず

壁の花というよりも できるだけ人を避けて逃げるようにしてました

 

その後も、ウチの会社でロシア人の秘書を

何人も雇ったりしていたこともあって

益々親密に交流を深め

 

週末にはウチに泊めては

夏になったらBBQに行ったり

奈良の寺社仏閣巡りをしたり

 

その後、奥さんの出産に立ち会ったり

ウチにあったベビーカーや滑り台、足こぎの自動車とかを総領事館に持ってたり

といろんな思い出を山ほど作りましたね~

 

 

副領事の任期も終わって帰国することになり

その後外務省を辞めて

モスクワ大学の縁故でロシア最大の企業でもあった

石油&天然ガスの会社で働いたりしたものの

日本への未練が断ち切れなかったらしく

 

ノボースチ通信の日本支社長で戻ってきて

東京だったので 以前ほど行き来はありませんでしたが

年末になると家族で我が家に泊まりにきたりと 

旧交を温めていました

 

しばらくして、子供の教育のことも考えるようになって

小学校からはロシアで学ばせたかったらしく

数年前に帰国してから

 

こちらもまたまた人生の岐路に立たされるような事態にもなって

音信不通の状態となってしまい

ノボースチ通信に連絡を取っても

「わかりません」と素っ気ない返事だけ

 

どぉ~してるかなぁ~?と思い出していたので

その電話、飛び上がるほど喜んじゃいました

 

そうそう、ロシア大使館も総領事館も

いまだソ連時代の名残というか

大使、公使、領事ほか大使館職員はみんな敷地内に住み

基本的に外泊は禁止(スパイ容疑をかけられるから)

 

敷地内は治外法権だから

ヘタしたら亡命までできちゃうから

入口には日本の警察官が常時警備に当たって

来訪者の身元をしっかりと調べてからでないと

入れてくれないくらい厳しい警護だったんだけど

 

もう、すっかり顔馴染みになって

顔パスで入れてもらってました

 

↑ コレ、当時相当自慢でした

 

 

とまあ、独りよがりの回顧録

ここまでお読みいただきましたロムラーさん

ありがとうございました

 

 

もし、ロシアの事で知りたいこととかあったら

お声をかけてみてくださいネ

 


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