師匠の瞑想中に降ってきたことば。
『エゴの終焉』
ところで、エゴとは一体、なんだろう。
簡単にことばにしているが、これもまた、無意識の産物だ。
イノチをあたえ、一人歩きしてきたエゴだが、ここに来て、
それ自体が崩壊し始めている。
すべてに一定の期間の活動がゆるされているように、
地球上に存在するすべては、一定期間のみの活動に
限定される。
この無意識の産物であるエゴもまた、その寿命を
終えるのだ。
無意識がネガティブラインをつなぎ、ネガティブマインドを
いかに増殖させようとも、いつかは、終わるものなのだ。
今の文明は、
便利は在るが、その便利さの追求は、出発点の根本が
ぬけている。
ものの在り様が、その目的を忘れてしまい、別なものへと
変容してしまったのだ。
これは、大昔から語られてきたことへ繋がっている。
文明の時代は、いつか、肥大化しすぎてその寿命を終える。
常に、どこかでエゴは、
自分を強力にする力を求め続けていたのだ。
歴史家が語る、今は途絶えてしまった文明のすべては、
過去に繁栄し、やがて終わる。
ここで大事なことは、終わりは始まりだということだ。
終わらせれば、次が産声を上げるのだ。
新しい何かか始まるのだ。
古いものに執着するということは、その古いエゴとともに
滅びることを選んだということなのだ。
新しいものをこわがるものも多いだろう。
けれども、いつでも、新しいものは生まれている。
自分という存在も、常に生まれ続けている。
常識という概念に縛られることなく、新たな世界を
受け入れる準備をするのだ。
もう、それは目前にまで、せまっているのだから。