野望はもともとその人にふさわしくない望み、悪い意味の野心を表す言葉でした。
世の中に街が増え、土地の区切りが狭くなってくると、野は大きなところ、野の望みが大きな望みに見えてきます。
いつのまにか、野望という言葉は、大成功を遂げた人の心意気にまで意味の領域を広げてしまいました。
野望がふくらんで、全地球を思いのままにしたいという気が高まれば、どこまでがわが身にふさわしいのか、そんなことは考えもしなくなります。
そうなったとき、野望を押し広げるには、当然、自分以外のものを抑え込んだり蹴落としたりしなければなりません。
ある人が Dan Yaboh というクラブをつくりました。
クラブでの会話は、高くなり過ぎた野望熱を、ほどほどに冷ましてくれます。
別室には、お医者さんもいて、沈静治療をしてくれます。
いちばん多いのは、野望が吹き出物になり、自分では見ることも手当てすることもできない背中に増やしてしまった患者さんのようです。
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