昨日のカレー屋の話は、描写に省略が過ぎたようなので、無駄話は説明を加えるたびにつまらなさが増してくるということを覚悟の上で書き加えてみます。
二か月ぐらいのご無沙汰だったと覚えています。
店に入っていくと、マスターが「ハロー、お久しぶり」と声をかけてきました。
昼前に暖簾の腕押し作業を済ませた後だったので、こちらの顔つきが冴えなかったか、セルフサービスのスープまで運んできてくれ、何かと気を遣ってくれます。
食べ始めてしばらくすると、「・・・・・、OK?」と近寄ってきてたずねます。
「・・・・・」の部分は聞き取れなかったのですが「OK」とだけ返事、こんな状況でした。
それがどうしたというぐらいのことです。
他人が自分にしてくれる行為には、善意、商魂、お節介、いろいろな受け取り方があります。
お互いさまの折り合いの付け方で、間柄がどうなっていくかに色合いがついていくようです。
色が付くなら明るい色のほうが、気持ちが好さそうに思ったという話で、ことさら深い意味があるわけでもなく、もちろん"学"という字などには無関係なことがらでした。
東京には、つまらない"学"よりもっとつまらない"論"にもならないやりとりで、暗い色に、もっと暗い色にと、折り合い外しゲームを、高い費用をかけて続けている場所もあるのが、また気になり始めます。
楽しみたい人はえてして身勝手、楽しませることの価値とそのための努力は相手次第、そんなところでしょうか。