中山道歩き、今回は自宅からのスタートです
自宅から北に10分ほど歩くと中山道との交差点。
ここから群馬方面に歩いて少しすると左手に見えてくるのが、
浅間山古墳。
七世紀前半につくられたといわれる横穴式石室の古墳。
手前にコスモス畑があって、秋になるととてもきれいに咲きます
浅間山古墳のちょっと先、今度は右側に
泪橋の由来碑があります。
そこにはこう書かれていました。
この地武蔵国賀美郡石神村浅間山地先中山道に泪橋なる橋ありき
昔徳川幕府は六名諸役等通行の砌(みぎり)街道筋住民に伝馬なる苦役を課したり
農繁のさ中に又酷寒風雪の日にも伝馬の人々此の橋に憩い家族を偲び身のはかなさを嘆じてか泪しきりなり
と。
ここは地元なのに全く知りませんでした。
勉強不足ですね・・
神保原駅を過ぎると中山道は国道17号と交差して、17号の北側を通っていきます。
この辺りには「陽雲寺」や「金窪城趾」など見所がけっこうあるのですが、行ったことがあるので、今回はパス。
どんどん歩いていきます。
神流川(かんながわ)の少し手前に
武州最後の一里塚跡を発見。
神流川を超えればもう群馬県です。
ところで神流川といえば有名なのが、「神流川合戦」。
「神流川合戦」とは・・・
天正10年(1582)6月19日、織田信長が本能寺に倒れた直後、関東管領瀧川一益は信長の仇を討つため、京へ行こうとします。
で、前橋からこの神流川を渡って武州に入ろうとしたのですが、そこで黙ってなかったのが北条氏。
北条氏は五万の大軍を神流川流域に進めました。
結局瀧川一益は破れ、碓氷峠の方に逃げていったということですが、この戦いかなり壮絶なものだったようです。
瀧川軍の戦死者は三千七百六十にも上ったそう。
ちなみにこれが「神流川合戦」の碑。
新町側にあります。
(ガトーフェスタハラダの向かい)
新町に入って少しすると右側に芭蕉の句碑を発見。
でも後ろの滑り台にいるトカゲの方が気になる・・・。
新町の中心部は神社やお寺が多く、けっこう貴重な文化財も残っているようでした。
新町宿の成立は中山道の多くの宿場よりだいぶ遅いのだそうです。
承応3年(1654年)落合村と笛木村に伝馬役が課せられ、享保9年(1724年)に二つを合わせて新町宿と呼んだのだとか。
明治天皇新町行在所。
新町の中心部にありました。
明治天皇は、明治11年8月から11月にかけて、北陸・東海地域の御巡幸(視察)を行いました。
その途中の9月2日に新町に宿泊された施設がこの行在所なのだそうです。
中心部を過ぎると中山道は大きな道から逸れていきます。
車で通るのは厳しいような細い道をくねくね。
これは調べていかないと分からないですねぇ。
難しいです。
こんな何もない場所が中山道なのです。
で、土手の上も少し通ります。
そして柳瀬橋を渡って、渡った先をすぐ右折。
しばらくすると国道17号と交差します。
今度は17号の南側を通っていくのです。
倉賀野宿に入る前に見つけたのがこちら。
中山道と日光例幣使街道との分岐点です。
右に行くと中山道、左に行くと日光例幣使街道ですね。
ちなみに例幣使というのは徳川家康の命日の四月十八日に行われる東照宮祭礼に朝廷から派遣される勅使のことで、幣帛を運ぶことからこう呼ばれています。
あ、以前歩いたことのある「五料橋」(玉村→伊勢崎)も日光例幣使街道の一部です。
そんなこんなで倉賀野宿に到着。
本陣跡は今はベイシアマートでした
でも脇本陣はけっこうそれっぽい建物。
倉賀野はけっこう古い建物が残っていて、宿場町っぽい雰囲気が感じられました。
倉賀野で昼食をとり、午後は高崎へ。
高崎の街中はあまり史跡が見つからず・・・。
でも街中を抜けてしばらく歩くと、左手に
煉瓦造りの煙突を発見。
「岡醤油醸造所」というらしいです。
なんだか深谷の造り酒屋みたいですね。
ジャンクションを通って安中方面へ。
この辺りはだるまの製造が盛んな場所。
至るところにだるま屋さんがありました。
つくってる途中のだるまって初めて見るなぁ。
あと招き猫をつくっているお家もありました。
群馬八幡駅のちょっと手前に「上豊岡の茶屋本陣跡」を発見。
普通の茶屋は一般の旅人に昼食や茶菓を提供した休憩所ですが、茶屋本陣はそのうち特に大名や上級武士、公家などが用いた高級茶屋のことをいいました。
宿場と宿場の間に設けられたもので、宿泊できる本陣とは異なります。
今回は群馬八幡の駅まで歩いて終了。
ずいぶん歩いたなぁ・・・。
万歩計を見たら40000歩超えてた・・・。
次回は安中に行けそうです
自宅から北に10分ほど歩くと中山道との交差点。
ここから群馬方面に歩いて少しすると左手に見えてくるのが、
浅間山古墳。
七世紀前半につくられたといわれる横穴式石室の古墳。
手前にコスモス畑があって、秋になるととてもきれいに咲きます
浅間山古墳のちょっと先、今度は右側に
泪橋の由来碑があります。
そこにはこう書かれていました。
この地武蔵国賀美郡石神村浅間山地先中山道に泪橋なる橋ありき
昔徳川幕府は六名諸役等通行の砌(みぎり)街道筋住民に伝馬なる苦役を課したり
農繁のさ中に又酷寒風雪の日にも伝馬の人々此の橋に憩い家族を偲び身のはかなさを嘆じてか泪しきりなり
と。
ここは地元なのに全く知りませんでした。
勉強不足ですね・・
神保原駅を過ぎると中山道は国道17号と交差して、17号の北側を通っていきます。
この辺りには「陽雲寺」や「金窪城趾」など見所がけっこうあるのですが、行ったことがあるので、今回はパス。
どんどん歩いていきます。
神流川(かんながわ)の少し手前に
武州最後の一里塚跡を発見。
神流川を超えればもう群馬県です。
ところで神流川といえば有名なのが、「神流川合戦」。
「神流川合戦」とは・・・
天正10年(1582)6月19日、織田信長が本能寺に倒れた直後、関東管領瀧川一益は信長の仇を討つため、京へ行こうとします。
で、前橋からこの神流川を渡って武州に入ろうとしたのですが、そこで黙ってなかったのが北条氏。
北条氏は五万の大軍を神流川流域に進めました。
結局瀧川一益は破れ、碓氷峠の方に逃げていったということですが、この戦いかなり壮絶なものだったようです。
瀧川軍の戦死者は三千七百六十にも上ったそう。
ちなみにこれが「神流川合戦」の碑。
新町側にあります。
(ガトーフェスタハラダの向かい)
新町に入って少しすると右側に芭蕉の句碑を発見。
でも後ろの滑り台にいるトカゲの方が気になる・・・。
新町の中心部は神社やお寺が多く、けっこう貴重な文化財も残っているようでした。
新町宿の成立は中山道の多くの宿場よりだいぶ遅いのだそうです。
承応3年(1654年)落合村と笛木村に伝馬役が課せられ、享保9年(1724年)に二つを合わせて新町宿と呼んだのだとか。
明治天皇新町行在所。
新町の中心部にありました。
明治天皇は、明治11年8月から11月にかけて、北陸・東海地域の御巡幸(視察)を行いました。
その途中の9月2日に新町に宿泊された施設がこの行在所なのだそうです。
中心部を過ぎると中山道は大きな道から逸れていきます。
車で通るのは厳しいような細い道をくねくね。
これは調べていかないと分からないですねぇ。
難しいです。
こんな何もない場所が中山道なのです。
で、土手の上も少し通ります。
そして柳瀬橋を渡って、渡った先をすぐ右折。
しばらくすると国道17号と交差します。
今度は17号の南側を通っていくのです。
倉賀野宿に入る前に見つけたのがこちら。
中山道と日光例幣使街道との分岐点です。
右に行くと中山道、左に行くと日光例幣使街道ですね。
ちなみに例幣使というのは徳川家康の命日の四月十八日に行われる東照宮祭礼に朝廷から派遣される勅使のことで、幣帛を運ぶことからこう呼ばれています。
あ、以前歩いたことのある「五料橋」(玉村→伊勢崎)も日光例幣使街道の一部です。
そんなこんなで倉賀野宿に到着。
本陣跡は今はベイシアマートでした
でも脇本陣はけっこうそれっぽい建物。
倉賀野はけっこう古い建物が残っていて、宿場町っぽい雰囲気が感じられました。
倉賀野で昼食をとり、午後は高崎へ。
高崎の街中はあまり史跡が見つからず・・・。
でも街中を抜けてしばらく歩くと、左手に
煉瓦造りの煙突を発見。
「岡醤油醸造所」というらしいです。
なんだか深谷の造り酒屋みたいですね。
ジャンクションを通って安中方面へ。
この辺りはだるまの製造が盛んな場所。
至るところにだるま屋さんがありました。
つくってる途中のだるまって初めて見るなぁ。
あと招き猫をつくっているお家もありました。
群馬八幡駅のちょっと手前に「上豊岡の茶屋本陣跡」を発見。
普通の茶屋は一般の旅人に昼食や茶菓を提供した休憩所ですが、茶屋本陣はそのうち特に大名や上級武士、公家などが用いた高級茶屋のことをいいました。
宿場と宿場の間に設けられたもので、宿泊できる本陣とは異なります。
今回は群馬八幡の駅まで歩いて終了。
ずいぶん歩いたなぁ・・・。
万歩計を見たら40000歩超えてた・・・。
次回は安中に行けそうです
がんばるのぉ。
神流川合戦なんて全然知りませんでした。
泪橋も知りませんでした。
新町(父方の実家)、倉賀野(私の生誕地)、安中(母方の実家)と何かとなじみのある場所なはずなのに、全然知らないことばかり。勉強になります。
幼い頃の記憶もうつろながらぼんやり思い出し、懐かしいです。
新町は鐘紡の生糸紡績場跡地もありましたよね。(中山道の歴史には関係ありませんが、、、)歴史的な場所も多々あり、
安中も18号を一本反れると旧街が歴史的町並みを醸し出していて、面白そうですね。(叔父はその辺にポックリ寺があると言ってました^^)
次回も楽しみにしてます~:)
勢いでどんどん歩いて、家に帰ってくるとくたくたなんです。
でも歩くのは楽しいですよ♪
新町はなかなか見所が多くて楽しかったです。
近くなのに知らない場所がけっこうあるんですよね。
それはびっくりです!!
群馬に詳しいわけですね。
新町の鐘紡の生糸紡績場跡地、高崎線から見えますよね。
私は高校が高崎だったので、毎日電車から見ていました。
安中も見所が多そうですよね。
行くのが楽しみです。
とりあえず横川までは帰りの交通機関の心配がないので、どんどん歩き進められそうです。
ポックリ寺探してみま~す。
さて、どうやって迎え討つか(笑)アレコレ考え中。安中に入ると、信越線が市街地から南に外れちゃうので 次回ゴールは横川まで強行かな?
次回は無理してでも横川まで歩くしかないですね!
早起きします!
そしていつ歩くか検討中・・・。