秋紀 芳慧 (Yoshie Akinori)

pahulo-ma

自分がパフォーマーと意識したのは、もう10年前くらいにNOISEを演奏しているころだった。
演奏はおもしろかった。でも体を使いたかった。必然的に機材はアクションできるものへと変化した。
記憶に残る最後のLIVEはエフェクターを並べてアナログシンセとYAMAHAのナイロン弦のギター電子楽器を肩から下げ、演奏した。スピーカーは持参してくれといったので、大学の先輩にお願いしてレンタル業のお店からアンプとスピーカーをもって演奏した。(ちなみに当日アンプとスピーカーのセッティングがうまくいかず、結局鳴らさずに元から設置されていたアンプで対応した)
テンションが上がり、自分の意識ははっきりしていながら、覚せい剤をやったらこんな感じなんだろうな~と思うほどハイテンションを感じての演奏。
で、ポケットに隠し持っていたどっかで拾ってきたナイフで思いっきり自分の左手を切り裂いた。
手首から少し上の部分が、ざくろのようにパックリ裂けた。素面ならもう激痛だったと思う。
マイクで爆音の中全力で吼えながら暴れながらも機材の制御はして演奏していた。
終わった後怪我の手当てのため、深夜の梅田の町を徘徊。でかいバンソウコを見つけて消毒液も購入し、貼りまくっていた。

そのときすでに音楽演奏のアクションの手詰まりを感じていたことから、身体をトレーニングして自分の好きなように動かしたい、そう思っていろいろな身体に関するトレーニングを受けた。

今、なぜ自分はパフォーマンスを選択したのか、自分なりに考えることもある。

それはおそらく身体(全身)を使いたかったからだろう。そして幼少時から経験したスポーツから得られた呼吸から生まれるノリ。こうしたノリを体感した経験があったからこそパフォーマンスをやろうとしているのだろうと考えている。


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