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'07/03/28の朝刊記事から
「スーダラ節」「無責任男」 植木等さん死去 80歳
映画「無責任」シリーズなどの軽妙な演技で、高度成長期の大衆の気分を体現したコメディアンで俳優の植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。80歳。三重県出身。
葬儀・告別式は近親者のみで行う。
後日、お別れ会などを開く予定。喪主は長男広司(ひろし)さん。
植木さんは今年1月から食欲不振などを訴え、入退院を繰り返していたが、3月中旬から病状が悪化したという。
父親の後を継ぐため東京で僧侶の修行をしてたが、東洋大在学中に歌手を志して音楽活動を開始。
1947年にNHKラジオ「お昼の軽音楽」でデビューした。
57年から、ハナ肇さん率いる「クレージーキャッツ」のメンバーとして活動。
61年に「チョイト一杯のつもりで飲んで」の歌いだしで愛された青島幸男さん作詞の「スーダラ節」がヒットし、国民的人気者に。
翌年の「ニッポン無責任時代」に始まる東宝映画「無責任」シリーズやクレージーキャッツ主演シリーズもブームを巻き起こした。
テレビでは72年まで11年間続いたバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」などで「お呼びでない」「分かっちゃいるけどやめられない」など多くの流行語を生んだ。
50歳で主演した北条秀司作の舞台「王将」で新境地を開き、以後は性格俳優として幅広い演技をこなした。
黒沢明監督の「乱」や、木下恵介監督の「新・喜びも悲しみも幾歳月」での演技が、国内の各映画賞を受けるなど高い評価を得た。
歌手としても「スーダラ節」のほか「五万節」「ドント節」「ハイそれまでョ」などのヒットがある。
植木さんは45年、東洋大在学中に援農学徒として現在の伊達市で半年を過ごした。
97年にはゆうばり国際映画祭にも参加し、出演作2本を上演する「植木等劇場」が開催された。
93年に紫綬褒章、99年勲四等旭日小綬章を受章した。