なぜ、実家に5日間滞在したのでしょうか
挨拶周りもそうですけど
結婚式のあとに、実家で過ごすのが「しきたり」
だったんではないでしょうか、と今思うのです。
正直、素直な、本当の気持ち
能面両親との、島での時間は30分でもいやでした。
ひとりで自由に好きに生きてきた私には
そういうよく知らない人との生活とか
あり得ないわけです。
順応性ゼロなのです
朝は能面母に合わせて早く起きて
能面父と配偶者の世話で
女性は後回しのあり得ない家での時間
夫が毎日、電車で何分かけて本州に通勤していたか
知ることもないですが。。
日中は、午前中、掃除洗濯、そして買い出し
昼食後には2時間くらいは昼寝タイムがあり
その時が何よりの楽しみ
苦痛でしかなかった5日間
あいさつ回りの1日目はまだよかったです。
訪問着で、軽トラの助手席に乗り
家のまわりの所謂○○家一族の家に挨拶しに行ったのです。
それはそれは、けっこう感じよく愛想よく
親戚の方々、対応してくれました。
「○○くんのお嫁さんねえ」とニコニコ顔で
みんなひとまず感じよかったけど、自分の笑顔は引きつり通しでした。
本家とか分家とか
わっけわかんな~いと思いながら親族の家回りは終了しました。
着物だし
軽トラだし
気も使いまくりだし
すっごい疲れていましたが
能面母が言いました
「お世話になっているお店にも行く」
店とは普段通う場所で、島の中のことだし
昔からよく知っている店の人でした。
「うちの嫁です、よろしくお願いしますね」
「○○です、よろしくお願いします」
どんどん着崩れる訪問着を気にしながら
言われるままに動いてました。
嫁って言葉が大嫌いになったのはこの頃でしょう。
こうして
「嫁」として披露することがこの地域の普通のことでしょうけど
てか、ここで暮らすわけでもないのになぁ
って思ったりもしました。
この5日の間に、買い出しの途中で
挨拶の時に不在だった親戚の女性と会った時に
「○○くんのお嫁さんなの?年はいくつ?」と聞かれて
私ではなくて、能面母があわてて
「○○くんと同級なんよ」と答えてました。
本当は1歳年上なんですよ、たった1歳でも、それがいやだったのか
なぜか同い年と答えた能面母でした。
そんなことしたら
こちらの対応も変わってくるに決まってますよね。
大人しくしているからと、何も思わない娘とでも
思っていたんだと思います。
とにかく
何か勘違いというか、すごく偉そうなんです。
猫かぶりすぎて、なめられましたかね。
毎日、料理をする時も、面倒くさい時間です。
こちらの家族は砂糖をたくさん入れるのが好きで
卵焼き、煮物、お寿司、オムライスと
砂糖をかなり使ってました。
ある日、甘い卵焼きを作るときに、やったことがないけど
卵焼き器で、作ってみろと言われて作ることになりました。
能面母の作り方をそっくり真似して
卵を割りいれ、砂糖をザバザバ入れて、砂糖のみでかき混ぜて
焼くのですが
砂糖が入ってるので新しくないフライパンに
めちゃこびりついてしまいました。
能面母はたぶん、油の量が多くて、焦げなかったのでしょう。
油を控えめにしてしまった私は、こびりついて上手く焼けなくて
思わず
「いやー、できなー」と呟いてしまったら。。
「できないじゃないでしょ!」といきなり怒鳴られました。
なに?今なんつった?てか何様?
私はあんたの元で調理の修行してんじゃね~んだよっ
って心で思い
胸糞悪い思いをして、焦げ付き卵焼きを焼きました。
卵焼きごときで、あほくさ
なんで、怒鳴られなきゃなんないんだよ!!!
毎日、どんどん嫌になり苦痛も増して最悪
毎晩、もう、自分の家に帰りたいと、泣いてました。
この5日間が半年くらいに感じるくらい、あとにも先にも
1日が過ぎるのがこんな長いと思うことは他になかったでしょう。
5日間が過ぎ
やっと、本当に、新婚生活が始まるのです。
「あととり」攻撃が待っているのも、知らなくて。。
それでも、好きな人として、配偶者をまだ頼りにしていた
若かりし私でした。
つづく。。。。。。。
挨拶周りもそうですけど
結婚式のあとに、実家で過ごすのが「しきたり」
だったんではないでしょうか、と今思うのです。
正直、素直な、本当の気持ち
能面両親との、島での時間は30分でもいやでした。
ひとりで自由に好きに生きてきた私には
そういうよく知らない人との生活とか
あり得ないわけです。
順応性ゼロなのです
朝は能面母に合わせて早く起きて
能面父と配偶者の世話で
女性は後回しのあり得ない家での時間
夫が毎日、電車で何分かけて本州に通勤していたか
知ることもないですが。。
日中は、午前中、掃除洗濯、そして買い出し
昼食後には2時間くらいは昼寝タイムがあり
その時が何よりの楽しみ
苦痛でしかなかった5日間
あいさつ回りの1日目はまだよかったです。
訪問着で、軽トラの助手席に乗り
家のまわりの所謂○○家一族の家に挨拶しに行ったのです。
それはそれは、けっこう感じよく愛想よく
親戚の方々、対応してくれました。
「○○くんのお嫁さんねえ」とニコニコ顔で
みんなひとまず感じよかったけど、自分の笑顔は引きつり通しでした。
本家とか分家とか
わっけわかんな~いと思いながら親族の家回りは終了しました。
着物だし
軽トラだし
気も使いまくりだし
すっごい疲れていましたが
能面母が言いました
「お世話になっているお店にも行く」
店とは普段通う場所で、島の中のことだし
昔からよく知っている店の人でした。
「うちの嫁です、よろしくお願いしますね」
「○○です、よろしくお願いします」
どんどん着崩れる訪問着を気にしながら
言われるままに動いてました。
嫁って言葉が大嫌いになったのはこの頃でしょう。
こうして
「嫁」として披露することがこの地域の普通のことでしょうけど
てか、ここで暮らすわけでもないのになぁ
って思ったりもしました。
この5日の間に、買い出しの途中で
挨拶の時に不在だった親戚の女性と会った時に
「○○くんのお嫁さんなの?年はいくつ?」と聞かれて
私ではなくて、能面母があわてて
「○○くんと同級なんよ」と答えてました。
本当は1歳年上なんですよ、たった1歳でも、それがいやだったのか
なぜか同い年と答えた能面母でした。
そんなことしたら
こちらの対応も変わってくるに決まってますよね。
大人しくしているからと、何も思わない娘とでも
思っていたんだと思います。
とにかく
何か勘違いというか、すごく偉そうなんです。
猫かぶりすぎて、なめられましたかね。
毎日、料理をする時も、面倒くさい時間です。
こちらの家族は砂糖をたくさん入れるのが好きで
卵焼き、煮物、お寿司、オムライスと
砂糖をかなり使ってました。
ある日、甘い卵焼きを作るときに、やったことがないけど
卵焼き器で、作ってみろと言われて作ることになりました。
能面母の作り方をそっくり真似して
卵を割りいれ、砂糖をザバザバ入れて、砂糖のみでかき混ぜて
焼くのですが
砂糖が入ってるので新しくないフライパンに
めちゃこびりついてしまいました。
能面母はたぶん、油の量が多くて、焦げなかったのでしょう。
油を控えめにしてしまった私は、こびりついて上手く焼けなくて
思わず
「いやー、できなー」と呟いてしまったら。。
「できないじゃないでしょ!」といきなり怒鳴られました。
なに?今なんつった?てか何様?
私はあんたの元で調理の修行してんじゃね~んだよっ
って心で思い
胸糞悪い思いをして、焦げ付き卵焼きを焼きました。
卵焼きごときで、あほくさ
なんで、怒鳴られなきゃなんないんだよ!!!
毎日、どんどん嫌になり苦痛も増して最悪
毎晩、もう、自分の家に帰りたいと、泣いてました。
この5日間が半年くらいに感じるくらい、あとにも先にも
1日が過ぎるのがこんな長いと思うことは他になかったでしょう。
5日間が過ぎ
やっと、本当に、新婚生活が始まるのです。
「あととり」攻撃が待っているのも、知らなくて。。
それでも、好きな人として、配偶者をまだ頼りにしていた
若かりし私でした。
つづく。。。。。。。