天下皆知美之爲美、斯惡已。
皆知善之爲善、斯不善已。
故有無相生、難易相成、長短相形、
高下相傾、音聲相和、前後相隨。
是以聖人、處無爲之事、行不言之教。
萬物作焉而不辭、生而不有、
爲而不恃、功成而弗居。
夫唯弗居、是以不去。
以下 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/index.htmlより引用
[書き下し文]
2.天下、皆、美の美為ることを知る。斯(これ)、
悪なる巳(のみ)。
皆、善の善為ることを知る。斯、不善なる巳。
故(まこと)に有無相生じ、難易(なんい)相成し、
長短相形にし、高下(こうげ)相傾け、音声相和し、
前後相随う(したがう)。
是(ここ)を以て聖人は、無為の事に処り(おり)、
不言の教えを行う。
万物は作られて而も(しかも)辞せず、生じて有せず、
為して而も恃まず(たのまず)、功成って而も居らず。
夫れ(それ)唯居らず、是を以て去らしめられず。
[口語訳]
天下の人々がみんな、美が美であることを知ると、
そこから醜悪の観念が生まれる。
天下の人々がみんな、善が善であることを知ると、
そこから不善の観念が生まれる。
本当に、有と無は互いに対立概念
(反対の意味を持つもの)から生まれ、
難しいものと易しいものは互いを規定し、
長いものと短いものは互いに長さを明らかにし、
高いものと低いものは互いに限定し、音声は互いに調和し、
前と後ろは互いにその順序を決めている。
その為、聖人は無為(行動しないこと)に依拠しており、
言葉をしゃべらずに教えを伝える。
万物は聖人によって働かされても、
そこから逃げ出さない(嫌がらない)。
聖人は物を作り出しても所有しないし、
何か行動してもその結果に依拠せず、
功績を上げてもそれに対する評価や報酬を求めない。
聖人は他者の評価(賞賛)を受けようとしないからこそ、
究極の境地である『道』から立ち去らせられることがないのである。
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他人と比べる視点は小さい。
本当は、全てが自分自身だから。
でも、自分ではない。どうする?
他人の評価など関係ない。全て良心が知っている。
褒美など求める意味がない。自分にした事だから。
自分が納得すればいい。
全て自分のものだから。。愛しかない。