あやか と しょうま のパパのブログ

パパから彩加と匠真へのてがみです。いつかよんでもらえたら、たのしくおはなししよう!

第5章の34(大匠)

2016-01-24 19:50:12 | 老子
以下 http://mage8.com/magetan/roushi08.html より引用

第七十四章

原文
民不畏死、柰何以死懼之。
若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。
常有司殺者殺。夫代司殺者殺、是代大匠斲。
夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。

書き下し文
民、死を畏(おそ)れざれば、
奈何(いかん)ぞ死を以(も)ってこれを懼(おそ)れしめん。
もし民をして常に死を畏れしめば、
而(すな)わち奇(き)を為(な)す者は、
われ執(とら)えてこれを殺すを得るも、孰(た)れか敢えてせん。
常に殺(さつ)を司(つかさど)る者有りて殺す。
それ殺を司る者に代わりて殺すは、
これを大匠(たいしょう)に代わりて斲(けず)るなり。
それ大匠に代わりて斲る者は、
その手を傷つけざる有ること希(まれ)なり。

現代語訳
民衆が死を恐れなくなるまで追い詰めてしまったら、
どのような刑罰をもって彼らを恐れさせる事ができるだろうか。
もし人々が生を楽しみ死を恐れるような世の中に、
秩序を乱す輩がでたならば、私はその者を捕えて殺すことができよう。
だが一体誰がその刑を実行するのか。
人の生死はそれを司るものが殺すのだ。
生死を司るものに代わって人を殺すというのは、
素人が大工に代わって木を削るのと同じことだ。
そのような無理をすれば、結局自らが傷つく事になる。

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たとえ罪人であっても誰が人を殺せるのか?私には出来ない!
神(大いなる死を司る存在)以外の誰にそんな権利が許されるのか?
と、老子が述べている。

良心は誰も傷つけたくない。愛情=良心だ!
人に注意する時、子供を叱る時、どんな時でも良心が基準となる。
たとえ、反論・反撃されても相手を思いやる気持ちからするのか?
そうではないのか?どんな時でも良心が大切だ。
良心に反していれば相手だけでなく自分も傷つくのだ。

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