鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

埋もれた軍歌・その27 噫!桑島伍長

2014-10-01 20:45:59 | 軍歌
今回ご紹介するのは、日華事変(日中戦争)中に南支派遣軍報道部によって昭和14年から広東で発行された兵隊向け投稿雑誌、その名も『へいたい』の第3号に掲載された軍歌です。
元々この『へいたい』には南支派遣軍に参加している兵隊が自作の詩を投稿する欄があるのですが、そこで投稿されている作品の中には「○○の譜で」と既存の歌曲のメロディにあわせて歌うことを前提としているものがいくつか見受けられます。作者自身がメロディを指定して歌うことを前提としている以上、これは軍歌として紹介しても差し支えないでしょう。


噫!桑島伍長
           ○○部隊本部 高畠茂稔
           あゝわが戦友の譜

一、地平遙かに陽は落ちて
 月影冴ゆる沼のへり
 手向けし花もしほれたる
 無言の戦友(とも)の墓標(はかじるし)

二、君が病ひの篤きとき
 友の輸血も二度三度
 手厚き看護の甲斐もなく
 護国の華と散つたるか

三、死なばともにと昨日まで
 語りし戦友よ! 今いづこ
 呼べど答へぬ草の上
 墓標の蔭にすだく蟲

四、弾丸(たま)の霰と降る中を
 真一文字に突き進み
 鉄より固きトーチカの
 一番乗りは君だつた

五、血潮に染まつた日の丸を
 城頭高くひるがへし
 泣いて叫んだ萬歳の
 君のあの聲忘られぬ

六、「譬へ矢弾丸(やたま)に死なずとも
 御国の為だ泣きはせぬ
 お前の手柄褒めるぞ」と
 健気な君の母の文

七、「あなたのお顔まだ知らぬ
 坊やは立派に育てます」
 みどりの黒髪断ち切つて
 位牌に誓つた君の妻

八、白木の柩(はこ)を抱きしめて
 涙も見せずほゝえんだ
 母は銃後のおぎなぐさ
 妻は銃後のおみなへし

九、あゝ! 我が戦友よ大陸の
 山河を染めた紅き血は
 明日の日本の花と咲き
 武勲(いさほ)は永久に薫るぞよ

十、涙に濡れて書き綴る
 拙なきこの歌故郷の
 君が母御も妻や子も
 泣かずに笑つて読むだらう



さて、ここまで読んできた皆さんはきっとこうお思いの事でしょう。「桑島伍長って誰だよ」と。わかりません。
元の記事ですと冒頭に「(亡き戦友の霊に捧ぐ)」と書いてありますので、恐らく作者である高畠氏の戦友なのだろうと思われますが、どこでどのように戦ってどこで死んだのかはまったくわかりません。
歌の題名の形式は「噫中村大尉」や「ああ!空閑少佐」「あゝ梅林中尉」などの軍歌に見られる「ああ+人名+階級」という形式を踏襲していますが、扱われている題材は無名の一兵士の病死です。本来なら決して軍歌にはなりえないような人物の死ですら、「戦友の死」という物語として軍歌となりメディアによって物語化する、という構図がここから見えてきます。この詞が掲載されたのが南支派遣軍報道部による現地発行の雑誌であるという点も注目すべきでしょう。
メロディを流用している「あゝ我が戦友」と比較してみると、三番の詞において「死なばともに」と「昨日まで語り」合っている点(「戦友」では同じ事を「日頃から思いし」としている)などの類似が見られます。一方で「戦友」の方では戦死した友の最後を伝える手紙の内容を思案しているのに対し、この詞では既に家族の元へ桑島伍長の病死は伝えられているようで、死を知った母や妻の様子が描写されています。もっとも「みどりの黒髪断ち切つて位牌に誓つた」とか「白木の柩を抱きしめて涙も見せずほゝえんだ」などの描写がどこまで事実に即しているかは不明で、この辺りもやはり物語的であると云えるでしょう。