昨日今日のこちらのお天気は、かなりの荒れ模様・・。雨が激しく降ったり止んだり、風も強くて・・。
・・で、とうとうゴロゴロ~ピカッ!
という、ちょーどあの一週間ほど前の金沢の空のお天気とおんなじで・・。あの空が(竜神さまが)そっくりそのままこちらにやって来たような・・・といっても今この空の下に光一さんがいるわけではないですけれど・・(当たり前)
今も外は凄い音、風がピュー。やっぱりこれは、冬が来るなぁ・・と思わせる日本海側特有の荒れたお天気、かなり寒くもなってきました。きっと、初雪が降るのも近いのでは・・と感じています。
私としては、金沢の余韻で過ごすこの一週間あまりというそんな中・・昨日14日の夕方、森光子さんの訃報を知りました。最初に目に飛び込んだ字幕のニュース速報に一瞬、胸がドキンと・・。
10日のことだったのですね、92歳でいらしたと・・。
密葬を望まれ、それを告げるTVのニュース等からは精神として最後の最後まで女優(役者)でおられたと伺い知ることもでき、それを貫かれたと感じました。
突然のことに、今はコメント出来ないと、その訃報を受け止められずショックを隠しきれない、言葉にならず、今はコメントは差し控えたいという(ジャニーズ)事務所のようですが、自分、浅ましいと思いつつもその動向も気になりつつ・・まして光一さんの今の気持ちを思わずにはいられずで、当たり前ですが、衝撃であったに違いないですし、それは計り知れず・・今も信じられない気持ちでいっぱいなのではないのかとも・・。
TVでは森さんのお元気な頃のお姿や滝沢くんとゴンドラに乗る姿・・、受賞の数々を称えた映像などがどの局でも並べ映し出された今日でしたが、
私としてやはり思い出されるのは、今となってはきっとそれが多分、公の前での最後のお姿ではなかったかと思える、今年のSHOCK開幕で光一さんのポスターを両手で掲げてエールを届ける森さんの写真に写るあのお姿で・・。
この時のことは先月、光一さんが出演した「徹子の部屋」での際も光一さんはその時の戴いたエールのこととそれに対する喜びと感謝の気持ちを徹子さんに語っていたところでもありましたが・・。
そのほか、森さんの国民栄誉賞や放浪記2000回の頃のドキュメンタリー番組の中で森さんがSHOCK観劇で光一さんの楽屋を訪れられた際、光一さんが森さんにした質問に「バランス・・」と一言、深い言葉を仰られていた映像であったりなども思い出されます・・。
その光一さんの楽屋には森さんと写った写真が置かれているのも確かSHOCKのドキュメンタリー番組の中に見つけた記憶もあり、森さんはたくさんのことを教えて戴いている舞台人としての師であったり、光一さんの森さんへの感謝の言葉は聞くたびに心の支えであるのだなぁと感じるところがありました。
私は森さんなど語ることなどできませんが、私の中では何年か前に確か嵐の二宮くん主演の神楽坂が舞台のドラマの中で出番はほんの少しだったのですが、森さん演ずるところの「本妻」という役どころの存在感、気迫の演技が驚くほどに上手く絶妙で印象的だったことを覚えています。
私は今日はやっとちょっとゆっくりできたお休みだったもので、それとなくTVを付けっぱなしに・・ミヤネ屋ではSHOCKの舞台映像も映り、今年のSHOCK初日の光一さんの言葉、写真でのエールや食事の差し入れのこと・・そのお心使いについても「森さんにはいつも無償の愛を感じる」「この思いを乗せて舞台に立つ・・」と制作発表で言っている姿も映っていました。
今はただ辛く深い悲しみに覆われてしまっている光一さんでしょうが、じきに多分、来年のSHOCKの制作発表もそろそろ?といった近い気もするのですが、来年の2,3月のSHOCKもそんな想いを乗せた舞台なのであろうかと感じます。
少しこんな言葉を思い出したので書きます↓
『 「今回のこのGravityに自ら志願してくれたヤラ(くん)です・・。バックに付いてくれるのはすごく久しぶりで・・5?6年ぶり?何しろmirror以来?というヤラです。ヤラはね、最近は振付の仕事だとか・・このGravityでも一曲振付して貰ってますが、滝ツバだとか中山?とか振付ではいい仕事をしていたり・・、この人、すご~くストイックなところがあって、俺は見てないんだけど舞台をね、あの~何か12歳の少年役?だったんでしょ?」
「そうなんです、ちょーどその舞台でその時、ここ金沢にも来てたんですけど、弱冠29歳?ですけど12歳の少年役でした・・」
「12歳?だよー、ね?12歳!俺がさ~ぁ、12歳の役なんかやったりしたら剛に何言われるかわっからん(笑)」
「いやいゃ・・(大丈夫ですよ・・的なニュアンスでヤラくん、光一さんをフォロー?)」
「でもさ、そんなこと言ったら森さんなんか舞台の(放浪記の)中では最初は10代の役からだからね・・、それ考えるとね、すごいじゃない?まぁ、舞台というのはそういう風にそやってどんなところにでも行けるのがまた舞台のいいところ?でもありますから・・」』
と、こんな風に(だいたいのニュアンスですが)MC中にも普通に森さんの名前を出していた光一さんをふっ・・と思いだしもしたもので書きました・・。
ニュースとしては昨日の速報ではありましたが、既に逝去は10日であったと聞き、光一さんとしても多分、TVの前の私達とそんなに時間差もなくその訃報に触れた?のではないかとも感じますが、光一さんとしてはこのようなことになるなど思いもしない先日のGravity石川のMCで、帰っての間もないこの驚きとショックに・・本当に言いようのない残念な気持ちと計り知れず深く悲痛の今となっているに違いないですから・・・。
何年か前ですが、光一さんがSHOCKの公演回数として森繁超え・・などと言われていた頃だったようにも記憶していますが、同じように舞台人として牽引されてきた森繁さんの訃報に、淋しい・・と言葉を寄せられていた森さんを思い出してもいたのですが、そんな森繁さんの訃報も確かちょーどこんな風に寒くなってきた11月?の頃の出来事?だったようにも記憶しています。
舞台としては滝沢くんとの舞台が最後だったと・・WSに映る映像の中で「カーテンコール?」なる曲を歌う森さんを見ながら、こうしてまたひとつの時代が幕を閉じたんだなぁ・・とも・・。
ご冥福をお祈りいたします。
明日はKinKiとしてはMステのお仕事が入っていますね・・。
<Web拍手>
・・で、とうとうゴロゴロ~ピカッ!
という、ちょーどあの一週間ほど前の金沢の空のお天気とおんなじで・・。あの空が(竜神さまが)そっくりそのままこちらにやって来たような・・・といっても今この空の下に光一さんがいるわけではないですけれど・・(当たり前)
今も外は凄い音、風がピュー。やっぱりこれは、冬が来るなぁ・・と思わせる日本海側特有の荒れたお天気、かなり寒くもなってきました。きっと、初雪が降るのも近いのでは・・と感じています。
私としては、金沢の余韻で過ごすこの一週間あまりというそんな中・・昨日14日の夕方、森光子さんの訃報を知りました。最初に目に飛び込んだ字幕のニュース速報に一瞬、胸がドキンと・・。
10日のことだったのですね、92歳でいらしたと・・。
密葬を望まれ、それを告げるTVのニュース等からは精神として最後の最後まで女優(役者)でおられたと伺い知ることもでき、それを貫かれたと感じました。
突然のことに、今はコメント出来ないと、その訃報を受け止められずショックを隠しきれない、言葉にならず、今はコメントは差し控えたいという(ジャニーズ)事務所のようですが、自分、浅ましいと思いつつもその動向も気になりつつ・・まして光一さんの今の気持ちを思わずにはいられずで、当たり前ですが、衝撃であったに違いないですし、それは計り知れず・・今も信じられない気持ちでいっぱいなのではないのかとも・・。
TVでは森さんのお元気な頃のお姿や滝沢くんとゴンドラに乗る姿・・、受賞の数々を称えた映像などがどの局でも並べ映し出された今日でしたが、
私としてやはり思い出されるのは、今となってはきっとそれが多分、公の前での最後のお姿ではなかったかと思える、今年のSHOCK開幕で光一さんのポスターを両手で掲げてエールを届ける森さんの写真に写るあのお姿で・・。
この時のことは先月、光一さんが出演した「徹子の部屋」での際も光一さんはその時の戴いたエールのこととそれに対する喜びと感謝の気持ちを徹子さんに語っていたところでもありましたが・・。
そのほか、森さんの国民栄誉賞や放浪記2000回の頃のドキュメンタリー番組の中で森さんがSHOCK観劇で光一さんの楽屋を訪れられた際、光一さんが森さんにした質問に「バランス・・」と一言、深い言葉を仰られていた映像であったりなども思い出されます・・。
その光一さんの楽屋には森さんと写った写真が置かれているのも確かSHOCKのドキュメンタリー番組の中に見つけた記憶もあり、森さんはたくさんのことを教えて戴いている舞台人としての師であったり、光一さんの森さんへの感謝の言葉は聞くたびに心の支えであるのだなぁと感じるところがありました。
私は森さんなど語ることなどできませんが、私の中では何年か前に確か嵐の二宮くん主演の神楽坂が舞台のドラマの中で出番はほんの少しだったのですが、森さん演ずるところの「本妻」という役どころの存在感、気迫の演技が驚くほどに上手く絶妙で印象的だったことを覚えています。
私は今日はやっとちょっとゆっくりできたお休みだったもので、それとなくTVを付けっぱなしに・・ミヤネ屋ではSHOCKの舞台映像も映り、今年のSHOCK初日の光一さんの言葉、写真でのエールや食事の差し入れのこと・・そのお心使いについても「森さんにはいつも無償の愛を感じる」「この思いを乗せて舞台に立つ・・」と制作発表で言っている姿も映っていました。
今はただ辛く深い悲しみに覆われてしまっている光一さんでしょうが、じきに多分、来年のSHOCKの制作発表もそろそろ?といった近い気もするのですが、来年の2,3月のSHOCKもそんな想いを乗せた舞台なのであろうかと感じます。
少しこんな言葉を思い出したので書きます↓
『 「今回のこのGravityに自ら志願してくれたヤラ(くん)です・・。バックに付いてくれるのはすごく久しぶりで・・5?6年ぶり?何しろmirror以来?というヤラです。ヤラはね、最近は振付の仕事だとか・・このGravityでも一曲振付して貰ってますが、滝ツバだとか中山?とか振付ではいい仕事をしていたり・・、この人、すご~くストイックなところがあって、俺は見てないんだけど舞台をね、あの~何か12歳の少年役?だったんでしょ?」
「そうなんです、ちょーどその舞台でその時、ここ金沢にも来てたんですけど、弱冠29歳?ですけど12歳の少年役でした・・」
「12歳?だよー、ね?12歳!俺がさ~ぁ、12歳の役なんかやったりしたら剛に何言われるかわっからん(笑)」
「いやいゃ・・(大丈夫ですよ・・的なニュアンスでヤラくん、光一さんをフォロー?)」
「でもさ、そんなこと言ったら森さんなんか舞台の(放浪記の)中では最初は10代の役からだからね・・、それ考えるとね、すごいじゃない?まぁ、舞台というのはそういう風にそやってどんなところにでも行けるのがまた舞台のいいところ?でもありますから・・」』
と、こんな風に(だいたいのニュアンスですが)MC中にも普通に森さんの名前を出していた光一さんをふっ・・と思いだしもしたもので書きました・・。
ニュースとしては昨日の速報ではありましたが、既に逝去は10日であったと聞き、光一さんとしても多分、TVの前の私達とそんなに時間差もなくその訃報に触れた?のではないかとも感じますが、光一さんとしてはこのようなことになるなど思いもしない先日のGravity石川のMCで、帰っての間もないこの驚きとショックに・・本当に言いようのない残念な気持ちと計り知れず深く悲痛の今となっているに違いないですから・・・。
何年か前ですが、光一さんがSHOCKの公演回数として森繁超え・・などと言われていた頃だったようにも記憶していますが、同じように舞台人として牽引されてきた森繁さんの訃報に、淋しい・・と言葉を寄せられていた森さんを思い出してもいたのですが、そんな森繁さんの訃報も確かちょーどこんな風に寒くなってきた11月?の頃の出来事?だったようにも記憶しています。
舞台としては滝沢くんとの舞台が最後だったと・・WSに映る映像の中で「カーテンコール?」なる曲を歌う森さんを見ながら、こうしてまたひとつの時代が幕を閉じたんだなぁ・・とも・・。
ご冥福をお祈りいたします。
明日はKinKiとしてはMステのお仕事が入っていますね・・。
<Web拍手>