私の父は数年前に亡くなりました。
3歳で両親が離婚し、20歳の時に二度会って、それきり会わずにいた父でした。
父は、母と別れて再婚しましたが、子供は出来ませんでした。
父にとっては、私がたったひとりの子であるにも関わらず、養育費どころか、誕生日もお年玉もクリスマスも、入学式も卒業式も、何一つくれたことはありませんでした。
子供に恵まれなかった妻に気を遣ったのか、妻が許さなかったのかは知りませんが、自分の子に何もしなかったのは、彼自身の意思であると、私は思います。
だから私には『父』の概念はありません。知らないのだから仕方がないことだと思います。
それなのに。
何故、父の死を知ることになったか。
それはとても不思議なことでした。
なぜか、胸がザワザワとして、浮かぶのは顔も覚えていない、概念すらない『父』というものだけ。
それは1年近くも続き、いい加減気味も悪いし体にも悪そうなので、仕方なく疎遠になっていた父の兄宅に電話をかけたのです。
伯母が、出るなり言いました。
「なんでもっと早く電話してくれなかったの。あなたのお父さんは1年も前に死んだのよ」と。
そして、父が私に会いたい会いたいと言い続けて死んだと言われました。
父の妻や他の兄弟に、連絡先を知らないのかと責められたと言われました。
随分、勝手なことを言う。今更、死ぬ間際に父親気取りか。そう思いました。
私が電話をした時に、もしまだ生きていたとしても、私は会いに行かなかったと思います。
何故今まで概念すら無かった人の、末期の、ひどい姿を、私が記憶せねばならぬのか。それが、私にとって、どれだけ辛いことか。
父の妻も伯父も伯母も、私のことを全く無視していると思いました。
さらに、連絡をしなかった私を責める一方、墓の場所さえ教えてくれませんでした。
それは何なんでしょう。連絡しなかった私に対する報復でしょうか。
可哀相なのは、私の方ではないのでしょうか。
頭に来ました。
そんな人達とは付き合いたく無いので、それ以来連絡を取っていません。
とりあえず。
それ以後は「いない父」から「死んだ父」という概念に移行しました。
明確な位置付けが出来たことは、私に取っては良いことでした。
しかし。
お盆が来ると毎年悩む。
顔も覚えていない。いくつで亡くなったのかも、命日も、墓も知らない。線香の一本も供えてやりたくとも、名前しか思い浮かべることが出来ない。
結局、意味がないので、何もしていません。仕方ないのです。
当然ながら、先祖の墓参りが出来るのも墓があるからです。
故人を偲ぶことが出来るのも、生前のその人を知っているからですよね。
夫の祖母が亡くなってからは、毎年お墓参りに行っています。数えるほどしか会ったことはありませんが、夫が姉が母が、思い出を語ってくれますから、少なくとも父よりはずっと知っている人です。
私は兄弟も子もいないから、母も夫も先にいけば、お盆が来ても誰にも思い出してもらえないかもしれません。
それに比べたら、父は「お盆が悩ましいんですよ」と思う私がいることは幸せなことなのではないでしょうか。良かったですね。
そうでない皆さんは、故人を悼み、忘れないで供養してくださいね。自分のためにもなるのですから。
3歳で両親が離婚し、20歳の時に二度会って、それきり会わずにいた父でした。
父は、母と別れて再婚しましたが、子供は出来ませんでした。
父にとっては、私がたったひとりの子であるにも関わらず、養育費どころか、誕生日もお年玉もクリスマスも、入学式も卒業式も、何一つくれたことはありませんでした。
子供に恵まれなかった妻に気を遣ったのか、妻が許さなかったのかは知りませんが、自分の子に何もしなかったのは、彼自身の意思であると、私は思います。
だから私には『父』の概念はありません。知らないのだから仕方がないことだと思います。
それなのに。
何故、父の死を知ることになったか。
それはとても不思議なことでした。
なぜか、胸がザワザワとして、浮かぶのは顔も覚えていない、概念すらない『父』というものだけ。
それは1年近くも続き、いい加減気味も悪いし体にも悪そうなので、仕方なく疎遠になっていた父の兄宅に電話をかけたのです。
伯母が、出るなり言いました。
「なんでもっと早く電話してくれなかったの。あなたのお父さんは1年も前に死んだのよ」と。
そして、父が私に会いたい会いたいと言い続けて死んだと言われました。
父の妻や他の兄弟に、連絡先を知らないのかと責められたと言われました。
随分、勝手なことを言う。今更、死ぬ間際に父親気取りか。そう思いました。
私が電話をした時に、もしまだ生きていたとしても、私は会いに行かなかったと思います。
何故今まで概念すら無かった人の、末期の、ひどい姿を、私が記憶せねばならぬのか。それが、私にとって、どれだけ辛いことか。
父の妻も伯父も伯母も、私のことを全く無視していると思いました。
さらに、連絡をしなかった私を責める一方、墓の場所さえ教えてくれませんでした。
それは何なんでしょう。連絡しなかった私に対する報復でしょうか。
可哀相なのは、私の方ではないのでしょうか。
頭に来ました。
そんな人達とは付き合いたく無いので、それ以来連絡を取っていません。
とりあえず。
それ以後は「いない父」から「死んだ父」という概念に移行しました。
明確な位置付けが出来たことは、私に取っては良いことでした。
しかし。
お盆が来ると毎年悩む。
顔も覚えていない。いくつで亡くなったのかも、命日も、墓も知らない。線香の一本も供えてやりたくとも、名前しか思い浮かべることが出来ない。
結局、意味がないので、何もしていません。仕方ないのです。
当然ながら、先祖の墓参りが出来るのも墓があるからです。
故人を偲ぶことが出来るのも、生前のその人を知っているからですよね。
夫の祖母が亡くなってからは、毎年お墓参りに行っています。数えるほどしか会ったことはありませんが、夫が姉が母が、思い出を語ってくれますから、少なくとも父よりはずっと知っている人です。
私は兄弟も子もいないから、母も夫も先にいけば、お盆が来ても誰にも思い出してもらえないかもしれません。
それに比べたら、父は「お盆が悩ましいんですよ」と思う私がいることは幸せなことなのではないでしょうか。良かったですね。
そうでない皆さんは、故人を悼み、忘れないで供養してくださいね。自分のためにもなるのですから。