今朝、朝の支度をしながらTVのニュースを横目で観ていたら、「スーダンがダルフール紛争に関連して、国連とアフリカ連合の平和維持活動作戦部隊を受け入れる」云々とあったような気がします。
(ちらっと見ただけなので、勘違いかも。)
ネットではそのニュースはまだ確認できませんが、先日アメリカが「もし受入れなければ、ダルフール地域上空を飛行禁止地域にする国連制裁を進める」と迫っていたことへの反応でしょうか。
日本ではあまり話題になることは多くありませんが、アフリカのスーダンでは、いわゆるアフリカ系住民(フール人)が多いダルフール地方で、アラブ系住民の民兵組織が殺人・レイプ等の“虐殺”を行っており、アラブ系が実権を握る政府がこの虐殺を支援していると言われています。
死者は数万人から20万人、難民は百数十万人から二百数十万人とも言われていますが、その被害実態はよくわかりません。
問題の背景には、砂漠化の進行による牧草地の減少が農業を中心とするアフリカ系フール人と遊牧民であるアラブ系住民の対立を招いたこと、更に遡ればかつての宗主国イギリスの地元民族同士を争わせる分割統治の影響等もあろうかと思います。
現在の状況は抵抗する側も組織が複数存在し、互いに争う複雑な事態になっているようです。
この事態に対し、スーダン政府は国連の介入を拒否してきました。
「紛争は隣国の挑発者によるもので、スーダンは被害者である。国連PKFがスーダンに侵入したら、武力攻撃する」と主張してきました。
国連にかえてアフリカ連合の平和維持活動が介入したものの、財政難等により実効があがっていませんでした。
2006年にはアフリカ連合と抵抗組織一部およびスーダン政府との間で“ダルフール合意”が成立しましたが、その後も被害は収まらず、この合意を認めない組織とアフリカ連合が対立するといった更に複雑な状況を生んでいます。
同じアフリカの“虐殺”というと、1994年のルワンダのジェノサイド(約80万人が虐殺されたとも、1日で国民の10人に一人が殺されたともいわれますが、こちらもその実態はよくわからないところがあります。)を思い出しますが、ルワンダでは「(介入が義務付けられた)“ジェノサイド”ではなく“ジェノサイド的行為”だ。」として国連の介入に反対したアメリカは、スーダンでは積極姿勢に転じたようです。
ルワンダには何も資源がなく、スーダンには石油があるため・・・という意見もあるようですが。
実際、中国はスーダンにおける石油権益保護のため一貫してスーダン政府寄りの姿勢をとっており、国際社会の統一行動を著しく難しくしています。
いろんな思惑があるにせよ、いろんな主張があるにせよ、先ずは十万人単位の住民が殺され、レイプされ、土地を追われる現在の事態を一旦緊急に止める必要があります。
ルワンダでは虐殺される人々を見殺しにした国際社会ですが、同じ過ちはしてほしくないと考えます。
国際社会では「スーダン政府=虐殺者」的なイメージが定着していますが、彼らにも言い分があるのであれば、一旦事態を止めたうえで意見・利害を調整すべきかと思います。
喧嘩の仲裁としては、今現在馬乗りになって殴りかかっている者を先ず止める、必要なら1・2発殴ってでも止めることが必要でしょう。
話はその後です。
こういう話になると、やはり日本の国際紛争における立場が悩ましくなります。
数十万人が虐殺されていると思われるとき、緊急・唯一の手段は実力行使だけしかない・・・というような情勢で、自衛隊の武力行使は認めないという立場がいかがなものか・・・。
他の国が行うのを支援する・・・とは言っても、何故日本自身が実力行使して事態の打開に寄与しないのか・・・手を上げる国がなければずっと傍観しつづけるのか・・・という疑問はやはり残ります。
国連のお墨付きを得た介入というのは、今回もそうですが、なかなか実現できない・・・という現実問題はありますが、仮に国連合意がある場合は紛争停止の緊急介入として自衛隊の武力行使も必要になるのではないか・・・ルワンダでの国際社会の見殺しの件以来、そんな気がしています。
なんだか、イラクへ侵攻したアメリカと同じような理屈にもなってくるようで自分でも釈然とはしませんが、さりとて現実に存在する虐殺の不条理・理不尽を「グルメ料理がどうした・・・、セレブな生活がどうした・・・」なんて言いながら見過ごしていいものか?
関連:http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/m/200707