(写真はトルコの女性達 スカーフの模様や巻き方・結び方も多様で、スカーフはファッションでもあります。“flickr”より By CharlesFred )
トルコの大統領選挙については、新聞等でも比較的詳しく報じていますので、ご承知の方も多いかと思います。
簡単にこれまでの流れをまとめると以下のようになります。
今年4月の大統領選挙で、親イスラム政党である与党・公正発展党(AKP)はギュル外相を候補にたてましたが、同候補のイスラム色が強いことから、政治と宗教を分離してきたトルコの体制にそぐわないと軍部が反発、全野党もボイコットしたことで大統領を選出できませんでした。
この混乱を解消するため、7月22日に総選挙を前倒し実施。
この総選挙で与党AKPはイスラム色を控え(公的な場での女性のスカーフ着用解禁を公約からはずす、イスラム色の強い候補者ははずすなど)、EU加盟交渉や経済成長の実績(年7%の高成長を実現、50%を超えていたインフレも一桁に抑制)を全面に出して戦いました。
野党はAKPが党としてイスラム色が強い政党であること、また、ギュル大統領候補が個人的にもイスラム色が強いこと(夫人は後述するように、筋金入りのスカーフ支持者)から、AKP出身の大統領ではイスラム化への歯止めがなくなり、憲法が定める政教分離の原則が危うくなると主張しました。(世俗主義の主張)
また、この体制をつくった建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルク以来の伝統で、軍は以前から“世俗主義”の守護者として、政治が宗教に傾きかけると介入してきた実績があり、今回も世俗主義の堅持を強く求めていました。
総選挙の結果は与党AKPが46%の得票で圧勝。
“イスラム色云々よりは経済を良くしてくれる政党がいい”との有権者の評価だったと言われています。
(視点・論点「総選挙後のトルコ」内藤正典
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4210.html)
今回の総選挙結果には、民族主義政党の台頭、クルド人の議席獲得などのポイントもありますが、今回はそれらの点はパスします。
選挙後の大統領選挙に与党AKPは再度ギュル外相を擁立。
軍も「悪の勢力が計画的に共和国の世俗主義をむしばもうとしている」とする所感を参謀総長名で発表するなど恫喝的な行為もありましたが、与党の選挙圧勝を受けてそれ以上の動きは封じられたかたちです。
そして、8月28日にAKPのギュル元外相が大統領に議会の選挙で選ばれました。
トルコは99%がムスリム(大部分はスンニ派)ですが、憲法で政教分離が規定されており、公の場に宗教を持ち込むことも厳しく禁止された国です。
一方、与党AKP幹部議員の多くがかつて福祉党(90年代連立政権に参加するも、イスラム色が強すぎるなどの理由で軍によって退陣に追い込まれ、憲法裁判所から解党命令を受けた政党)に在籍していたことが示すように、イスラム主義政党の性格を持ちます。
AKP政権を率いてきたエルドアン首相も、かつてはやはり福祉党員で、また、イスタンブール市長時代には、“イスラム的言動があった”(政治集会でイスラム教を賛美する詩を朗読)として、被選挙権を剥奪され、実刑判決を受けて服役した経歴があります。
大統領選挙にエルドアン首相自身ではなく、ギュル外相を立てたのもこのような“傷”があるからです。
そしてギュル元外相・現大統領ですが、この人を説明するとき必ず“夫人がスカーフを常に着用している”ということが話題になります。
このことが、ギュル大統領のイスラム色の強さ、ひいては“世俗主義を崩すのではないか・・・”との疑念の証にあげられます。
もちろんイスラム教徒の99%の国ですから、女性はごく普通にスカーフ(現地では“ヒジャーブ”と呼ばれます)を着用しています。
しかし、宗教的とみなされるスカーフは、公的な場での着用が禁じられています。
そこで、「スカーフをしたファーストレディ誕生か?」などと話題にもなりました。
(これまでギュル大統領のハイルニサ夫人をはじめ、エルドアン首相夫人などスカーフ着用のAKP幹部夫人は、軍が主催する行事などには招待されなかったそうです。)
(写真は、結婚式に花嫁を見ようと集まった村の女性 殆ど全員がスカーフ着用です “flickr”より By Josh and Julie)
「スカーフぐらいでどうしてそんなに大騒ぎするのか」「宗教・服装は個人の自由ではないか」という意見もあろうかと思います。
しかし、このスカーフが常に問題になる(今回のトルコだけでなく、フランスのスカーフ禁止法、ドイツでの同様の裁判、あるいは、逆にイスラム国でムスリムあるいは異教徒にスカーフ着用を強制することの問題など)のは、観念的に言えば“国・国家と宗教の優劣関係”という問題になるかとは思いますが、もっと直接的にはイスラムの国に一歩降り立てば感覚的にすぐにわかります。
街を歩く女性達のスカーフ姿は、強烈にこの地がイスラムの国であることを感覚に直接訴えてきます。
“一目瞭然”というのはこのようなことを指すのでしょう。
他にもイスラムを感じさせるものは、モスクや響き渡るアザーンなどいろいろありますが、スカーフ姿はその中でもその存在感が圧倒的です。
まさに宗教、そしてその宗教を基盤にした社会をシンボライズする存在です。
そしてスカーフが今回問題になったのは、スカーフの持つ強い象徴性だけでなく、今回のハイルニサ夫人自身の経歴が更に“圧倒的”だったこともあるでしょう。
彼女は1980年に15歳でギュル氏と結婚し、中退した高校はのちに高卒認定試験で完了しました。
その後(98年)大学を受験、アンカラ大学言語・歴史・地理学部アラビア語学科に合格しましたが、スカーフを被った写真を提出した彼女の入学は認められませんでした。
彼女はこの措置を不服として、国家評議会で訴訟を起こします。
しかし、国内の法に限界を感じ、2002年欧州人権裁判所へトルコを被告とする訴訟を起こし、10万ユーロ(1600万円)の賠償金を請求したのです。
04年に欧州人権裁判所は同種裁判で否定的な判決を出します。
そしてハイルニサ夫人は自身の訴訟を取り下げました。
この訴訟の間に夫ギュル氏は外相に就任しています。
夫人は訴訟取り下げについて「私はまだ自分が正しかったと信じています。欧州人権裁判所に起こしたこの訴訟は、まるで私が罪を犯したかのように常に様々な意味を与えられてきました。私がしたのは、合法な人権追求であり、欧州人権裁判所に対し個人による訴訟を起こす権利を行使したにすぎません。また夫の職業のために、私たちは原告でもあると同時に被告でもありました。訴訟を起こした時、夫は大臣でも首相でもありませんでした。取り下げる決断を下した実際の理由は、判決が論争を呼ぶような事態を避け、信頼と尊厳を守るためです。残念なことに、この訴訟は政治の具と化してしまっていたのです。」と述べています。
(http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20070426_011452.html#top )
この訴訟について夫ギュル氏は当然“夫”として支持してきたと思われます。
夫人の入学が認められなかった際は、夫人を同伴して学校に乗り込み、記者団に強く学校側の不当性を訴えています。
更に言えば、高校を中退して15歳で結婚した夫人がトルコ国家を欧州人権裁判所に訴えるまでに成長したのは夫ギュル氏の薫陶を受けてのことでしょう。
AKPという党のイスラム政党としての出自、ギュル夫妻の個人的なイスラムへのかかわり度合い・・・これらが、公的な場でのスカーフ着用解禁を公約からはずす措置とか、“世俗主義”は堅持するという明言にもかかわず、「今後トルコの政治・社会は変化するのではないだろうか・・・」という疑念を抱かせる訳です。
7月の与党AKPが圧勝した選挙結果は、“イスラム色云々より経済の発展・成を有権者が求めた”と言われていますが、別な言い方をすれば、「政治にイスラム色が多少出てもかまわない。トルコはイスラムの国じゃないか」という国民のイスラムへの志向が根底にあるのではないでしょうか。
世界の一般的傾向として、グローバリゼーションの進行に伴い、競争からこぼれ落ちる多数の貧者・弱者を生んでいます。
このような者に社会的公正、相互扶助、貧者の救済などを訴えるイスラムの教えが受け入れられることで、イスラムへの人々の傾斜が強まってきたと思えます。
トルコにおいても経済成長は他面において競争・格差を増大させ、これが人々のイスラム志向を強めたということ、それがAKP躍進の背景にあったということはないでしょうか。
(その経済成長を実現したのはAKP政権だという皮肉な関連もありますが)
また、EU加盟交渉で西欧諸国から突きつけられるハードルに対する反発が、国内のイスラムへの志向を増長している側面もあるのでは。
イスラムはその教え(シャリーア イスラム法)で人々の暮らしを、ひいては政治・社会のありようを律する側面が強い宗教で、政教一致の形態が歴史的にも見られます。
イスラムの教え(と信じるもの)を文字どおり社会に適応しようとすれば、タリバン政権のようないわゆるイスラム原理主義になります。
(このような全身スッポリタイプはトルコやマーレーシア・インドネシアなどではあまり多くは目にしません。 アフガニスタンなどでは多いようです。
一口にスカーフといっても様々です。 “flickr”より By Marco Adams )
イスラムとの関係でどのような国家を作るかということは、もとよりその国民の選択するところです。
重大な権利侵害等さえなければ、他国の人間がどうこう言うことでもないでしょう。
ながながとトルコの状況について書いたのは、いわゆる西欧的民主主義的なものとイスラムのバランスをとって、イスラムの国にありながらイスラムを政治から厳格に排除する現在のトルコ・AKPの試みが今後どうなるのかに興味をひかれたからです。
一旦宗教にバランスが傾くと、“宗教的情熱”は純粋化を求め、その流れに抗うのは“不信心”のレッテルを覚悟する必要が出てきます。
特にトルコのようにムスリムが殆ど全員という国にあっては。
なお、30日、首都アンカラで行われた軍主催の戦勝記念日を祝う軍事式典に当然ギュル大統領は出席しましが、スカーフ着用のハイルニサ大統領夫人は招待されなかったそうです。