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(爆発直後の混乱 中央女性がブット元首相 “flickr”より By BHowdy )
パキスタンの最大都市カラチで18日深夜、8年ぶりに帰国したベナジル・ブット元首相の歓迎パレードで爆弾2発が爆発し130名以上が死亡した事件は日本のTV等でも大きく取り上げられています。
亡命状態にあったブット元首相の帰国は、国民の支持が高いブット氏率いるパキスタン人民党(PPP)と手を組むことで来年1月の総選挙を乗り切り基盤を固めたいムシャラフ大統領、帰国したうえで首相三選禁止規定を撤廃し政界に復帰したいブット元首相、更に“軍服を脱いだムシャラフ+国民に民主的に支持されたブット”という組み合わせの“民主的”政権をパキスタンに樹立することで、アフガニスタン・イランという“テロ支援国家”に対する防波堤を築こうとするアメリカ、それぞれの思惑の結果でした。
三者を結びつけるのは“テロとの戦い”ということですから、敵視されたイスラム武装組織(パキスタン北西部で活動、同地域はアルカイダの“聖域”とも言われています。)からは、今年7月の“赤いモスク事件”でのイスラム過激派弾圧を支持したブット元首相帰国に対するテロの計画も流れていたと言われます。【10月20日 産経】
また政府側も、このようなテロによる危険があること及びブット氏らに恩赦を与える「国民和解協定」について最高裁が合憲性を審議し始めたことから、「最高裁判決まで帰国を延期すべきだ」と帰国延期を求めていました。
しかし、軍事政権に処刑された元大統領を父親に持ち、PPP総裁として個人崇拝的な支持を今なお持つブット元首相も、一連の自分の恩赦にからむムシャラフ大統領との“取引”によって国民の支持にも陰りが見えるとも言われていました。
そのため、テロの危険や身柄拘束の可能性を押し切って帰国を強行することで、民主化の先頭に立つその存在をアピールしたい狙いがあったと思われます。
アメリカも帰国にあたって、ムシャラフ大統領に対してブット元首相の身辺の安全に責任を持つよう要請していたそうです。【10月19日 産経】
結局政府も「最大限の警護」を保証し、18日のカラチ空港発着の国内全便を欠航にし、パレードでは警察官にトラックの周囲を警護させていました。【10月19日 毎日】
今回のテロの犯人、背景についてはいろいろ言われてはいますが、まだよくわかっていません。
事件の混乱の中でブット元首相の夫ザルダリ氏は、「事件はある情報機関に責任があり、われわれは調査を要求する。(事件は)武装組織によるものではなく、その情報機関の犯行だ」と語っています。
ザルダリ氏の言う情報機関とはムシャラフ大統領の側近が指揮を執る首相直属の機関だそうです。
また、ブット元首相は帰国前、退役した軍関係者による暗殺の可能性に懸念を表明していたとも言われています。【10月19日 AFP】
TVのインタビューでブット元首相は警備の不備を非難し「なぜ道路の街灯をつけなかったのか。明かりがあれば犯人を阻止することができたのに・・・」といったことを語っていました。
しかし、あの国では停電が常態化しているのはないでしょうか?
当然ながらムシャラフ大統領は19日、事件は「民主主義に対する陰謀だ」と強く非難し、国民に落ち着いて行動するよう呼びかけるとともに、容疑者を徹底的に捜索、厳罰を下すとの声明を発表したそうです。
邪推すれば、いろいろ想像できなくもありません。
最近求心力の低下が著しい、また仮にブット元首相と組んで総選挙を乗り切ってもその後のイニシャチブを維持できるか疑問のムシャラフ大統領としては、テロで政治・社会情勢が混乱すれば、一気に戒厳令を発令して・・・ということも。
ブット元首相がトラックの荷台から防弾ガラスが装備された同じトラックの車内に移動した数分後に爆発が発生したようですが、間一髪というか随分ラッキーだったというか・・・。
犯人の車はパレードの進行を塞ぐように止まっていたそうですが、どうして警戒のなかでそんなことができたのか・・・。
今回の事件で、ブット首相の政治活動が著しく制約されるのも事実です。
まあ、素直に考えれば、イスラム過激テロ組織の犯行ということでしょう。
7月のモスク立てこもり事件、その強行突入による鎮圧及び多数の犠牲者の発生以降、パキスタンのイスラム過激派の活動は活発化しています。
パキスタン国軍も在任時のブット元首相も、かつてはイスラム原理主義勢力、アフガニスタンのタリバン勢力を支援・利用してきた経緯もあります。
アメリカも当初タリバンを支援していました。
それだけに、ここにきてアメリカの後押しで声高に“テロとの戦い”を主張する両者はイスラム原理主義勢力からすれば“裏切り者”にも見えるのかもしれません。
過去の政策のつけが回ってきたとも言えます。
9月に海外亡命先から7年ぶりにパキスタンに帰国したものの、直ちに国外追放された野党指導者シャリフ元首相が、11月後半に再び帰国を試みるということを、元首相の率いるパキスタン・イスラム教徒連盟(PML―N)のスポークスマンが15日明らかにしています。【10月15日 時事】
更に混乱は深まりそうです。
イスラム原理主義の最大野党と手を組むシャリフ元首相は、世論調査ではブット元首相を上回る人気があると言われています。
イスラム原理主義政党が広く国民の支持を集めており、そこと提携するシャリフ元首相の人気が高いことに、パキスタン社会の混乱が単に一部のイスラム武装組織の問題ではないことがうかがえます。
これまでの政治への民衆の不満が、イスラム主義へと人々を向かわせているのでしょう。