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(気勢をあげるタイPAD 長い闘いによって彼等が得たものが何だったのか、これから明らかになります。 “flickr”より By adaptorplug
http://www.flickr.com/photos/11401580@N03/2597026333/)
【ほうきを手に清掃】
タイでは、タクシン派政権の退陣を要求する民主市民連合(PAD)が8月26日に首相府占拠を開始、空港占拠の混乱、憲法裁判所による旧与党「国民の力党」(PPP)解党を経て、17日に旧野党「民主党」を中心とする連立でアピシット首相が誕生しました。
19日には首相府が4ヶ月ぶりに再会し、アピシット首相もほうきを手に清掃に参加したそうです。
有力華人系の名門出身。英中部ニューカッスルで生まれ、両親とも医師。イートン校からオックスフォード大学に進み、哲学、政治学、経済学などを勉学。(首席卒業とも言われていますが、徴兵義務逃れの批判もあるようです。)
帰国後、タイの国立タマサート大学で講師を務め、初当選後は要職を歴任しエリートコースを歩み、44歳の若さで首相へ。
おまけに容姿端麗で、アイドル並に女性ファンも多いとか。
いささか僻みたくなるようなエリートですが、それだけにタクシン派支持者が多い東北部低所得層には反発する者も多いようです。
“ほうきを手に清掃”というのは、エリート臭さを薄める意味でも、“混乱は終わった。これから再出発だ”というメッセージとしても、上出来のパフォーマンスですが、前途は多難のようです。
【静かなクーデター】
今回の政変はPADの首相府・空港占拠というなりふりかまわぬ強硬手段を、タクシン元首相に利権・権限をそがれた旧エリート勢力が陰に陽に支えて実現したものであることは広く報じられているところです。
PADの活動を資金的に支えたのは、タクシン政権時代に利権を奪われた財界などの守旧派勢力でした。司法命令で与党が解党しソムチャイ政権が崩壊すると、経済団体は「行き詰まり打開のため、新たな枠組みの政権が望ましい」との声明を発表し、民主党による多数派工作を後押ししました。
06年のPAD抗議行動とときは、PADのタクシン首相批判を受ける形でクーデターを決行し表舞台に立った軍ですが、軍部暫定政権が経済政策で失政を続け、その後の選挙でのタクシン派勝利・復権に至った反省から、今回は表に登場することは避けていました。
しかし、PADの抗議行動を黙認し、政府の排除要請に協力しないことでPADを実質的に支援し、政権に対しては退陣・総選挙を要請していました。
憲法裁判所が今月2日、「国民の力党」(PPP)など与党3党を解党、ソムチャイ前首相ら党幹部を政界追放すると、実質的な軍トップであるアヌポン陸軍司令官が即座に旧連立与党の中小政党幹部を官舎に招いて「助言」。PPPの派閥を率いるネウィン元首相府相を寝返らせ、「民主党」中心の連立成立への道筋をつくったと言われています。
更に、6日、民主党が政権奪取を宣言し一気に流れを引き寄せた際も、各党幹部は記者会見の直前にアヌポン司令官宅を訪れ、結束を確認したとされています。【12月16日 朝日】
一方、流れを決定付けたのは、やはり旧守派が多いとされる司法でした。
憲法裁判所は07年5月、選挙違反を理由に旧タクシン与党のタイ愛国党を解党し元首相ら同党幹部を政界から追放する一方で、やはり選挙違反で訴追された民主党については全面無罪にした経緯があります。
今回も、今年9月には「料理番組に出演して副業禁止規定に違反した」といういささか強引な理由で、当時のサマック首相を失職させました。
代わってソムチャイ政権が成立すると、今月2日、選挙違反に絡んで最大与党PPPなど3与党に解党判決を出し、政権を崩壊させています。
“いずれも国際基準では大きな疑問符が付く判決だったが、「政治混乱打開には司法が役割を果たすべきだ」という国王のお墨付きを得た司法の判断を国内世論は受容した。”【12月16日 毎日】
【1年遅れの政変】
こうした財界・軍部・司法の旧守派のもくろみでは、今回の連立は本来なら昨年の選挙で実現するはずでした。
憲法裁判所は旧タクシン与党のタイ愛国党を解党して元首相ら同党幹部を政界から追放。
軍部は旧愛国党を離れた議員らに政党設立を働きかけ、さらに憲法を改正して選挙制度を小選挙区から中選挙区制に変えて、「民主党」に有利な環境をつくりました。
しかし、北部・東北部の低所得層を中心に、バラマキ政策とも批判されることが多いタクシン元首相を支持する声が思いのほか強く、昨年12月の総選挙ではタクシン派PPPが圧勝。
バンコクなど都市部中間層・南部に強く、実業家・官僚・軍部の支援を受ける「民主党」は敗北。
そこで、選挙で勝てない民主党に代わって再び街頭活動に出たのがPADでした。
PADのメンバーの多くが総選挙では民主党から立候補した者で、空港占拠を指揮したPADの担当幹部は民主党の下院議員です。【12月16日 朝日】
PADの強引な手法がもたらす混乱に一般市民はかなり距離を置いており、国民の支持を得られないPADの活動も先細りになる傾向もありましたが、結局、空港占拠という強硬手段、これをバックアップする軍・司法の“タクシン潰し”が成功したのが今回の騒動でした。
タイ社会で決定的な力を持つ王室も反タクシン勢力に近いとも言われ、PADの行動を黙認しました。
【タクシン派の今後の動きは?】
こうして成立したアピシット政権に対して、タクシン派は当然強く批判しており、攻守の立場を変えた反政府活動の再燃も懸念されています。
タクシン有力者が“チェンマイとプーケット国際空港を占拠する”と明言しているとも。
13日には、タクシン派はバンコクの国立競技場で5万人規模の大規模集会を開きました。
国外逃亡している元首相も録画ビデオを公開し、親タクシン派が政権の座を追われた原因について、軍と司法が陰で働きかけたためだとして非難しました。
しかし、外交旅券も失効し、国外逃亡生活を余儀なくされている元首相の影響力は低下しつつあるとも見方もあります。
なによりタクシン派にとって不利なのは、軍・警察のバックアップがなく、資金的な援助もないことです。
もし、反政府行動に出ると、PADのときとは違って、軍・警察が速やかな対応をとると思われます。
タクシン派の反独裁民主戦線(UDD)幹部ウィラ氏は、空港占拠をする行為は違法でありテロ行為だとの考えを示したうえで、「我々は不公平な行為は絶対しない。民主主義であるがゆえに前反タイ政府団体の民主主義市民連合(PAD)と正反対となる活動しか行わない。武力行使も武器所持もせず、できる限り法律を遵守する。そのため民主党を中心とした連立政権が樹立されたとしても、空港占拠をすることはないだろう」と述べています。【12月11日 タイ通】
個人的にもこの正月、タイ北部のスコータイに旅行しますので、再び空港閉鎖となると非常に困ります。
【波乱含みの新内閣】
しかし、20日にプミポン国王の承認を得て発表されたアピシット新内閣の顔ぶれは波乱含みです。
PADの空港占拠事件を「革新的な抗議行動だ」と称賛し、集会ステージに上がっていたカシット氏が外相に起用されました。
金で票を買うタクシン的な金権政治一掃を名目に「選挙による議員は3割に留め、残りは任命制にする」というPADの主張は民主制否定、低所得者層の政治からの排除であり、容認できません。
裏の繋がりはともかく、このような活動の指導者を表立って外相にすえることについては、今後タクシン派の反発を招きそうです。
また、タクシン派から寝返ったネウィン元副農相派から内相等の要職に4人を起用するなどの旧与党厚遇についても、民主党内からの不満、更に、旧与党勢力が要求するタクシン的ばらまき政治継続と、これに反発する財界・旧利権グループとの対立を招きそうです。
タクシン派と反タクシン派に二分した国民の融和と、今回の混乱で失った国際社会からの信頼を回復するという難題を背負ったアピシット新首相の前途は多難です。
深刻化する世界的な不況への対応もあります。
低迷する経済に対して効果的な政策を打ち出せなければ、タクシン派が主導権を握る可能性もあるとの指摘もあるようです。