孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  新体制スタート 欧米は経済制裁継続か?

2011-02-06 17:43:54 | 国際情勢

(「民政移管」のミャンマー新体制で大統領に就任することになったテイン・セイン首相 08年、サイクロン被害を無視して強行された憲法改正国民投票で一票を投じる様子 “flickr”より By sophiel444
http://www.flickr.com/photos/21348883@N08/2571680579/ )

【“自身に刃向かう恐れがなく、国内外にも比較的受けがよい”】
ミャンマーの大統領については、軍事政権が推し進めた憲法の規定により、上院、下院と、軍隊から選ばれた軍人議員(各院の4分の1)が1人ずつ副大統領候補を選び、その3人から秘密投票で大統領が決まり、残りの2人は自動的に副大統領に就任することになっています。

人選については、軍事政権指導者から選出されることは予想されていましたが、具体的な人名については、軍政を率いてきたタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長自身のほか、軍政ナンバー3のトゥラ・シュエ・マン前国軍統合参謀長、退役して選挙に当選した序列4位のテイン・セイン首相、序列5位のティン・アウン・ミン・ウー元大将などの名前が挙がっていましたが、結局、テイン・セイン首相が選出されました。

****ミャンマー:大統領にテインセイン氏選出****
ミャンマー国会は4日、現軍事政権序列4位のテインセイン首相(65)を民政移管後の新政権で国家元首となる大統領に選出した。独裁的権限を振るってきたタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の「忠実な部下」とされるテインセイン氏は、今後も軍部の意向を強く反映した政権運営を行うのは確実。民主化運動の抑圧など現政権の基本政策は当面、揺るがないとみられる。

首都ネピドーで開かれた国会は3日、テインセイン氏、軍事政権序列5位のティンアウンミンウーSPDC第1書記、少数民族シャン族出身のサイマウカン氏の3人を副大統領候補に選出。いずれも軍部翼賛政党「連邦団結発展党」(USDP)所属の国会議員。上下院合同の連邦議会が4日投票を行い、テインセイン氏を大統領に選出した。同氏は今後、新政権の組閣に着手。残る2人は副大統領に就任する。

テインセイン氏は軍管区司令官などを経て07年に首相に就任。昨年、USDP結党に参加し軍籍を離脱した。国家元首であるタンシュエ議長に代わり、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議などの国際会議に出席し、軍事政権の対外的な「顔」の役割を果たした。一方、多くの軍高官にうわさされる汚職や利権を巡るスキャンダルがなく、国民には比較的クリーンなイメージを持たれている。

「野心がなく上官の命令に逆らわない官吏タイプ」(地元記者)とされ、議長の信頼は厚い。議長は国家元首を退いた後の自身や家族の身の安全を懸念し、自身に刃向かう恐れがなく、国内外にも比較的受けがよいテインセイン氏を大統領に選んだとみられる。

情報筋によると、タンシュエ議長のライバルと目されてきた軍事政権序列2位のマウンエイSPDC副議長は4日までに、すべての役職を退き引退した。序列3位のシュエマン前軍総参謀長は下院議長に就任。議長はライバルを排除したうえで子飼いの政権高官を新政権の要所に配置し、国家元首引退後の自身の安全を確保したとの見方が出ている。

民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんは今後、新政権との対話を模索していくとみられる。しかし現政権は国会に参加していないスーチーさんと「国民民主連盟」(NLD)を無視する姿勢を鮮明にしており、タンシュエ議長の影響力が残る間は、実りある対話実現は困難とみられる。【2月4日 毎日】
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軍政トップに権限が集中していた政治構造は分散
選出間近になって、引退あるいは他の要職就任が予想されていたタン・シュエ議長自身が大統領に就いて権力維持をはかるのでは・・・との観測も流れていましたが、さすがにそれでは「民政移管」「民主化」の名目が立たないとの判断もあったのでしょうか、“自身に刃向かう恐れがなく、国内外にも比較的受けがよい” テイン・セイン首相に決まったようです。

****ミャンマー大統領選出 強力な後任回避か****
ミャンマー(ビルマ)国会は軍事政権序列4位のテイン・セイン首相(65)を大統領に選出した。投票した議員も大半が軍政系。「軍服を脱いだだけ」の民主化と批判されるが、軍政トップに権限が集中していた政治構造は分散される。現在軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長(78)が、強力な後任者の誕生を回避するためのシステムとの分析もある。             
タン・シュエ議長は1992年に軍政トップに昇格。上級大将として軍司令官も兼任しており、事実上、軍事、行政、立法の権限を1人で握っている。

20年ぶりの総選挙を経た国会で大統領に選出されたテイン・セイン氏は昨年4月に軍を退役するまで大将の地位にあり、SPDC書記としても長くタン・シュエ議長の下で働き、信頼を得ているとされる。テイン・セイン氏は今後、閣僚を任命し、新政権が発足した段階でSPDCは解散し、「民政移管」が完了するとされている。

これまですべての権力を握っていたSPDC議長職がなくなり、行政は国家元首の大統領が、立法は国会が担うことになる。さらにミャンマーにおける力の源泉だった軍司令官のポストが、政治から切り離される。
アジア経済研究所の工藤年博・東南アジアⅡ研究グループ長は「権力を分割したのは、三権分立による『民主化』とともに、タン・シュ工議長が自らの身の安全を考えたのでは」と指摘する。
タン・シュエ議長は軍政トップ就任後、かつての権力者ネ・ウィン将軍の人脈やキン・ニュン元首相らを次々と失脚させ、独裁的な権力を築いた。権力を分散させたのは、強力な後任によって自身も同じ運命をたどることを恐れたのではないかとの見立てだ。
軍司令官の地位には、タン・シュエ議長がしばらく留任するといううわさの他、50代の中将クラスを後任にあてるという情報もある。タン・シュエ氏より若い軍司令官であれば、軍ににらみも利くことになる。【2月5日 朝日】
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タン・シュエ議長の保身のための思惑は別にして、軍政トップに権限が集中していた政治構造が分散されること、形式的にでも政治と軍司令官が分離されることは、基本的方向としてはいいことでしょう。
なお、軍司令官は新政権の国防相、内相、国境相の3人を任命することになっており、今後も国軍が影響力を残すのは確実です。

それなりの変化も・・・
なお、冒頭記事にもあるように、副大統領の1人に、最大の少数民族シャン族出身のサイ・マウ・カン上院議員の就任が決まっています。
****ミャンマー:副大統領に少数民族出身者を起用*****
ミャンマーで発足する新政権の副大統領の1人に、同国最大の少数民族シャン族出身のサイ・マウ・カン上院議員の就任が決まった。軍部には同氏の登用で自治権拡大などを求める少数民族の新政権への反発をなだめる狙いがあるとみられる。
カン氏は中国国境に近い北東部シャン州の医師。政治経験はなかったが軍部翼賛政党「連邦団結発展党」(USDP)から要請を受け、立候補を決めた。一方、シャン族政党として選挙に参加した「シャン民族民主党」(SNDP)は善戦、圧勝したUSDPに次ぐ21議席(上下院計)を獲得した。

カン氏の副大統領登用にシャン族住民の反応は複雑だ。シャン族の電子メディアは「彼の就任を誇りに思うが、彼が我々への抑圧に使われないよう祈る」との地元の声を紹介した。【2月5日 毎日】
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これまで軍事政権を担ってきた軍幹部と、政治経験のない少数民族出身の医師では、その力の差は歴然としており、いかにも表面を取り繕った感は否めません。

しかしながら、“比較的クリーンなイメージ”のテイン・セイン新大統領、権力構造の分散、少数民族から副大統領・・・といった事象は、いかに“実質的に軍政維持”とは言え、新体制にはそれなりの新しい風も少しは吹くのでは・・・といった淡い期待も抱かされます。
新政権には、軍政に近いビジネス経験者も加わる可能性もあり、経済の開放政策が進む可能性もあります。

【「予想していた結果」】
今回人事に関して、スー・チーさんは立場上詳しいコメントは避けていますが、当然評価はしていないでしょう。
****スー・チー氏「予想通り」 論評避け慎重姿勢*****
民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんは、軍政の思うままの大統領選が進む中、自らが率いる国民民主連盟(NLD)本部で幹部らと会議したり、外交団と面談したりしている。4日、帰宅の際に記者団に大統領選の結果について問われると「予想していた結果」と答え、論評は避けた。
昨年11月の選挙を「軍政管理下で不公正」として参加しなかったNLDに政治活動は認められていない。軍政を刺激すれば、これまで21年間で計15年にわたり拘束・軟禁されてきたスー・チーさんが、再拘束される可能性がある。

軍政が2003年に定めた「民政移管ロードマップ」は、08年の憲法制定、10年の総選挙、今回の議会招集と大統領決定と続き、新政府の発足で完成する。しかし、これを「民主化」と評価するのは、中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)など一部の国にとどまる。
スー・チーさんら民主化勢力の多くは事実上排除されており、2千人以上とされる政治囚は収監されたままだ。経済制裁を科している米国のキャンペル国務次官補(束アジア・太平洋担当)は2日、ワシントンでの記者会見でミャンマー情勢について「憂慮し、失望している」と話し、早期の制裁解除を否定した。【2月5日 朝日】
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【“北風”か“太陽”か・・・
当面問題となるのは、新体制成立を受けて、欧米諸国が経済制裁の解除を行うかどうか・・・という点です。
****ミャンマー:欧米は制裁継続へ…総選挙プロセスに不満*****
ほぼ半世紀ぶりに開かれた国会で4日までに正副大統領を選出、「民政」移管をアピールして経済制裁の早期解除を求めるミャンマーだが、欧米諸国の制裁は当面続く見通しが強まってきた。制裁解除への協力を示していた民主化運動指導者アウンサンスーチーさんが最近になって解除を求めない意向を示しているほか、米国もスーチーさんら民主化勢力を排除した昨年11月の総選挙の在り方や政治囚の収監を続ける軍事政権の対応に不満を抱いているためだ。

米国や欧州連合(EU)は96年以降、軍政による民主化勢力弾圧などを理由に段階的に経済制裁を科してきた。しかし、制裁が結果的に一般国民の生活を苦しめているとの指摘があり、インドネシアで先月16日にあった東南アジア諸国連合(ASEAN)非公式外相会議は、「制裁の早期解除」を求めることで一致。インドネシアのマルティ外相は総選挙の実施やスーチーさんの軟禁解除にも触れ、「ミャンマーの経済開発のためにも、制裁を早期に見直すべきだ」と訴えた。

しかし、ミャンマー国会は4日、長年独裁的統治を行ってきた軍政トップのタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の「忠実な部下」と目される、軍政序列4位のテインセイン首相を大統領に選出。新政権も軍の意向が強く反映した運営となるのは確実だ。
スーチーさんは軟禁解除直後、制裁解除に向けて軍政と協力する意向を表明。しかし、昨年末の毎日新聞との会見で「まずは制裁が国民生活にどれだけ影響を及ぼしているのか検証する。制裁解除の是非を論じるのはその後」と慎重姿勢を見せていた。さらに、英紙フィナンシャル・タイムズ(1月29、30日付)によると、スーチーさんが国民民主連盟(NLD)に制裁の影響の検証を指示したところ、国際通貨基金(IMF)などの調査では、制裁が一般市民に損害をもたらすとの証拠がほとんどないことが分かったといい、スーチーさんは「大半のビルマ人は農業に従事しており、まったく(制裁の)影響はない」などと述べ、現段階では制裁解除を求めない姿勢を鮮明にした。

一方、キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は今月2日、記者団に対し、軍政の総選挙実施プロセスへの米側の「失望」を改めて明言し、「東南アジア各国から制裁解除の時期だとの意見が出ているが、時期尚早だと思う。新政府の具体的な手順を見ていく」と述べ、早期解除に反対する意向を示した。また、「政治囚が解放されていないこと」など課題を指摘した。AFP通信によるとEUのアシュトン外務・安全保障政策上級代表(外相)の報道官も「今後の(ミャンマー)政府の動きを見たい」と述べ、慎重姿勢を崩さなかった。
スーチーさんは軟禁解除後の昨年12月、ヤン米国務副次官補と会談、制裁への対応を協議したとみられる。米側は制裁解除に当初から消極的だが、対話にまったく応じようとしない軍政側の姿勢に、スーチーさん側が態度を硬化させた可能性もある。【2月5日 毎日】
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いつも議論になる“北風”か“太陽”か・・・という話になりますが、“北風”一辺倒というのもいかがなものでしょうか?
「大半のビルマ人は農業に従事しており、まったく(制裁の)影響はない」というのも、マクロ的な経済視点を無視した言い様にも思えます。

人間は感情的な生き物ですから、お互いに歩み寄る姿勢がなければ先に進みません。
部分的な解除で、今後の民主化を誘導していく姿勢の方が実りある結果につながるように個人的には思えます。
多くの政治犯が拘束されているのはミャンマーに限った話ではありません。反政府指導者が暗殺されたり投獄されたりするのも珍しい話ではありません。スー・チーさんのように拘束が解かれるのは、むしろまれな事例でしょう。

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