孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

市民革命のその後  混乱の収まらないチュニジアで首相辞任

2011-02-28 23:39:40 | 国際情勢

(市民革命の成果を喜ぶ市民 2月20日チュニス “flickr”より By Counterfire
http://www.flickr.com/photos/counterfire/5462197915/ )
 
【「私の辞任がチュニジア革命および将来のためになるだろう」】
北アフリカ・中東の“民主化ドミノ”は、チュニジアのベンアリ前大統領追放に始まり、エジプトのムバラク政権を崩壊させ、今はリビア・カダフィ政権の行方に世界の注目が集まっています。

しかし、ベンアリ前政権が崩壊したチュニジアにしても、前大統領追放でことが終わった訳ではなく、民主化のスタートラインに立ったにすぎません。
チュニジアでは、ガンヌーシ首相ら前政権メンバーが多く残留した暫定政権に対する不満から、抗議デモが再発し、5名の死亡者を出す混乱が続いていました。

こうした事態を受けて、暫定政府のガンヌーシ首相が辞意を表明しています。
****チュニジアのガンヌーシ首相が辞任、暫定政府への不満受け*****
2011年02月28日 09:13 発信地:チュニス/チュニジア
チュニジア暫定政府のモハメド・ガンヌーシ首相(69)が27日、辞任を表明した。後任にはベジ・カイドセブシ元外相(84)が決まった。

首都チュニスでは26日から27日にかけても、ガンヌーシ首相ら暫定政府閣僚の退任を求めるデモ隊と治安部隊が衝突し、5人が死亡しており、暫定政府への不満は収まる気配を見せていない。こうしたことから、ガンヌーシ首相が辞任に踏み切ったとみられる。
国営TAP通信が伝えた政府声明は「チュニスでは26日、暴力、略奪、騒乱、放火などの行為が横行し、治安部隊との衝突で5人が死亡した」と説明。ナイフや石を手に内務省ビルに向かったデモ隊の若者を治安部隊が制止しようとして両者が衝突。5人が死亡したほか、投石を受けるなどして治安部隊側にも16人の負傷者が出たという。

ガンヌーシ首相は自身の辞任について、「責任逃れではない」と言明し、「私の辞任がチュニジア革命および将来のためになるだろう」と語った。
反政府デモの拡大によりジン・アビディン・ベンアリ前大統領が亡命し、暫定政府の首相となったガンヌーシ氏は就任から6週間での辞任となった。【2月28日 AFP】
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強権支配者を追放する“革命”は、多くの犠牲者を伴う困難な行動でしたが、その後に民主的な政権をつくり出すことは、また別の意味で困難な作業です。
一過性の興奮や熱狂とは別の、地道な努力・忍耐が必要になります。

“革命”によって政治的自由は手にできますが、政変の背景にあった失業問題や食料品価格高騰などの経済問題を解決していくには時間を要します。
結果を求める性急な期待は、社会の混乱を招き、結果的にすべての問題の解決を宗教に委ねる原理主義の台頭や、混乱を抑えるための新たな軍事独裁政権を生みだしかねない危うさがあります。

エジプト:苛立つ軍部
エジプトでも、止まないデモに軍の苛立ちが募っている・・・との報道もあります。
****やまぬデモ、いらだつエジプト軍…強制阻止も****
ムバラク政権崩壊後のエジプトで実権を握る軍が、国内各地で賃上げや待遇改善などを求める労働者によるストライキやデモが収束しないことにいらだっている。
これまで軍は、民衆の動きを静観してきたが、経済活動の混乱が長引けば、デモやストライキの強制阻止に乗り出す可能性もある。
エジプトでは、週明けにあたる20日、ストの影響で営業を停止していた銀行の業務がほぼ再開された。カイロ中心部ザマレックにある外資系銀行では朝から、小切手や預金の引き出し用紙などを手にした市民ら数十人が窓口前で列を作った。国内銀行の窓口業務再開は1週間ぶりで、営業開始時間前から行列ができた店舗もあった。【2月21日 読売】
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【「独裁的支配からの移行の多くは自由にはつながらない」】
“独裁政権を倒した民衆による革命が、その後必ずしも民主化をもたらすわけではない”ということは、これまでの歴史が示しています。

****広がる「市民革命」、必ずしも民主主義にはつながらず*****
チュニジアやエジプトでは、市民による反政府デモが拡大し、結果的に長い間権力を支配してきたそれぞれの政権を退陣させた。しかし、独裁政権を倒した民衆による革命が、その後必ずしも民主化をもたらすわけではないことを、過去数十年間の歴史が物語っている。
革命を成し遂げたという高揚感は、そう長く続くものではない。公正で民主的な社会を作り、政治的自由を渇望するのみならず、経済的苦難に突き動かされているかもしれないデモ隊の期待を満たすという試練に、それはすぐに取って代わられる。

ワシントンを拠点とする人権団体「フリーダム・ハウス」が2005年に発行した報告書「How Freedom is Won: From Civic Resistance to Durable Democracy(原題)」は、「独裁的支配からの移行の多くは自由にはつながらない」と指摘。独裁政権から移行した67カ国を調査した結果、35カ国が「自由」となったが、23カ国が「部分的に自由」、9カ国が「自由でない」としている。また、民主主義を持続させる要素には、移行前からの強力な市民の団結力のほか、野党側に非暴力的な戦略があるかどうかだと分析している。
逆に言えば、野党側が政権転覆のために治安部隊と取引をすれば、安定的な民主主義づくりの見込みは損なわれる可能性があると専門家らは指摘する。

元米国務省高官で、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際研究大学院のダニエル・サーワー氏は、セルビアを例に挙げ、2000年にユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領を失脚させるために、治安当局の過去の行いを不問にすると当局と取引を行ったことが、民主化を停滞させたと語る。「エジプトも同様の問題を抱えている。ムバラク大統領を退陣させるために民衆は軍部隊を信頼したが、問題は軍が今後全体的な改革を認めるかどうかだ」だと、サーワー氏は分析する。
 
<民主的な歴史の有無>
また、変革を成功させる鍵は、その国に民主的な歴史があるかどうかだという専門家もいる。1986年に民衆のほう起によって失脚したフィリピンのマルコス元大統領は、初めは選挙によって民主的に選ばれている。また、旧ソ連からの独立を求める革命を起こし、のちに欧州連合(EU)に参加した東欧諸国の例も挙げられる。
その中で唯一の例外はベラルーシだが、同国は独自の言語を持ち、長らく旧ソ連の支配下にあったため、独立国としての歴史がほとんどなかった。地理的にも文化的にもスカンジナビアに近いラトビア、リトアニア、エストニアなどのバルト3国が民主化のモデルとされる一方、1994年にベラルーシの大統領となったルカシェンコ氏は西側の指導者たちから欧州最後の独裁者とみられている。

くしくもエジプトのムバラク大統領が辞任に追い込まれた2月11日からちょうど32年前の1979年同日、イランではパーレビ国王がイスラム革命により失脚し、王制が崩壊した。しかしその後、新旧体制派双方が暴力に訴えたことで、人権団体「フリーダム・ハウス」の分析では、民主化が遠のいてしまった。
しかし、米インディアナ州ノートルダム大学クロック国際平和研究所のデビッド・コートライト氏は、少なくとも2009年に大統領選挙に不正があったとして非難する反政府デモが行われるまでは、イランでも民主的な選挙が行われていたと指摘している。【2月15日 ロイター】
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最後の“2009年に大統領選挙に不正があったとして非難する反政府デモが行われるまでは、イランでも民主的な選挙が行われていた”かどうかについては、異論もあるところでしょう。
確かに、“宗教独裁”“悪の枢軸”といったイメージと異なり、イランの政治システムはかなり民主的な制度になっていることは事実です。ただ、その一方で、現実の運用において、改革派候補者の立候補資格について厳しく制約し、事前に選挙から締め出してしまうといった非民主的な面もあります。

いずれにしても、多大の犠牲を伴って手にした強権支配体制打倒が、実りある成果に結び付くためには、民衆の側にも忍耐と理性が必要です。“悪い政権”の後に、また“悪い政権”が出来たというようなことにならないよう、「あの中東民主化は一体何だったのだろうか?」といった思いを将来抱くことがないように、堅実な国づくりに立ち向かってもらいたいものです。
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