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(8月8日 23年前の民主化運動弾圧犠牲者を悼む式典に出席し、「あの出来事を想起し忘れないでもらいたい」と記帳するスー・チーさん “flickr”より By Burma Partnership http://www.flickr.com/photos/burmapartnership/6021066699/ )
【対立を避け、今後も会談を継続】
長年の自宅軟禁解除後の動向が注目されるミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんは、12日アウン・チー労働相と解放後2回目の会談を行い、「双方が協力していく」との共同声明を出しています。
先月25日の1回目の会談では、内容はあきらかにされず、会談後のスー・チーさんの硬い表情が印象的でしたが、今回は異例の共同声明が出され、今後も会談を続けていくことも確認されたそうです。
背景には、民主化をアピールしてASEANの議長国に就きたい政府側、政治活動再開に向けて政府側との接点を求めたいスー・チーさん側、双方の思惑があります。
****「国の発展に協力」スー・チーさんと政権が共同声明****
ミャンマー(ビルマ)政府の閣僚と民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが12日、最大都市ヤンゴンで会談し、国の平和や安定、民主主義の進展などに向けて「双方が協力していく」との共同声明を出した。ただ、双方の思惑には隔たりが大きく、民主化の進展には懐疑的な見方が強い。
スー・チーさんと政府側との会談は昨年11月の自宅軟禁解除以降、2回目。先月25日と同様、アウン・チー労働相と会った。民主化運動関係者によると、こうした共同声明は、今年3月まで続いた軍事政権時代を含めて初めてという。声明では対立を避け、今後も会談を続けていくことも確認された。
スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)は政府に少数民族との停戦を求め、14日には地方での会合も計画するなど、徐々に政治活動の幅を広げつつある。これに対し、政府は今のところ直接的な警告や妨害はしておらず、容認する構えを見せている。
12日、首都ネピドーで記者会見したチョー・サン情報相も「政府が国民和解を求める中でNLDとも協力していきたい」と述べ、昨年の総選挙に参加せずに解党扱いになったNLDに政党登録を勧めた。
政府の対応が変化した背景には、2014年に東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国に就きたいとの意向があると指摘されている。議長国は1年交代。14年の議長国の決定に向けて「さらなる民主化が必要とする欧米に向けたアピール」(ヤンゴンの外交筋)との見方だ。
スー・チーさん側にも事情がある。現状のままでは政治活動は著しく制限されており、政府との接点を見つけることで、実を取りたいという意向があるとみられる。
今回、一般論では協力に合意したが、NLDが求めてきた約2千人の政治犯の釈放など具体的な課題に踏み込めば、双方はすぐにぶつかるとの指摘もある。
反軍政のイラワジ誌のアウン・ゾー編集長は「両者の対話にとって重要な一歩だが、民主化という観点では、政治犯の釈放や少数民族地域での人権弾圧の停止など具体的内容はなく、今後を注視する必要がある」と話す。【8月13日 朝日】
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【「開かれた政府」を強調】
民主化進展をアピールしたい政府側は、報道官任命し初の記者会見も実施しています。
****ミャンマー:報道官任命し初の記者会見****
ミャンマーのテインセイン大統領はチョーサン情報相を政権の報道官に任命し、12日に首都ネピドーで情報相による初の記者会見が開かれた。政権はこの日、労働相を民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんの元に派遣して会談させるなど、民主化進展をアピールした。テインセイン政権は14年の東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国就任を目指しており、軍事政権当時からの秘密主義を修正して「開かれた政府」を強調する狙いがあると見られる。
会見には地元メディアのほか毎日新聞など外国報道機関の現地通信員も招かれ、10日付で報道官に任命された情報相が少数民族武装組織との停戦協議の進展状況などを説明。今後定期的に記者会見を開くとし、政府の情報公開姿勢を強調した。
政権は外国メディアの政権批判報道に反発し、これまで外国人記者の入国を厳しく制限してきた。しかし米国大統領など世界の要人が訪れることになるASEAN議長国になれば、外国人記者の受け入れは必須。政府は14年をにらんでメディアとの関係改善に乗り出した可能性もある。(後略)【8月12日 毎日】
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ASEAN議長国は、1年間の持ち回り制で、2014年がミャンマーの順番となっています。
06年にも議長国になる順番でしたが、民主化の停滞を批判する欧米諸国に配慮した他の加盟国に促され、辞退した経緯があります。
ミャンマー政府は議長国就任で国際舞台に復帰し、政権の正統性を内外に示したい考えとみられています。
人権侵害で国際批判を浴びるミャンマーがASEAN議長国というのは、核開発を続ける北朝鮮がジュネーブ軍縮会議の議長国となったとの同様に、皮肉な感があります。
ただ、そのことでミャンマー政府の民主化への対応が多少なりとも改善するのであれば、意味がない訳でもないかも・・・。議長国を認めないと、再び殻に閉じこもってしまう恐れがあります。
【政権がどこまで自身の活動を容認するか試す狙い】
スー・チーさんの活動については、最近いくつか報じられています。
7月28日には、政府と反政府少数民族武装組織の仲介役を果たす用意があると表明しています。
****ミャンマー:スーチーさん「政府と少数民族武装組織仲介」*****
ミャンマーの民主化運動指導者、アウンサンスーチーさん(66)は28日、対立が続く政府と反政府少数民族武装組織の仲介役を果たす用意がある、と表明した。スーチーさんは多数派のビルマ族でありながら少数民族にも人気が高い。政府がスーチーさんの仲介を認める姿勢を示せば、政府と少数民族の対立は解消へ向けて前進する可能性がある。
スーチーさんは28日、テインセイン大統領と、政府に抵抗するカレン族、カチン族など四つの少数民族武装組織に対する書簡を公開した。それぞれに即時停戦と対話を要求。さらに「和平に全力を尽くす」と述べ、仲介役を果たす決意を示した。政府から地方遊説などの政治活動を封じられ、スーチーさんは、少数民族問題で影響力を発揮し、存在感をアピールする狙いがあるとみられる。
地元メディアによると四つの少数民族組織のうち、政府と停戦合意を結んでいるものの武装解除を拒否して戦闘状態が続く「カチン独立機構」(KIO)幹部は、スーチーさんの呼びかけを強く歓迎。一方、停戦合意も結んでいない「カレン民族同盟」(KNU)幹部は毎日新聞に「スーチーさんの仲介を歓迎するが、政府との対話はカレン族抑圧の停止が条件だ」と述べた。
これに対し政府の反応は不明だ。ロイター通信は「呼びかけは政府を怒らせそうだ」と報道。しかし地元記者の一人は「呼びかけは、スーチーさんと政府高官の会談直後に行われた。政府側がスーチーさんに少数民族問題で役割を果たすよう示唆した可能性がある」との見方を示す。
3月に民政移管を果たしたミャンマー政府は、3年後の14年に持ち回りの東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国に就任することを望んでいる。そのためには、スーチーさんとの対話など民主化問題の進展や、少数民族との対立解消が必要となる。【7月29日 毎日】
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ここでも、ASEAN議長国を目指すミャンマー政府の立場が出てきますが、この際、そこをうまく活用する形で、“実をとる”のが賢明ではないでしょうか。
また、政治活動が厳しく制限されているスー・チーさんですが、明日14日にはヤンゴン北郊の都市バゴーへ日帰りの“政治旅行”が予定されています。7月のバガン旅行では政治色を一切排除し、政府側を刺激しない対応をとっていました。
****ミャンマー:スーチーさん政治旅行へ 自宅軟禁解除後初****
ミャンマー民主化勢力「国民民主連盟」(NLD)によると、連盟を率いるアウンサンスーチーさん(66)は14日、自宅があるヤンゴン北郊の都市バゴーへ日帰り旅行する。連盟は「政治活動の一環」としており、スーチーさんは10年11月の自宅軟禁解除後としては初の「政治的旅行」の目的地に近場を選び、政府の反応を試す狙いとみられる。
バゴーはヤンゴンの北約80キロ。民主連盟によると、スーチーさんは図書館の開館式典に出席し、地元の政治関係者と会談する予定という。
政府はスーチーさんの地方への影響力拡大を恐れ、地方遊説や視察などを行わないよう警告している。03年には地方遊説旅行を強行したスーチーさんと連盟幹部が軍事政権に一斉拘束され、スーチーさんはそのまま昨年まで自宅軟禁された。【8月8日 毎日】
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このあたりのことは、当然、12日のアウン・チー労働相との会談で話がなされているはずです。
“政権がどこまで自身の活動を容認するか試す狙いとみられ、神経戦のような両者の攻防が続いている”【8月12日 毎日】とも。
【「あの出来事を想起し忘れないでもらいたい」】
23年前の民主化運動弾圧事件の記念日である8月8日には、スー・チーさんもセレモニーに参加し、「あの出来事を想起し忘れないでもらいたい」と記帳しています。
****スー・チーさん「忘れないで」 民主化運動から23年、式典で記帳****
ミャンマーで1988年8月8日、学生らが民主化などを要求し全国規模のデモを繰り広げ、軍の無差別発砲で3千人以上の犠牲者を出した事件から、8日で23年を迎えた。ヤンゴン市内で開かれたセレモニーには、民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんも出席し「あの出来事を想起し忘れないでもらいたい」と記帳した。
「8888民主化運動」として知られるこの事件は、ミャンマー政治におけるひとつの節目であった。
88年7月から9月にかけ、政治的自由の抑圧と経済の停滞に不満を抱く学生らによる、自然発生的な激しい民主化運動が起こった。その絶頂ともいえる「8888」を挟み7月、26年間におよんだビルマ社会主義計画党による一党独裁体制が、ネ・ウィン同党議長の辞任によって終焉(しゅうえん)する。9月には、盛り上がる運動を武力で弾圧した軍が権力を掌握し、今日に至っている。
「8888」はその後、スー・チーさんを民主化の旗手に押し上げもした。
ミャンマーでは、「8888」の活動家を含む2100人以上がなお、政治犯として収容されたままだ。ヤンゴンでのセレモニーには約400人が出席し、「8888」に加わった男性は「民主主義のために命を落とした人々を思いだす。当時の学生活動家らはまだ牢獄(ろうごく)にいる」と語り、解放を要求した。
海外に亡命している活動家も多い。7年3カ月の間拘束され、今はタイに在住している男性もそのひとり。「女性への暴行、電気ショック、独房…。こうしたことは今も行われており、改善されることは将来もないだろう」と話す。
この日、世界に散らばる亡命者から、「自由で民主的」なミャンマーを求める声が上がった。【8月9日 産経】
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ミャンマー政府が政治犯釈放にまで踏み込めば、アメリカなどの国際社会は一定に評価することになるでしょうが・・・。